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8月, 2024の投稿を表示しています

夢で時々見る。レポートを出すのが面倒で、ばあちゃんの家が心地よくて、のんびりしていて期限を確かめなくて落第する。目が覚めて、今は全然大丈夫なのだと知る。何にも追い詰められていないと。

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  車椅子も乗れるワイドエスカレーターについて。エスカレーターは事故もあるし、難しい、という言い訳もあるのですが、だれて考えるのが億劫になっていました。 私なりに考えたこと。 まず、イメージしてください♡ なぜハートを入れたか自分でも分かりませんが、よくあるエスカレーターは動き出す箇所の前に、金属で作られた動かないスペースがあります。下の地面と言うかそのスペースですね。 そこに、動く手すりの両脇にある動く手すり、ですね。あれを延長させます。 そして、右か左かにレバーが出てくるボタンがあります。そのレバーは握ると安全にエスカレーターの動くスペースに導いてくれます。 ボタンを押します。 ストッパー(導線の方)が出てきて、車椅子のストッパーを解除してください、とナレーションが程よく響きます。車椅子のストッパーを解除していると、車椅子のタイヤが動くのを許すので、導線の方のストッパーを握っていると導線のストッパーが動いて、エスカレーターの動くスペースに丁度良く車椅子が乗るように、導かれます。ナレーションがストッパーをしっかり握ってくださいとか、あると良いでしょうね。今、気付いたのですが、導線の方はストッパーではなくて、レバーですね。全然、ストップしないですね。 さらに。 導線のレバーの先のボタンを押すと、後ろに安全ストッパーが出てきます。 準備ができたな、と思ったら、発進ボタンを押してエスカレーターを進みます。安全ストッパーは、車椅子のストッパーが解除されていなくても押してくれる、と考えたのですが、危ないですね。ある程度押して、車椅子が動きにくかったら、車椅子のストッパーを解除してください、と警告が出るのがいいかな。 電動の重い車椅子とかあるし、難しいな、と思いましたね。エスカレーターの事故とかもあるし、安全に改良もされているみたいですが。自分なりの考えです。下りも似たようなので行けると思います。後ろの安全ストッパーはいらないだろうけれど。 もっと、早く考えれば良かったですが、億劫になっていた。何度もだが、エスカレーターは安全面を考えると、難しい。

私も元気であろうこと。結構元気だけれど。

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  前回、カンフル剤として私は、ことを起こすのが私でと書いたが。そんなにかっこいいことではない、かっこいい私なのではない。5,6年前に施設に電話してボランティアを望んだ。しかし、返事はなくそういう時ではないのだな、ということを感じた。他のところで言われたのは、無職で成人男性で、と言われて、そらそうだわなということを納得させられた。今回のカンフル剤は、自分が思うことを電話でも会ってでも、職員の人に質問をしようと考えたのだが、びびっている。こういうよく分からないところでは肝が据わっている私だと思っていたのだが、なにを責められるだろうなど、思い始めている。ネットで各ホームページを観ていたのだが、何か元気だなー、と思って。元気分けてもらいたい、と思った。偉そうな私ではなくて、いちボランティアとして、得意な文章のこと、趣味の写真、不得意だが頑張っているギターについて、私の持てるところを活かして元気を分けてもらえないだろうか、と思い始めて。元気分けてもらいてえな、という年であるし、今の状況なのである。公民館でのことも、私の持つツールを活かして人との交流をして、私自身のメンタルの活性化を望んでいた。しかし、今の私のルールは時々痛い目を負う、若しくは思ったこととは違うということになる。今の私は以前よりさらに、ちょっと変、人によっては気持ち悪い状態であり、自分に自信がない。にんともかんとも。もともとの、私であろうとして、そのように私はそうであるとして、今の私は今の私を受け入れ納得している。頑張って、もっとこうなったらいい、と思っている職員の方の話を聞いてみないといけないが、情けないことにびびり始めている。ほんに、情けない。文章もブログはよく分からん書き方をしていたり、話がよー分からんところで、前後したりしている。今日もすでに一杯やっている。なんとも。夕食は長谷川あかりさんの、生姜ダレの混ぜサラダカレーである。ネットにも載っていたカレーであるな。野菜を多く摂れそうで美味しそうなカレーである。 今日はホームページを観て、元気分けてもらいてえな、という1日であった。結構本気で、自分の持てることでボランティアを受け入れてもらいたい、と思った1日でもあった。それだけ、人が元気であった。ネットで覗かせてもらって。最初、思っていた質問の趣旨からホームページを観て、その思いに発展した。ボランティアし

時が来たら、馬鹿にされないように。自分の身体も、中身も。

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  未来を思うことに、 欠けてきて、ただ生きている。 先のことは、想像がつかなくて、 生きるために、 と書いて、大袈裟だと思った。 楽しくやっていこう。 情熱、みたいなことがない時期のようで、このままなくなっていかないように、しないと、とは思っている。私がそうなったら、みたいな周りのことはどうなって、みたいなことに考えが行って、本質、いつの間に本当にそれを思うようになったか、どの時点だったかもう忘れたが。いつからか、最終目標になっていて。でも、今はどこか遠くにある出来事のようだ。これについては、よく自分のカンフル剤として何かことを起こすのが自分なので、何か出来たら、と思っている。そして、それは思ったようなことにならないのも、私としての経験だ。本もあんまり読んでいない。何度も、だが容量の多い(大きい)人たちとは違うのだなー。ちょびちょび、本を読んだり。秋になってくると、釣りに沢山行こうかな、と今思っている。他のこと疎かになってもいいから。そういう気分、気持ちだ。大学生の夏休みも、できるかなー、どうだろうなー、という気分、気持ちだ。でも、できた方が楽しいだろうな。気のせいではないと思うが、体重はそこまで変わらないのに、腹の出っ張り具合が増しているようだ。なんとも。今年の夏は、ばてていて、お酒も毎日飲むし。休肝日を設けていた年は、体重は変わらないが、顔もお腹も少しすっきりしていたように感じる。でも、呑兵衛で今はいたい。まあ、太るのもそれはそうだ。家でのんびりしてばかりだから。運動するぞ、運動を。楽しいことや刺激的なことだってするぞ、今の自分にとって楽しいこと、刺激的なこと。料理を作るのも好きだが、布団が敷いてある横にあほかしら、というくらいにカレーや料理の本を置いてあるので、買うのではなくてそれを読み返して、作っていくのがいいだろう。ああ、でも有賀薫さんの新しいスープではなくて料理の本は買ってしまいそうだ。しかし、きりがない。有賀さんの本は買うだろう。しかし、沢山の料理の本で作っていないレシピがわんさかとある。読み返して、作るべきだ。しかし、Twitter、えっくすなどで、素敵に紹介されている料理の本に弱い。しかし、いい加減にしないといけない。あと、レシピ通りに作るから、料理の感覚とかそういうのに欠けている。レシピを見ずにラフに作る料理に。これくらいが、調味料がいい、とか

ひさしぶりの、ねこのかいわ。

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  夏の暑さを回避して、私はよく眠っている。 せっかくの夏なのにと、考えて。 スーパーで半月切りのスイカを買った。 角切りにされているスイカよりも格段に美味しくて、 人が見ていないことをいいことに、かなりにかぶりついた。 お盆の間、感傷的な夢を見ることを期待したが、何も憶えず。 夏の日々を送っている。 少し欲張っているのだろう。 その、そういう経験をすること。 人に嫌われたり、好かれたりしながら、 内省、反省をして、 明るく生きたろうやないか。 我の人生や。 ねこのかいわです。 ああ、ひさしぶりです。 きみは、すーぱーのさらだまきをたべて、いっぱいやっています。 そうですね。すくない、さらだまきで、だれだれさんがつくった、みたいなせいさんしゃ、のさらだまきです。 し、も、ぼーるぺんで、かみに、かかずに、ぱそこんの、きーぼーどをちょくせつたたいて、かきましたね。 はい。いっぱいだけですが、おさけをのんでいて、かいたことに、さいごは、いらちきて、じぶんのじんせいなのに、たにんをきにして、とか、なんや、なんや、のことに、いらいらして、われのじんせいや。とかいてしまいました。し、をかいたとはいえないです。 われのじんせいを、あゆむことはいいことです。しかし、しかし、ねこのせいかつもそうですが、ねこしゃかい、いぬしゃかい、ひとしゃかいがあるのです。そのほか、どうぶつも、そうでしょう。めんどうでは、あるでしょうが、あなたが、せんにんではない、いじょう、ひとしゃかいでいきなければいけないのです。 げ、めんどくさい。 そうでしょうか。いいことも、あるはずです。あなたが、ときはなたれても、にんげんしゃかいで、いきます。そのなかで、めんどくせーなー、とおもっても、そのなかに、ときどき、あなたの、はーとに、ほんとうの、ひとのきもちが、とどくことがあるでしょう。あなたは、それをたいせつに、してもいいですが、たしかに、そのなかには、やばい、あんけん、があるかもしれないです。そのとき、あなたは、どうするか。かんがえないといけないです。それを、ふくめて、そこにふみこむか。やめるか。それは、あんけんによります。そして、あなたが、ひとをしんじるか、うらぎられても、はーとをたもつか。おかしいですね、ねこの、じんせいかんを、あなたをかんじると、あなたは、そういうりっぱなことを、かんじるひとではなかった、

8月中旬。

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  柔らかになる光や暑さの。 いつも外にいないから、そういうことも言える。 それはその感じ方は、他のことにも言えそうだ。 でも、光や暑さは、確か、変化して、 滞る人の気持ちは、その変化を見る。 だから、また年を取って、 季節は変わり、それを確かめて。 私も変わろう。 気持ちが変化して、季節を知ろう。 世界が平和になり、争いが静まることを祈り。 季節が進み、時が歩むことを肌に感じ、生きながら。 世界で起きている酷い出来事を目の当たりにしながら、実生活では料理を楽しんだり、ブログでふざけていたりすることに、時々違和感を感じることがある。でも、それはそれだ、と思って生きている。ポテトチップが食べたかったら、コンビニに行き購入して、家でぱりぱりと食べ、アイスは最近、爽、が美味しいとか思って味と冷たさを楽しみ。さらに言うなら、自分の特殊な今の状況を楽しみ。それで、いいんだけれど。これから、人には人類という意味で何が備えられていて、どんな道を辿っていくのだろうか。どこかで、神様が用意した道があって、踏み外して違う道に行ってしまったり。人の性質自体はそれなりの昔とはそんなに変わっていない。自分は平和な日本の時代に生まれたから、平和、すげえいい、と思う。でも、少し前のことで戦争という痛みが日本にもある。食事の前の祈りで、もっと生きやすい日本、世界になりますようにと祈っている。苦しいの嫌じゃんね。哀しいのも嫌だ。少し物寂しくなるくらいは、趣きがあっていいけれど。楽しいのがいいなー。心が反応するような嬉しいことがあるのもいい。なんて嬉しいんだろう、と涙が出てしまうくらいに。そういう涙ならいいよね。与えられた命を楽しみながら、でも結構真剣にがちがちにならずに柔らかく、味わって幸せな道を生きられたらどんなに良いのだろうか。桜林直子さんが確か、Twitter、えっくすに変わる前かな、そこで人生は思い出作り、と確か言っていて。それいいな、と思うようになった。人に意地悪した、とか振り返った時にそんなことばかり思い出すのではなくて、あんなことあったけれど、楽しかったなと反芻して幸せになるような、思い出作りがしたい、となるべく思っている。失敗することもあるだろうが。 よっしゃ、思い出作り、思い出作り。!

それなりに頑張るの。

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  岡山からの帰りにしまなみ海道を車で走っていて、夕陽が照らす海が綺麗だった。特に車を走らせている時に、橋から見る西側の景色が綺麗だった。瀬戸内はいいな、と思い。夜も更けて、松山市に着き、サニーマートで買い物をするとお盆のことで、店に並ぶ鮮魚がいつもより豪華でしかも半額で。下手に帰りに途中で食事をしなくて良かった、と思った。マハタの刺身初めて食べた。確かに美味しいことを確認して。たまに、そんなに特別ではないなという魚もあるが、マハタは確かに美味しかった。 姉がスパゲッティに添えたトマトがフルーツトマトみたいになっていて、美味しくてめんつゆを使っているそうだが、どうやるのだろう、と思いながら、思い立って作り方違うと思ったが、だし汁とめんつゆを合わせたものに、湯むきしたトマトを漬けてみた。明日食してみる。だし汁を多めに作ったので、小松菜とオクラも茹でて、だし汁に漬けてみた。今日はまだ食べていない。久しぶりにエビチリを多めに作ったし、味噌汁にとうもろこし多めに入れたし、昼は長谷川あかりさんの鶏ひき肉の薬味たっぷり出汁カレーの昨日の残りをしっかり食べたので、お腹が十分ですと言っている。動いていないからなー。食事も3食は食べて少しずつ、と分かっているが食べるのが好きだ。どんな料理だろう、と作って食べるのが好きだ。 ばてていたけれど、また動けそうだ。やはり、去年の夏より大分やることをさぼっているが、それも良し。大学生の夏休みは9月もあるし。芸大の学生として、芸術の観覧はそれなりにしたし。自主製作の絵も癖になっていなくて、中々手をつけないけれど、やってみたいならやればいい。なんかの糧になるかもしれんし。ショートネコステとかにも。ショートネコステはなんとなく、頭の中にアイデアがあってぼんやりしている。ねこのかいわ、もまたしてみたい。工学部の学生は、ワイドエスカレーターについて考えるなら考えよう。たまたま、動画で観かけたドラミちゃんが主役のアニメに、横の幅がかなり広い未来のエスカレーターが描かれていた。今のところ、日本では横の幅の広さにはエスカレーターは制限が設けられている、とネットで学んだ。確かにこけそうな時に、幅が広すぎなければ、ばっと両手で手すりにしがみつくことができる、横に手を伸ばして。エスカレーターのことと、1つくらいは歩いていて、どこかに設けられた何かにこれすげえ、と写真

朔(ついたち)

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  昨日は日帰りで、岡山の津山市にあるgallery朔で開かれている坂口恭平さんの個展を見に行った。 ああ、こんなに言うなれば、エモい、エモーショナルな場所にあるのですね、朔は。 ああ、ほんとに来た、と思った。場所が場所であるからそう思うのかもしれない。しかも、開いてんのかな、とちょっと思ってしまって。ドアを開くとコロンコロン、と金属か何かの音が鳴って。おー、緊張するー、と思って靴を脱いで入る。確かに、坂口さんの作品が展示されている。女の方が、いて、暫く見ていると、少し説明してくれる。多分、展示の交渉を熊本まで行ったのであろう時に、次にすぐ作ったであろう石膏の作品。Twitter、えっくすでも観た、ガラスの作品。見ていると、鬱の時に書いた、黒色のみで書かれたラフに描かれた作品が重ね置かれていて、見ていいですよ、と言ってくれたので、売られている作品だけれど見させてもらって。絵が描ける人は、鬱の時もこうやって、絵が描けるのだな、と思って少し羨ましく思った。詩もそうではあるが、中身のごねごねを吐き出せるそれが絵であること、絵もそうであるだろうな、と思う。詩は言葉なので吐いた言葉が間違っていたり、強すぎたりするとやっかいだ、と思った。意味が結構はっきりしてしまう。絵いいな、と思う。しかし、その作品は1枚3万円、手がでねえ。詩、とか調子に乗って、と思わないで欲しいっす。今のところ、辿り着いた場所なのだよな。心血は注いでいないにしても。感じた時は、何とかしたいと思うけれど。感じたこと。そして、絵も描いてみたい。みたい、くらいだ。今は。 2階。 本や絵の展示の2階。 また、1階に降りて、展示を見ているとゲンくんアオちゃんのTwitter ではえっくすでは聴いたことない歌が流れる。テンションが上がり、坂口さんが書いた絵の題とその場所が描かれたラフ画を見ながら、また気分が高揚する。楽しかった。 絵の写真撮ってもいいんですよ、と言われ失礼にあたる、と思っていたのでそうなのか、と分かり。紺ちゃんの絵を撮っておく。楽しかった。繊細だし、優しいんだよな絵が。

写真展「絶対」

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  夏がピークである頃、結構ばてていた。去年の夏に、頑張っていた運動を膝を痛め、腰を痛め全く運動していなかったからだろうか、と考える。力が入らねえ、のように。いかんな、と思って、時間がさらにかなりあるので、旅に出ることにした。リミットをちょっと外して。少々いいか、と思って。まずは、三津浜港から柳井港にフェリーで車を乗せて行く。 子供を連れた家族が、話をしている。別にいた子供がそこに加わっているようだ。話しが優しい。私は横になって、帽子を顔にあてて半分寝ている。でも、話しを聞いている。 目的は、福岡のリブリスコバコで展示されている齋藤陽道さんの「絶対」展。行こう、と思うようになっていて、思い立ったのが火曜日の夜。すぐ行きたい、と思って、水曜日はしかし、リブリスコバコは休み。スマホでかかる時間などを大体調べると、かなり朝早くに行かないとリブリスコバコが開いている時間帯にはその日には到着できない。なので、1日前にワンクッション、つまり1泊しようと思って、その場所を下関に決める。着いて車を運転していると、壇ノ浦の看板にテンションが上がる。源平の最後の戦いの場所と言っていい場所だ。あまりにも有名で、見ておこう、と、行く。陸地と陸地の狭間が短くその間の海の潮の流れが速い。こんな場所だったんだ、と思う。 1泊の場所を下関にしたのは、どうせなら、海鮮が好きなのでそれを食べようと思ったから。ビジネスホテルにチェックインし、スマホで近くの居酒屋を検索する。ホテルからちょっと遠かったけれど、鮮魚店直営店の説明に惹かれ、そこへ行く。当り。ショウサイフグみたいな唐揚げが美味しかったり、隣の人が鮎を頼んでいたので私も鮎の塩焼きを頼む。刺身の盛り合わせも頼むよね。店の人も私のことを知っている様子で、そのような振舞いをしてくれるが、そこには好意があるように感じて、酒が旨かった。頼もうとしたら、素通りとか、そういう振舞いだが、それも殆どなく、値段も通常の鮮魚のものより安い。 翌日、余裕を持って福岡に着く。上の写真はリブリスコバコの近くのお寺。リブリスコバコでは写真を撮ったらいかんかな、と思って撮っていない。入口の写真くらい撮っておけば良かったかな。展示してある写真はマジックアワーである頃の逆光の写真。逆光と人とのことで、温かい光の円が生じていてここでは、かなりそれを意識しているようだと感じた。人の温

負けないで、もう結構あとあとの向こうに。歩き抜こうじゃねえか。どこまでいけるのか。いつものパターンだと途中で仮病を使って、担架で運んでもらうところだが、歩き続けちゃろうじゃねえか。

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  あっちを見ても、こっちを振り返っても、 同じようなことで。 何が違いを生み出すのだろうか。 ただ、ちょっとした自分の気持ちで、 一つの人の言葉で。 生活にやる気を与えて、 自分なりにやっていく。 暑さなのか何なのか、だれている。部屋もまたひどいあり様だ。しかし、暑さがピークの時よりは体感として質として柔らかくなっているように感じる。つくつくぼうしが鳴いていた。もっと色々と動ける人は動くのだろうな、と思うが、自分はだらけてしまっている。かき氷まだ食べていない。気持ちは色々と活動したいのだが、染みついたのらの性質がどうしても、私を捉えて逃さない。 大学生の夏休みは9月もあるので、ゆっくり行こう。