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ちょっとだけいい、ウイスキーを買った。

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  曲を弾くとする。 このメロディがあるから好きなんだ、と気付く。 メロディがあるんだ。 それは音楽の人からすると、 芸術なんだ。 今更思ふ。 テクニックとしての音楽。芸術としての音楽。と言っていた人がいることを憶えている。音楽は、思春期からの憧れだ。音楽の世界の芸術や人模様に魅せられていた。写真は、バイクに乗って時々山に写真を撮りに行く、と言っていた人がいて。いいな、そういうのいい、と思っていた。だから、始めてみてギターも、写真も本格的なところの逆風をあてられることもなかったので、続いている。ギターは大学時代にすごい人たちがいて、自分はそうではなかったので、憧れでその時逆風であったが、根が残っていたようで続いている。いずれも、自分の中に気持ちがあるのだ。何かが湧く様な。世界とは離れて、自分の思いとして。文章はそっちに行く手がかりだった。今ももっと知りたい。素敵な題名の本を机の前に置いていつ読もうかと思っている。そういうすてきな思いに気付いたこと。1日眠っていて、夕方近くのコンビニで夕陽にあてられながら、新聞を読む懐かしさ。 こんなに歌を届けてくれているのに、えらそうなことを言った自分。 幼少期の写真におでこと、ほっぺに、ちゅっちゅしたい色んなことしているおもしろいやつ。 いろんなひと。 であえなかったよな~、こんなことにならなかったら。 現時点では夢を馳せて。いい笑顔だな、ということにいつか。 できるくらいのことになるのだろうけれど。 今やってみ、と言われたらできる状態ではない。 根は張っているつもりなので、さらに根深く。 何がいいことなんだろうなー、と思いながら。 頼むで。 素直にやってみたいんや。 今の状態からリハビリがいるけれど。 人慣れや。

領域展開

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  あなたは正しい けれど 正しさには限界がある 正しさの中にいるあなたからは とどかないものがある そうじゃないだろうか 銀色夏生 (特に現在のことに言及しているわけではありません。そういうこともあるかもな、と思ったので銀色さんの詩を引用させてもらいました。) あ、もしかして。 ねこいきてんかい、むりょうくうしょ。(無料空処) たしかに、ねこのかいわは、むりょうのすぺーすです。 ありがとう、ちみ。せつめいのかいじは、きもちをつよめる。 あ、でもとくに、はなしたいことがありません。 ずこ。でも、きみはまたふあんになっている。 そうですね。いろいろとばかをみてきた、と。 がー、る、のことだね。 あまりはなしたくないことですが。 ちみは、とうじ、かわいこちゃんで、うふふな、こであるなら、だれでもよかった。 はずかしながら。あっちこっち、そっちどっちとおもっていました。 いまのちみは、ひびをくらすことに、じゅうてんをおいている。 そうです。それでしあわせです。 でも、ときどき、そしきに、ちくりっ、とやられる。 そうです。そのあと、いかりやにくしみが、わきます。 ちみ。きゅうにまじめになるけれど、ちみは、えらいとおもう。 え。 いままでの、ことが、ねこのしらせでやってきた。ちみは、ちみのできることをしてきた。 おもいでというか、おもいあたることがあります。 ちみ。きょうはこのくうかんをおえよう。 たしかに。まじめなはなしになりそうです。 がー、る、のことはいつかに、きぼうをもっていなさい。たとえいたみがあっても。 おいしいものたべて、きげんよく、やっていきます。ひびに、やさしさをもとめて。 ちみの、おもしろめーたーが、ていかしている。ゆかいにいきるのだ。やぶきじょー、さとるより。さらば。

今があるから。

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  必要な時、 母親がいて、猫がいて、 食事をしている。 思い返すことも減ってきたが、 苦しくなった時、あの時のわがままさや、 自由さが幸せなことだったと。 あのままではいけなかったが、 あの時があったこと。 愛、とはすべての人生が、本当に、一度しかないことを理解すること。という川上未映子さんの解釈というか訳し方をえっくす、ツイッターで観かけて。この生活が続いて、少々、ぽろっと楽に死ねるのなら死んでもいいけどな、と一時期思っていたのだが、今は生きたい、と思っていて。今日の天気の良さを感じることに心の穏やかさを感じたり、文章や詩を書いて自分でも驚くような素晴らしい言葉が出せたら、それは心の震えを感じるだろうし、一人の時に心が動いて泣きそうになることも気持ちがいい。一人よがりでは人に見せるべきではないが。綺麗な写真が撮れたな、と思ったらとても嬉しいし、ギターが上手くなってきている、と感じたら、自分でも行けるんだと憧れを思うし、英語が少しでも身に付いたらこれも自分でも行けるんだ、と思うし。これらは自分が改善されたことに起因しているのだろうが、でも感動してもっともっと、と思い始めている。自分で言うが、マイペースだが努力もしている。だから、死にたくない。時々心が弱ってよぎることもあるが、一度しかない人生なんだ、と。手塚治虫さんの火の鳥の考え方であると、この世での一度の人生でそれが終わると、次はかなぶん、とかになっていたり。今ある人間である命は、今この世では一度のことだ。そんなに気力もないが、でも生きないとな少しずつ自分の中身を変えていかないとなという欲望がある。この世での命を失くしたら、時々出会う綺麗だなと感じる事象の感覚も感じられなくなる。 話がずれるが、いつかにえっくす、ツイッターに大森靖子さんの昔のバンド形態のライブ映像が流れてきて。本人はその頃のことより今が好きなのだろうが、命溢れる死にそうだ、という印象を受けるエネルギーがあって。バンド演奏者もすごく気持ちが良さそうで。ギター1本でインディーズからのしあがってきたんだっけな。やっぱり、すげえんだなー、と思った。 自分は形は違うが、色々身に付けてこつこつとやって! 時々、命を震わせてみたいなー、と思うのだよな。組織の縛りはあっても、状況は悪くない。だから、一度しかない人生だ。簡単になくなる命。その一方で、命があ...

ハブア、ナイスデイ。

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  人との関係は立場があるから、つまずきもあるのだと思う。 少なくとも、それに対処し賢く立ちふるまうことは、私には到底できない。 一方で考える。 報酬はなくとも、だとしても、この経験は良かったか。 良かった、と思う。 私は、もっとずるい人間だった。 人を傷つけて、笑ってもいただろう。 大切なことを知った。 さつまいもの天ぷらをトースターで温め、中農ソースを多めにつけて、一番搾りを一缶。 色々あるもんだ、と思い。この期間、苦しみがあったがそれと共に貴重な経験を現在進行でしている。自分の欲、と言えばいいのだろうか、何かすげえという気持ちがよく先立って。でも、今でもすげえ、と思っている。ありえないだろう、という気持ちの高鳴りと、まて、結構恐いぞ、という自分のアラート。もっと小さいやつだっただろう、という分相応。やはり分相応は心がけないといけない。でも、その上で気持ち良く生きるのだ。生きる上でよくミスするし、間が抜けている。それでも、経験としてきらりと光った時はいい物が出てくる時もある。幸せになれよ、とアラートが言っている(酔っている)。苦しかっただけに。何とかなればいいのである。 明日は、砂浜の海岸でギターを弾き、詩を考える予定だ。何か楽しいことをそれに加えてしよ。忘れなかったら、日本酒を買お(^^♪刺身も買お。幸せな日を予定しよ。

サンドウィッチから、思いを馳せはじめる。

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  頼んだサンドウィッチは、パンがフカフカで。 味付けがよく、 齧りついても、ぼとぼと具は落ちず。 だからなのか、 詩を書いている今、感じてみると、 丁寧なそれに思いを委ねる。(パンさん、つまりサンドウイッチさんの美味しさに今日のその時間の思いを委ねたい気持ちです。) 具に、明太子をトッピングしておいて良かった。 サンドウィッチの写真を撮っておけば良かった、と思っている。食べながらテンションが上がって行って、食べ終わって感動していて。食べる前はまあいいかな、写真撮っていると思われたくないとかとも思っていたが、しかし、サンドウィッチが出て来た時は、こんな姿だっけと見てくれの存在感が私にとってはあって。以前にも食べたはずだがどんなのか記憶がない。そして、ハムとチーズのサンドなのでちょっと具が寂しいと思って明太子をトッピングで追加したが、ハム、チーズ、明太子以外にも具があって。パンは2つ、つまり1枚ずつのパンとパンとをサンドしたものを真ん中で半分に切られていて、己(おのれ)があって(つまり存在感があって)。明太子の加味具合もよかった。 写真撮っておけば良かった、と思って、初心忘るべからずだな、と。もっと昔は撮っていたんじゃないかな、と思い返す。文章についても、ちょっとどこか、鼻が高くはなってはいないと思うのだが、もう成っているというか。そのような心持ちになっていて。この無職の時間の間に、積み重ねているとも思うが。これまでの時間、今思うには、それでいいんだ、ということが印象的で。谷川俊太郎さんと、糸井重里さんが今思い浮かんで、それぞれの場面で出会ったことは、言い表しにくいこととか、綺麗に言わないといけないとか、そういう局面で子供のようにというか、なんて言えばいいのか簡単だけれど柔らかい言葉で表して出してしまっていて。というのを目の当たりにして。正確には言えないけれど。自分がそれができるかは、よく分からんけれど。真似することはあるからな。勉強になったなー、と思うんだよなこれまでの時間。写真なんて、考えてみればいいのか、ということを情報で受けていて。見直して、ほんとだ、と思ったり。ギターのイメージなどの練習方法など何かも、すげー役立っている。文章に考えを戻すと、この期間本はそれなりに読んだし、図書館で詩集とか句集とかを借りて、読んだりしていたな。詩はこの期間になるまで、...

やる気はなかなかある。

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  今日はイオンで買い物をして、色々買ってしまった。白いアスパラガスの見切り品があり、今、昨日わかさぎをフライにしたバッター液が残っているので、パン粉も油も残っているのでアスパラガスをフライにしてビールのおつまみにしている。牛肉が安くなって、それを買い小分けしてラップに包んで冷凍庫に入れている。今日の牛肉のわかめ蒸しのために一部残している。しかして、今日は朝昼共にちゃんと食べているので、夕食を控えめにしなければいけない。なのにしかし、ずっと冷凍庫に入れてあったタイ産ではあるが鴨肉を昨日から冷蔵庫に移し、解凍できているので鴨肉を刻みしょうゆでもみ込み、鴨ご飯を現在炊飯器にて調理中だ。くうー。炊き上がったら白ネギを混ぜ込み、山椒をかけて食べるらしい。くー。 ステーキを食べようと暫く考えていて、しかし朝、昼を以前より食べて、夕食をほんとに若干だが、以前より減らしているので、思ったより食べる気がしない。ただ、舌に歯の跡が残ったままになる症状がましになってきている。朝、昼の食生活が良くなかったのかな。少なくとも、食べる物のバランスが。夕食を極端に食べたり。うむ。しかして、食べ過ぎにもなって来ているので気をつけたい。運動が少ないが、頭を働かせていれば、エネルギーを消費してくれるかな、とか妄想している。そんなに頭、働かせていないけれどな。寝てばかりよりは、最近は起きて何かしている。別に寝ててもいいけれど、と思うがやはり以前より眠れない。年なんだな。適度に眠れて頭もすっきりしている。じゃあいいか。今、鴨ご飯が炊けた。 負のことを書くと、自分の疾患と共に薬も影響してか、頭蓋の表面にちょっとずつ線が入るというか、でこぼこにというか、なっている。昔のある時期からなり始めた、後頭部の縦の線が何とも。プロディジーというバンドがあるが、プロディジーはあまり聴かなかったしよく知らないが、初期のプロディジーのボーカルの人の大分ましなような頭になっている。全然ましだが、洗面所の鏡に手鏡で反射させて後頭部を見て、手で髪をちょっとなめして分けてみると、若干のプロディジーになった。ましではあるけれど。この頭蓋の線が入るでこぼこは、みきみき、と感じることがあって何年後かに見ると、やっぱりかあの感じ、と言う状態になっている。仕事を辞めて髪の毛の薄くなっていたところは、生えてもきたのだが、変な線と言うか...

静かな土曜日。

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  アコースティックギターのチューニングが狂っていて、 音を合わせる。 鳴る音は箱が大きいので、太く大きい。 感情も、震えたなら、 空気や心は響いて、ここちよく。 詩を書く、文章を書く。 時々、外に出て色々を思う。 少しずつ、暖かくなってきたと。 桜が大分散り始めている。まだ冷える時もあるけれど、暮らしやすい。夜はちょっと寒いな、と思ったら湯船に浸かると気持ちが良い。シャワーを浴びるだけの日も特に早めに風呂に入る時は増えてきた。部屋がごちゃごちゃしていて、買った本が何処かに埋もれている場合がありそうだ。目に付くところに置いておきたい。 感情を出すツールと言うか、ギターや文章があることはとてもありがたい。やるからにはやるが、これが仕事に、文章のことが仕事になったら、心配性なのでちょっとだけだいじょぶかな、とかもそういうことも思う。最初はちょっと苦しみそうだな、とか思うが鍛えられたのは鍛えられたのだな。随分、苦しみを経験した。だから、文章を仕事にしてお金もその対価として貰いたい。文章に少しは自信を持ち始めているが、何度も心からありがたいことだ、と思う。あくせく生きていた時間も今では糧(かて)になっているとは思う。静かな時間を生き始めていて、子供が店に置いてある電池を並び替えて遊んでいても、店の人は何も言わないことに豊かさを感じたり。お母さんは注意したけれど。暮らしていて、ほんとに日本は平和だな、と感じる。色々なことに、支えられているではあるが。技術とか経済のこととか。 瀧波ユカリさんがえっくす、ツイッターで紹介していたSEIKO のなんて言えばいいんだろう、時計の横にスタート、ストップ、リセットとか何分ごととかにタイマーを設定して、カウントするなんちゃら時計をAmazonで買っていて。これが、タイマーなんてスマホや、腕時計のGショックのタイマーで計ればいいだろ、と思うかもだが、これがあることでギターの練習や英語に取り組むことの促しになっている。最近では15分は机に立てかけている子供の精神医学のこととかの本も読もうと思って、タイマーを設定すると読んでいる。瀧波さんが安くなっているよーと紹介していた、加湿器も取り扱いが簡単で、安くなっていて去年や今年の冬には随分お世話になった。うふふ。 最近、スーパーで売っているさつまいもの天ぷらをよく買っていて、オーブントースター...

深海にもぐって、るるる~。のような歌を思い出す。暫くもぐっておこう。おこられるかな。

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  自分にとっては、事象が大きいなと感じていて。 慣れもしたのだけれど。 ルーティンと言うのだろうか、 余す時間をやるべきと思っていることに、充てていると、 一日が過ぎ、満足している。 苦しくなれば旅に出ればいい。 でも、やるとしたことをやっている時間もいい。 そんななか、なかなかないことだぞ、と思っているなか。 ルーティンと言いながら、やると心がけていることをずっとさぼっていた。今日はやる気があって、読書をし、ウオーキングに出かけ、ギターの練習、英語、新聞を読むなど、私個人ライフとして、なかなか充実していた。ずっと、取り組んでいなかったので、詰まっていないというか、全てが気を入れて取り組むことができた。日々に続けていると、ちょっとしんどくなることがあるのよね。睡眠や休みは大切だな、と思っていてそれがあった方が、身体に身に付いている気がする。ここ1,2年くらいに気付いたこととしては、疲れている、脳が睡眠不足を訴えている時などは、私のパフォーマンスは自分が明らかに自覚できるくらいに落ちる。憶えていたことがいつもよりさらに出てこない、とか簡単な漢字が書けない、とか、ギターの演奏がめたくた、とか。漢字については、もともとそんなに書けるわけではないが、本当に簡単な漢字が書けなくなったりする。美味しいが書けなくなった時はびびった。認知症が入ったか、とちょっと思った。ぐーたら過ぎる生活なので、あり得る、と思って。 今日のように、やる気が満ちていて、その上でやるべきことに取り組んでいると、充実感がある。ウォーキング中に、セコンドから行こうぜ、という声掛けがあったことも、その後のやる気に繋がった。そういうことで、そういうきっかけで随分と変わるものだ。子供についてのことも、少しは本を読むくらいだがした。このあとに、こど看さんのYouTube くらい観ようかとも思っている。 本をネットで随分買っている。頑張る本、柔らかい本、楽しそうな本。今現在のやる気なら、やっていきましょうや、と前向きな態度で取り組めそう。 今、本当にワンオペ、というのかな人馴れはしておいた方がいいのかもしれないが、気楽だ。どうなるんだろうな、とも思うが、いつかのための準備くらいの気持ちで今できることをやっていこうと考えている。今日はギター暫く弾いていなかったが、思ったより弾けた、という思いがある。英語はある...

団子が正直最高だった。

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  やさしくて、どこか爽やかな、そのような味噌汁が作れたらうれしい。 自分で作った食事が美味しく、横たわって伸びをすれば幸せに、その日を過ごせる。 もし、友人がいて連絡があり、 元気にやっている、と受けたなら幸せだろう。 人はたぶん、一人では生きていけない。たぶん。 宇和島に行ってきた。いつからかの、桜の写真を撮る。花は散り始めていたが、去年より気持ちが落ち着いていい、良い、気持ちになった。おう、桜だなー、と。天気も良かったし。 花も団子もということで、ほづみ亭にも行って海鮮丼を食べると、とても美味しかった。実を言うと、ここ幾らかの春の前にも行っていたほづみ亭の料理は、そんなに、という感想であったのだが、今回は前回は、甘いな、と思っていたおつゆが、こくを出すために少しはみりんくらいは使っているかもだが、まず甘くなかった。美味しかった。何より海鮮丼。魚が好きな人であれば、小魚を使っていたり、湯引きをした切り身が乗っていたり、盛り沢山でしかも新鮮であったので、テンション上がる。とても、満足であった。値段は結構するけれど。でも、せっかくなら。そして、とても満足。 身体がはぜたご老人の近くには、こんなご老人も。幹が曲がりながらも花を咲かせ、支えもいらず。高齢化社会だけれどがんばっていこうぜ、桜のご老人。老若男女、休みながら、やっていこー。余裕があるから言えるんだけどね。

地球を中心に友達たちが手を繋いでいる。

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  強くなければ、いけないのだと知る。 生きていれば感じること。 陽に照らされた、桜の花。 草はらに横たわって眼を瞑ること。 色々なことがあるのだな、世界は、と感じている。日の差す午後に桜の花を撮る平和。もそもそと近くのコンビニで新聞を読む、時間。今日はアスパラガスが安かった、冷蔵庫の余りものも入れて、リゾットにする、という楽しみ。世界はネットワークで繋がっている。だから、自分ももっと知ろう、他者のこと、いつか友達になろう、優しい異国の人と。

前へ。

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  生きているから、感じること。 寂しいから、子供に何か伝えたい、と思うのか。 気持ちいいから、あんなに。 静かな気配がやってくるから、本を読み。 美しいから、 (様々なことがある。現場に立つと必死である。) 気持はのんびり、しかし、前へ進む。