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9月, 2023の投稿を表示しています

人に頑張れー、と言うなら、自分にもがんばれー、と言うのもいい。

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  わたしは人で、 弱点を克服していない。 感じとって、それは感謝して。 だから、人だと、今納得した。 完全ではないから、人。 感謝のこころ。 思い出して、今までの自分の軌跡を思い起こして。私は、若干だが卑怯者なのだ、と。そして、ちょっとせこい。本物の卑怯者は本当にせこい。それは、見たことがある。私のこのちょっとせこい、は私が生きていて人間だから、と思えるくらいに感謝して、くらいにその範疇にある。私だからしょうがない、人間だから、と。結構嘘つきだしな。人を傷つける嘘は、頑張って努力してやめたいけれど。そして、頑張って正直として、生きようとは思っている。介護士の時もやっちゃったことあるのだな。後悔と反省。なるべく、それを知って頑張ろう、自分だな。そういうくらいのものだ。くらいで、努力してそういたい。 さーて。かなりののんびり生活なのだが、ここ1,2年くらい、ましだな、と思っている。気を引き締めるようなことが、ちょっとくらいあると、生活もちゃんとしようと思うものなのだな。お酒を飲むと、太るなー、やっぱり。お米は適度に食べようと思っていて、それでいいと思う。何かの本のうる覚えでは、違うな調べたら、うろ覚えだな。そして、スマホを観たらもうすぐ誕生日、楽しみですね、とGoogleのアシスタントが知らせてくれている。嬉しー。実はアマゾンで結構買い物している。うひひー。そう、とにかく本のうろ覚えでは、砂糖とかの糖分は、直接にはだったかなー、脳のエネルギーにはならなくて、お米とかのよく噛んで変えられた、なんちゃら類というかアミラーゼか何なのか、とにかくその糖分が脳のエネルギーに消費される、とか確か書いていたんだよなー。間違っていたらごめんなさい。ノートにその頃から、本の題名と気になった箇所の見出しというか、その箇所の特徴的な情報を書いて、ページ数を書いていたら、本にも付箋をしておいて、本を見直すことがすぐにできるのに、と思いながらいまだに、それをさぼる。これは絶対っていうくらい、今の自分にはしておいた方が良いことだ。本に付箋はしているけれど。ブログに書いたから次からは実行できるように。私は記憶の思い違いが多い。 今日の夕食はハムカツだな。白飯、味噌汁、サラダ、と共に。揚げたての、ヒレカツは美味しかったなー。変な気持ちじゃなくてー。かなり美味しかったー。たまになのが、またいいー。

しつこく。

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  生きて楽しむ。 このレシピはどんな味か、 とか、 写真はどうやったら、もっと、とか。 あの辺に魚がいそうだ、と。 ギター少し上手くなった、とか。 文法的にははっきりと分からないが、 何を言いたいのか、分かる時がある英語も。 詩や小説、ブログ、本を読むこと。 思い返すと、始めてみようと思った趣味が、 この暮らしの息苦しさを支えてくれている。 もちろん、それ以外で楽しい時間もある。 でも、やることがある。 何もないより、それらに助けられて、生きがいになっている。 それらのことには、伸びしろがある。 すごく、マイペースだけど続けている。 詩を書きながら、詩というかな、と思うけれど、書きながら思い返していて、続けていて良かったな、と。坂口さんのようにはできないけれど、サックスを始めていて、ふーんと画像を観ていて、いくらか時間が経った時に、披露できるぐらいに上達していたのは、おおー、と思った。ただ、坂口さんも浮き沈みはあるのだけど。だいじょぶかな。 自分は三日坊主でいい、を念頭に続けていければ。休んでも、また始めればいいじゃないか、だな。これらのことに、もう一つ加えるなら、絵なんだよな。立派な絵とかじゃなくていいから、ボールペンでそれなりに描けるように。ショートネコステを始めるとしたら、それが何と言うか、絵を描き続ける理由になったらなと思う。やってみたいと、思っているならやってみても。でも、ちょっと今日思ったことなのだけれど、例えば、子供食堂を地域でするので協力して欲しい、とか言われた時に。え、めんどくせえな、自分のやることしたいな、と思いそうだな、と思った。本末転倒というか。何というか。これだけある時間なのに。現実の自分は、ちょっとそういうこと思っても、子供に協力するようなことは、やりまっす、て言える気持ちの準備はしていたい。変化して何かを手離してもいいくらいの気持ち。大げさか。全部、ぼちぼち続ければいいんだ。 今日のお昼はちゃんと天丼を作った。出来上がった時の時間は、14時だった。やっぱりかー、と思ったな。要領そんなに良くないし。釣った魚の臭みが時々あることがあって、きまぐれクックで観た、切り身を氷の塩水で洗ってから、真水で洗って水気を拭くと、今回の天ぷらは非常に美味しかったでござんす。ただ、他の野菜を沢山天ぷらで揚げてしまって、天丼のご飯の量と天ぷらの量のバランスが

海にはトレーナーを着て出かけた。朝早かったから。

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  釣りに行ってきた。ホゴ(カサゴ)2匹、南洋はぜ2匹。アジングワームよりは少し大きいワームを使った。南洋ハゼは1匹はまあまあ大きい。今から少しだけ寝れたら寝るけれど、起きて元気であれば、めんどくさく感じなければ、ホゴも切り身にして、野菜と天ぷらにして天丼でも作ろうかな、と思っている。お昼に。夜はカレーのために豚のスペアリブを解凍して、にんにくのおろしと、カレー粉を擦り込んでいるので、それを使わないといけない。去年も見た、スズキがいるところがあるのだけど、人との距離が近すぎるのか、ルアーを食わない。ルアーの近くに1回だけ来たけれど、ストップして警戒している感じ。釣ってみたいなー、方法はあるのだろうか。気まぐれに出かけて、ちょいと釣りをすることができるルアー釣りは結構好きになっている。車のロッドフォルダーをやっと取り付けた。 天丼はご飯少な目ね。

食彩に酔う。

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  華やかに思う。 希望や、楽しいこと、温かみ。 前向きに信じたり。思うことで思い出す。 そんなことじゃない。 憎しみとか、そんなことではない。 明るみの大切さを、味わい。 そっちだろう、やはり、大切なことは。 人によっては、綺麗ごとと言う人もいるだろうけれど、守られているとは言え、人の温もりを思う。もちろん、一定の線引きというのはあっても、ぎすぎすした中で、人の気遣いとかない世界で生きて行く、ってやだねー、と思う。豊かさも大切だ。キリスト教として考えるなら、我々は動物であるが、人間である。霊性の中に理性を伴い、知的な分別という物を理解できる。欲望に忠実、という言葉を一時期耳にした。個人としてはかわいく行くなら、いいだろうと考える。今日はポテチ2袋くらい開けて、映画観て、コカ・コーラ飲むんだ、という時。幸せだろう。何なら、ピザも頼んじゃう。かわいい。しかし、根源的な欲望。大人になるにつれて、知ってしまう、あると気付く欲望。動物的な物が、あること。変な欲だけではなくて。コントロールしなくてはいけない、ある存在。ここまで書いたところで、実は500mlのアサヒの食彩、というビールを飲んで、酔っている。タイミングが良かったのか、とても美味しかった。ローソンのジャイアントポークフランクをおつまみにした。話を戻そう。自分の体験を思うとして、小さな頃や、その成長段階で、大切にされた、優しい人がいた、というのはもの凄いその人が分別を持った大人になるためには重要なキーになって来るのではないか。甘やかされても行けないだろうし、厳しすぎても行けないだろう。私は痛みを知ることで、少しは気付くこともあった。この暮らしになって、ようやく気付くこともあった。今までを思って、もっと自分を通せる強い自分だったら、と思うこともあるが、私はそういう強い人間ではなかったのだ。今はそれを認め、じゃあ、何ができるかな、という今酔っている段階での思いだ。希望を持ってんだよ、それは手離したくないんだよ。ありがたいことに、世知辛い思いをしたからこそ。感謝をして、前に向きたいもんだ。まだ、体力はある。旅でリフレッシュできたのか。酔って詩を書いた。うふふ。何か嬉しい。 そうだ、今日は高井くんとこのおばちゃんのレシピでお好み焼きだ。具体的な割合いは分からないけれど、結構お好み焼き作っているので、これくらいかな、というイメ

気力と体力

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  様々に人がいて、 様々に問題はあるとして。 それでも、明るく生きる。 良い時もあった。悪い時も。 笑顔で気を許してくれて、 それくらいの平和な世界。 旅ぼけをしていた。生活を始めなければ。部屋を綺麗にして。一時期、綺麗だったのに堕落するともうこんなに汚い。運動もしないと。何か目標を作るか、今までの生活に戻るか。英語も英語を話す友達ができたら、頑張るのになあ、と思う。そう思うくらいに、生活の気力は戻ってきている。目標、腹が出ているのを減少させる、でもいいよな。暫く、それくらいで。秋はめちゃくちゃに釣りに行くでもいいし。釣れないことの多い釣りではあるけれど。魚捌くの上手くなりたい。小説書いていた時から気になっていたけれど、文章を短く切る癖みたいなのが、感じとしてある。詩を書いているからだろうか。書き始めちょっと気になった。どうにでも、できることだけど。ぼそぼそっと、呟きみたいになっているのか。 気持ちとしては今は自信のない時期だ。ちょっと不安になったり。 車を走らせていたら、道路わきに紙垂(しで)が飾られていた。紙垂は神社に飾られてもいる、白い紙のぎざぎざ折られたものです。今年も誕生日がやってくるかー、と思った。年を取って行くな。でも、自分に自分でお祝いをしよう。あとは、残りの今年。今までやって来たことも、続けるけれど、基本の設定、遊ぶ、にしよう。まあ、結局釣りくらいになるだろう。料理のちゃんとしたのを作る、も遊びに入る。ハーブやら何やら使ったり。お漬物漬けてみたり。そういうことができる部屋の清潔さにもしていたい。冷蔵庫の中も掃除したい。さあ、遊ぶを起点にして色々出来たらいいものだ。それには、元気と体力、運動。

旅の優しさ。

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  気持ちを忘れないように。 置いてけぼりにしないように。 安らかなこころに。 サースティ、覚えた単語。 こころが渇いていたら、 誰か優しい笑いを。 安心できる冷たさの温もりを。 旅先のほがらかに笑顔は。 楽しい、楽しい。 やさしい、やさしい。 そんな私に。 そんな気持ちを。 (ブログに載せる許可取っていないけど、写真撮っている時、笑ってくれたからいいよね。) 旅に出ていた。岩ガキは結局食べることができなかった。しかし。 今回の旅の最終の目的は、谷川俊太郎さんの写真と詩が展示されているカフェに行くこと。車で旅をしていて、自宅に帰ってから、疲れたのか判断力が何かおかしくなっていた。 東京に着いて、カフェ近くに車で行くと、駐車場どこだ、と焦り、パーキングエリアを見つけ、停めたのだが1時間しか駐車できないところで、まじか、と思ったのだがそのまま、人に場所を聞いてカフェにすぐに着くことができた。時間もないしアイスコーヒーだけ頼もう と思っていたが、ココナッツのカレーの声掛けに押しに弱いし、食べてみたいしなので、頼む。焦らしくなってしまって、許可は取ったが、あっちやこっちに詩や写真を見て、写真を撮る。カフェなので他の座席もあるし、落ち着いてゆっくり見るものなのだろう。ただ、写真を撮っておいて良かったのは、カフェではちゃんと入ってこなかった詩の味を後で楽しみ、写真をもう一度見ることができたことだな。店員さんが、ある詩を私が見ていた時に、この詩が好きなんですか、と言っていて。後でカメラの画像を観ていて、確かに私好きだな、と思った。幼い頃を思った詩で。私の感じを店員さんは知っていたのかなー、と勝手に思ったな。谷川さんへの手紙というか、寄せ書きを書く時に、私らしくて1時間しか停められないパーキングエリアに停めてしまって、とか書いたのだが、自分のことはいいから、もっと詩や写真について、感想とか書けば良かったかな、と思った。写真に撮っている詩と写真をゆっくり味わいます。 頼んだカレーが出てきて、美味しくてかなり辛くて、爽やかーな辛さで、頼んで良かったーと思った。食べながら、これで私の夏は終わったな、と思った。本当にそう思った。私は一人でそういうようなことを勝手によく思う。爽やかな辛さが、夏の締めになったのだ。旅して良かったぜ。 今年の夏は、 本をそれなりには読みました。 釣り、そんなにし

海鮮大好き。

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  何か詩を書こうと思う。 しんどいような気持ちが、次第に呼吸は落ち着いてきて。 気持ちが纏(まと)まる。 書けない気持ちかな、と思ったけれど、 書こうとし始めていて、 集中している。 いらいらしていない。 もうそこに向かっている。 私は詩を書いている。 そのことに、心から、真摯に感謝をしている。 教会の聖書教育について、司会の担当をする時に予習して自分の思ったことを書く時も、机の電気スタンドをつけて、まずは手書きで書いている時は気持ちが纏まっていらいらしていても、だんだんそれがなくなって書いている。いつもではなくとも真摯な時間というか。いつからか、まず手書きで書くことが殆どで、それが自分にはしっくりくる。その後、パソコンに打ち直して、パソコンの文字は字が綺麗なので、少なくとも一定の字の質なので、手書きから変化してパソコンに打つ。パソコンの文字にあった文章になる。 9月の間、旅行を終えたら、4コマ漫画のなんかを考えてみたいなー、と思い始めている。10月になってもいいし。今日、病院の待ち時間4コマ漫画について何か、考えてみよう、と思って。メモ用紙に病院の先生が言っていた、薬のメーカーの違いを、森永と明治の違いみたいなもの、と聞こえたのをメモして、森永と言えばチョコモナカジャンボだと思って、猫がチョコモナカジャンボを持っている絵を描いてみたり。私はそうやって、小説とか何かのネタとかに発展させることが多い。たまたま、見えた自分に引っかかったことや、聞こえたこと。それをもとに考えて、発展させてネタや話が始まったりもする。 メモの魔力に影響されているんだろうか、もともと自分のやり方だったような気もするし、うーん、変わったんだっけな。どうだっけ、忘れちゃったな。ただ、今回ショートショートを書いてみて、理屈でアイデアをまとめてばかりでは、いけないな、と思った。ほとばしる何かがあれば、そっち優先にして。しかし、精神的体力がないな、今は。そんな感じがする。いつか、のいつかでいいんだけど、十分行ける、気持ちになっていたら、ネコガワクリステルという昔短い話を書いた、続きを原稿用紙200枚分くらいの話を書いてみたい。その話のネタ帳がまだ収納ボックスに入っている。 そああ、岩ガキ食うぞ、岩ガキを。旅に出て。まだ出回っていますように。

ポップソング

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  自分を振り返ると、それなりに自分なりにちゃんとやって来た。 でも、思うのだけれど。 その間、人に出会い助けられていた。 私の口が臭くて、美味しいもの食べたんじゃないかい、と言ってくれる職場のおばちゃんや。 同じアトピーが酷くて、薬を塗って手袋して寝ると良いですよ、と寄せ書きに書いてくれた女の子。 教会のバザーでくじの時にもらった、いつも主にあって、喜びなさい、の御言葉の紙が正面の壁に貼られている。 そうだ、喜びなさい。 友達を失って、教会の若い人たちに助けられていたこと。 メッセージ。 教会のイベントを楽しませてもらっていたこと。 母親が亡くなってから、おばちゃんが誕生日に贈り物を送ってくれていたこと。酒嬉しき、せんべい美味しき。 みーにも助けられたか。愛している。 もうすぐ45歳になる。 こんなにも子供なのか、とおじいさんが自分を言っていた、とインターネットでみかけた。 私も思う。大人の自覚がなく、年をとる。 私の希望、望みとして、愛する家族が欲しい。 そうじゃなくても、私は生きていける人になっている。 でも、愛する、愛している時間を経験させて欲しい。 それが私の求めている静かにしておこうと静かに内に感じて宿らせている欲求だと。 そうなのだと、例えがそれが傷ついても。 生きていける。 それくらいに。 でも、多分とても傷つき哀しい。 そういうもの。 確かに、少し強くなっている。 まだ、暑いから朝起きることができている。あっちいなー、と思って起きる。夜の間は、雨が降りそうでなかったら、窓を開けて過ごし寝ている。自分の現在なのだが、ちょっとへこむことがあると、きざ山きざ男になることが多い。余裕がなくなるとそうなってしまうようだ。つまり、好青年過ぎる人に若干なっている。明るくではなく、ちょっと暗くへこみながら、良い声が出てしまうというか。すかす、までは行かないのだが。とっさに面白いことが言える余裕が欲しいし、何かあっさりとユーモアがある状態でいたい。しかし、思い返すとそれも自分であるのだ。そういうところがあるという。 部屋がまた汚ねえ。すぐに汚くなる。カメラのSDカードが容量の空きがなくなってしまった。買いに行かんとな。アマゾンで頼むかなー、何時くらいに届くだろうか。何枚か、買っておいた方がいいな。結構すぐにぱんぱんになるんだな。良いカメラを使っているから、SDカード

気を励ます。元気にな~れ。

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  気分が乗らない。歩いていて、あっち~、だるい。と思って。しかし、また元気になるために、色々やって行こう。車のロッドフォルダーも結局まだ取り付けていない。豆腐でも食べて元気を出さんと。夕食はリュウジさんの簡単なシーフードカレーにしょうかな、と考えている。シーフードミックスを使うのね。実家でちぎって来たモロヘイヤを茹でて、トッピングしよう。兎に角、元気を出したい。 元気のないときは、一人部屋で笑顔を作って、 思い出す。 あほで、楽しかったこと。 許されていたこと。 おとなになっていて、 それも、 思い出そう。 なるべく、誠実に 生きていたこと。 キリストに出会ったこと。 まだ人生の道中であること。 もう自分は真面目だけれど、 楽しく生きようと思っている。 つまり、真面目にたのしく。 天然のぼけを持っているが、 たのしく。 人様に迷惑をかけないように。