投稿

7月, 2025の投稿を表示しています

夜風

イメージ
  時が流れ、時は戻らない。 夏が来て、 今年の夏。 肉体は季節を巡って、穏やかに吹く夜の風。 (目が覚めてそれから眠れない。睡眠に失敗することが多くなっている。年を取ったことと、疲れていないこと。)

夏の雰囲気

イメージ
  夏を過ごす。 今日の夕食の予定、 梅酢のから揚げ、とうもろこしのすりながし、サラダ、白飯。 部屋は冷房。 少し外を歩くと、うなじに汗。 公園に子どもはいない。 なつやすみ。 住宅地で写真を撮ってはいけないと思いながらも、時々撮ってしまう。いつかには、花が綺麗だな、と近づいて写真を撮っていてそこの家の人が車に乗って帰ってきて。家の窓とかは写真には入らない背の高い植物で覆われた花壇だったのだけれど、やっぱり感じ悪かっただろうな、と。気を付けよー。 一時期AI をよく使っていたのだけれど、ある時からパソコンでのAI がおかしな音が出て、ブブー、みたいな。なんだ、と思って使わなくなった。それから、2月くらいかなパソコンの画面がブブー、と激しく揺れるようになって、使えなくなった。なので、新しいパソコンを購入して、しかし習慣がなくなったようで、AI を使う頻度が今はかなり少ない。ちゃんと、AI と向き合う時はパソコンでだったので。でも、またAI に色々質問しようかと思っている。英会話もできるだろうし。スマホでは時々、質問していたけれど。 食事を一時より食べるようになっている。食べ過ぎではない。そして、今年の夏はまだばてていない。それと、食べるようになってから、生活にて元気であることが多い。もうちょっと痩せないといけないが、やっぱり炭水化物を少なめにするのがいいのだろうな。まったく食べないではなく。そうであるが、ポテトチップを時々食べている。幸せなひと時だ。 kindle でいくつか購入した料理のレシピをそんなに使っていない。もっと、使うようにしたい。せっかく購入したのだから。スマホは常に持ち歩いているから、材料が何が必要かも分かる。スマホでスクショしたレシピの数々が私のスマホファイルには沢山あって、哀しいかな、いざ使いたいときに、どこにそのレシピがあるか、とても分かりづらくスターマークを付けたものも、最初探すときにスクショ画像が小さく探しにくい。なので、何年か前に中古のタブレットを買って、そこでスクショをして特にその料理であることが分かる、写真も意識して撮って保存してある。料理のスクショ専門のタブレットだ。しかしこれも、いざ使いたい時にバッテリーの残量がなかったりして、なんやなんや、と思っていた。そして、最近は藤子不二雄キャラのリングのノートに料理のレシピを書き込む...

遊ぶ。

イメージ
  自転車を使えるようにしておきたいと、思っている。空気を入れたら乗って走りはするのだが、ギアが下手するとチェーンが外れるかもという、状態だ。今日ぐらいの天気であれば、自転車に乗って気晴らしにソフトクリームを食べに行けるし、有料の駐車場が必要なエリアでも自転車ならば、その店に気軽に買い物に行ける。歩きは、ちょっと暑いかな。今日は歩きでも道後の商店街くらいなら行けそうだけれど。まだ、外を覗いてみて危険を感じるくらいの雰囲気はない。去年は駐車場の自分の車で作業をするために、ベランダからまず様子を見てみると死を感じた。なので、作業をするのはやめた。私の住むマンションは石手川が近くにあり、その影響で今日なんかは特に昼でも冷房を使わなくても扇風機で過ごせる。今日は特別かもな。 久しぶりに朝釣りに行った時に、朝の太陽を受けて顔の肌がぱんぱんに腫れた。腫れたのは別の原因かも知れないが、ちょっと調子が悪くなった。少しだけ痛くもなった。今は大丈夫。夕方のお風呂上りに薬を塗って、寝たので。アトピー完全に治癒したい。 随分、本を買っている。まずは、買うより読むことに重きを。それと、再読も意識した方が。文章についての本なんかは、再読の必要、目的があるから付箋のついたところは読む、読んでいる。改めて、なるほどと思ったり。宮島に遊びに行ってから、本もまたそれなりに読むのが楽しみになってきた。モンテッソーリの本は、人間の特徴、性質が子供の年齢段階などについてなどにも分けて書かれている。講義録や実践論などの本はそうだ。机に置いてある本はそれを受けて、どうしたらいいか分かりやすく書かれていて、また読み返してもいい。旅に出て、読みかけの実践論は頭に入りやすくなったし、興味も体力があってむらむらと湧く。ただ、それらは自分でかみ砕いてどうしたら良いかを考えないといけない。今はただ・・・。←SIAM SHADE の曲で、他の曲はそんなに知らないのですが、今はただ・・・は好きです。ユーチューブで知りました。 マイペースで生活をしている。そして持続する。そして楽しんでいる。苦しんだりもしながら。それも最近は苦しみについてはまだましになっている。夏は、旅に近場も含めて幾つか行く。楽しみだ。釣りも夜釣りに行こう。何だ、結構予定があるし、忙しいじゃないか。ぷーたろーにしては。夏らしい食べ物も料理を作って食べた...

夏野菜スープ

イメージ
  自覚のないところで、食欲が減退していた。そして自覚し、変な流れになるといけないな、と思ってコープで生産者コーナーで元気が出そうな夏野菜を多めに買い、ちょっと値がするかという、正式よりは安い桃を買い。夏野菜は、挽肉と共にスープにして、実家で貰っていた最後のモロヘイヤも入れ、元気、元気と思いオリーブオイルを熱してスライスした、多めのにんにくをそこに入れ、十分に熱したところでスープに入れ、食するとこれがたまらんと思うほどに美味しかった。まさに元気、元気になるであろうのことであった。自分が食欲がなくなるは、さほど経験のないことだ。びーけあふる。 さらに、コープではっと思いサラダ巻きあるかな、と冷蔵の地産地消コーナーに向かうとなかったのであるが、普段お見かけしない柑橘のジュースが何種類か並べられており、何か美味しそうだなと、甘夏のジュースを1本コンパクトな大きさであるそれを、チョイス。他にも河内晩柑とか何やらあったが、まずは1本と思いレジコーナーで生産を済まし、車内で甘夏、ストレート♡ジュースを飲むと、自分の状態もあると思うが、激的に美味しかった。染みわたるわー、と思い、西予市のその会社に感謝をする。濃縮還元ではなく、ストレート。 これらを書くと、ジュースがはけてしまうかもしれんが残っていたら、全種類今度買ってみようと思っている。ネットで味彩という会社なので、そこを調べてみたが紹介しているのは、柑橘の種類が少なく、常に提供ができるのはそれらなんだろうな、と思い。これは、愛媛に住んでいる特権だと行くなら明日コープに行って1つずつ全種類購入する予定だ。 はるみちゃんの和風ハンバーグは結局作っていなくて、材料も買っていなく、そんな中明日は餃子が食いてえな、と思い始めている。えぐじすと(存在するってことね)食欲。あと、お酒を飲んでいると食欲が湧くね。適度くらいに飲んでいると。 明日は部屋の掃除をする、を念頭に入れておく。冷房でしのげるからだが、夏は好きだなー。

岩ガキ、とてもいいガキ。

イメージ
  風鈴の音が微かに聴こえて、 涼やかな音色。 暑さからか、人も静かにいない。 暗闇の路を歩き、 汗を垂らすことを思い出す。 その夏のぬくもり。 昼間はもう冷房を使っているので、暑さというのは感じず。夜は今のところ窓を通気するように、2か所開いていれば風が涼しく通るので、開いたまま薄い布にくるまって眠って。朝に、朝もそこまで今は暑くは感じない。夏の好きなところは洗濯物が溜まってそれでもさぼっても、次の日も暑く晴れなので、そこで洗濯機に任せれば干してどんどん洗濯物が乾いて行くところだ。 最近は遅めの朝に起きて、家でなんやして外に出て、思いついたことをするという、直近のことだな。最近、直近。本を暫く読まなかったら、もう脳がそうなっているのか、読みたくなってくる。容量は大きくないが、そういう脳の癖がついたみたいだ。苦しくなる時は苦しくなるんだけれど。 昼近くの午前にイオンに行って美味しそうな、ほっけの干物とさんまの干物があったので購入した。ほっけは今日の夕食に食べる予定だ。大きいのよ。焼くだけだから、直ぐよ。とうもろこしも買って、今炊飯器でとうもろこしご飯として、炊いている。そろそろできるかな。 急にあっさりめのハンバーグが食べたくなって、明日和風ハンバーグを作ろうかと考えている。さんまの干物はまだ持つし。はるみちゃんのレシピね。大根も冷蔵庫にあるのよ。おろし大根ね。それと和風のソース。 短い小説を書いたから、また文章を伝えるための用意の時間を設けようと考えている。自慢のようなことではなく、いざという時に、ここだ、という時に伝えることができるように準備ができていたらいいと思って。書いた小説は苦しみはしなかったが、気持ちは込めた。この夏のうちにもう一編書いてもいいか、と思っている。マゾヒスティックなところがあって、ちょっと苦しみたい、と思いに浮かんでいる。ただし、軽く苦しむくらい。エネルギーが枯渇したり、何とかエネルギーを湧かしたり、やりくりしている今。そこもマゾヒスティックで、うふふ、何かいい、と何とかなっているからだが思っている。しかし、今はいいが苦しみにある時は、何とかしてくれ、と切望している。なので、もう何とかして、というのが今でもの思いだ。おしゃれな、ちょうどよい大きさのリュックサックをネットで観かけて、いい、と思っている。自分の今のいいですよ、ラインの値...

冷雪

イメージ
  雪が沢山、沢山、降っていた。 ぽろぽろと、ふわりと涙する。 銃声が聴こえて、心が軋んで。 パアン。 ただ一つの音。 それから、幾年も季節は変わった。向こうの世界では、夏がやって来ているようだ。男は光でそれを確認する。だとしたら、ここも男の世界も夏だ。雪が降っているけれど、でもここも夏。光の世界に手を差し伸ばして、男の右の手が光に当たる。さらさらと皮膚と肉が砂のようになって、落ちる。骨が見えてきたところで、手を戻す。手は再生して行くが、そこには痛みが伴う。心に繋がっているのか、しかし涙は出ない。ただただ痛んでいた。 光に焦がれているけれど、身体も心も向こうには適さない。風や音はこちらにもやって来ていて、綺麗な声が運ばれる。 ここは暗闇。暗闇で目を瞑って、横たえる。夏だ、とても楽しそうな夏だ。闇では火も電気も使えない、探しても見つからない。 暗いからいつ眠っているかも分からない。これは眠っているのか、起きているのか、判断ができない時がある。ただ、向こうにある光が見えた時、生きていることを確認する。手で自分の身体に触れて、あることを知る。何度それをしたか、記憶もない。わたしの記憶は暗闇に入ってから、光の時のままだ。ほとんどはそれだ。 夏に雪が降る。わたしが忘れないために。わたしは闇の住人になっている。わたしのこころは止まっていた。 パアン。 その子が悪い手を使ったと知っていた。わたしの愛するものの口に憎しみが滲んでいた。 わたしは猟銃を向けた。 信頼した目だった。そんな目のまま、ぽろりぽろり、ふわりふわり、雪に血が流れ染みこんだ。 それから、わたしは希望した。闇にあれ。 わたしは闇にいる。闇にいると感じることを忘れそうになる。わたしを包んでいる、わたしを離さない後悔や憎しみさえも。ただしかし、光から聴こえてくるのだ、明るみの夏の音。救いを与えてくれるような声。水に浸ってみたい、太陽を感じてみたい。ここの雪は時が動いていない。あの時のままだ。忘れかけている感じることは、ただ冷たいということ。だから、忘れないのだ。憶えている。 わたしは忘れ去られていくのだろう。哀しいという感情が動いて、まだそれを忘れない。感情を手離すのがとても恐い。わたしの脈動の音は闇に。 わたしの命が枯渇するまで、わたしの不安や心地よささえも、何度も奪われていく。正気になどならない。わたしは告...

今はさすらいの。

イメージ
  今よく考えていることは、生活形態を変えるかということ。旅行に行くと、もやもやが消えてまたやる気になり始めているが、普段そんな大した用はないのに、ほんのわずかだが追い詰められているようになっていて。十分ゆとりだが、もっとゆとりてもいいのではないか、と。ただ、今までにやってきたことは身に着いたのはわずかだが、でも身についている。変化しているのだ。考え方だが、今回の旅行のそのあとの体験を活かして、もやもやして追い詰められているような感覚になれば、すぐ旅行に行っちゃう。それもありだと思う。いつもはできないが、何かに取り組む癖は付き始めていて、苦しくなってきたら、はい、旅行。ありだな。 今あるお金は自由に使っている。しかし、何度もだが自分で稼いだお金で服とか買ってみたい。しかしでもだけれど、その一方で訓練期というか、ある程度は買えるけれど、後ろめたいしとか思いながら、じゃあ、今やることは。みたいな今の時間が流れていて、自分のできなかったことを、伸ばす方に意識が向いていて。昔、あれだけできなかった、勉強もしなかった。そういうことを今、リターンというか。アナザーリターンというか。何しろ、苦しむ原因でもあるが、時間、があるのだ。 短い小説を書こうとしている。いつも小説を書いていない。なので、なんていうか、おぼつかない。ただ、気持ちは小説を書く気持ちになっている。忘れていない、気持ちをそこに投影していくこと。短いから苦しくもならないだろう。 ポテトチップのSALT&VINEGAR を食べてみたくて、ファミマに行ったがなかった。ULTRA GARLIC みたいにファミマに行ったらあるかな、と思ったけれど他のコンビニかな。 デブであるが、頭がでかく、妙に痩せなくてもバランスが取れると、美的感覚にて思っている。しかし、腹が出ている。これは何とかしたい。酒、によるところも大きいかな、とそれと、自分の体質でもあるかな。秋山好古(あきやまよしふる)のように酒は飲むが質素にと思うこともあるが、美味しい料理を作って、美味しく食べたい。また、お店で美味しく食べる、も幸せになってしまう、私の私へのマジカルなんちゃらである。 そのうち夜に釣りに行こうかと考えている。夜に釣りに行く機会を夏の間に幾つか設ける。夕方になってくると、お酒を飲んでハッピーになる習慣だが、今現在もそうだが、そこを変えて、...

晩夏、夜

イメージ
  夜、窓を開けると風が通って、 一人、静かになる。 思い出は色々あって、 これからも、思い出を経験して行く。 状況もあるが、 生きていることに感謝している。 よく寝入っていた。昔のように眠れないと思っていたら、かなり眠れる。人との刺激がないのだなと理解できる。ちょっとした刺激で深く眠り、何かを解消しようとしていた。病も関係はしていると思うが。 失礼なことを言ったなと思ったな。自分をコントロールすることができなかった。人のことは人のこと、自分のことは自分。 今日は夜、これは眠れないのだと分かった。すごい眠っていたから。しかし、すっきりしている。眠剤を飲もうかとも思ったが、今までのパターンであると眠剤を飲んでも眠れないだろう。 食べることが好きだ。やたらに食べることはなくなったが、スーパーで買い物をしていると気持ちが上がる。あと、何のメニューにするか紙に書いているとき。 希望を見るのが好きだ。最近、あまり見かけていない。自分で何か作り出したら、見えるだろうか。 大したもんでもなかっただろう、と聞こえて。馬鹿にされるのは嫌だけれど、確かになー、と思っている。状況は変わった。自分も、変わっただろうな少しは。毒気は抜けたな。現実世界にざぶん、と戻されたら、どうなるものか。 この感じ。静かになる感じ。夏の間に掌編小説を一編書こう。エネルギーがあるか、どうか。おかしくならない程度に。病持っているな、と自覚している。 色々な過去が嘘みたいにも感じる。少なくとも甘えていて、ぐだぐだしていたころ。ぐだぐだは、今もか。 それなりに元気にやっていく。それなり、で自分なりにベストを尽くしたい夏。

今はかなり自由がある。時々、人と話したいと思って。どんな風な自分で話せるのだろうかと思う。

イメージ
  生きて、色んなことを知ったり、 感じたり。 勇気を持たないと、と。 過去に恐怖を感じたことを。 自分の性質の一部を経験して、 悔しいから。 生きよう。 楽しかったと思い返して、 生きよう。 すごい人のすごいことを見て、やっぱりすごいんだな、と思って尻込みを感じたが。その作品もその人の中から、奥から呻きという声を上げて取り出したことなのだと考え、だからこそ何かを感じるのかと一人納得していた。その人の選りすぐりなのだと。 ネットの世界ではいい環境に、かなりいい環境にいるな、と思い。すげえ人たちが、時々なんかいいことを言ってくれる。これは兎に角すごい体験で、直であたっていたとしたら自分どんな反応するんだろうな、と。現実に生きている自分はそこまで自信を持っていない。ネットであるからこそ、うれし、としみじみ噛みしめている。 生活の形態をどうしようかと、ぼんやり考えている。自己の容量が大きくはなく、最近していたことを続けていると外部から見たら十分余裕があると思われるが、余分に何かを取り込もうという気がしなくなって。夜は寝転びながらスマホばかり観ている。続けていることも、そんなにいつもしていないのに嫌にはならないのだが、時々頭が重くなる。今回は旅に出て、普段どういう息抜きの仕方をするかな、と考える。食べる、はすでに食べ過ぎなのでやめておきたい。ちゃんと食べているし。ドライブ、はいいね。釣りもいい。時間を上手に使えていないのだろうな。外から見たら、滑稽なのだろう。うーむ。続けていることも、嫌にならないようにを大切にしていたので、楽しむ工夫を。ギターを練習する、が嫌なことって最悪だと思って。目標はおじいになっても弾いていて、しかもかっこよく弾けるように。まあ、でも旅に出てかなりこころ晴れやかよ。頑張れそう。

宮島へ。

イメージ
  広島の宮島に1泊してきた。汚い部屋で皿洗いをしていた時、眉間に手を当てて頭が重くなったのを感じて、これはさっさと旅行だと思いブッキングどっつコムで宮島の宿を予約。車で走る。 まだ日本では夏休みにも入っていないので、日本の観光客の方もいるが、異国の旅行者が多い。 宮島には最初のブログを始めた時期にも行っていて、大鳥居って言うんだね、海にある鳥居は。 宿には夕方頃に着いて、1回外に出て、戻ってシャワーを浴びてご飯を食べて、もう1度外に出る。暗くなり始めていて、蝉が明るい時よりすごく鳴いている。海辺に着くとかすかに、本当に小さくヒグラシの声が聴こえてきた。私の季節の認識は完全に夏になった。夏の海辺を歩く。 時が暗くなる。 みんな大鳥居の前で夕刻を過ごしている。見る限り、殆ど異国の方たちだった。 海辺の風や、 海の香り。 夜に変わり、ゆく、 姿を。 異国の少年たちが、海辺で水遊びをする。帰りにも小さな小川で異国の少年二人が水遊びをしていた。私も水遊び好きだった。 海辺で水遊びをしていた少年が、グランマ、と呼んでいたご婦人が私の隣の石椅子に座って、私の存在を知っていそうだと思っていて。しかし、少年たちの遊びながら僅かに話す言葉もよく聴き取れず、ご婦人に話しかける勇気はなかった。この日は雲がいくらかあって、夕陽が水面を大きくは照らすことはなく、水面の色が変わるかなとちょっと見ていて少し変わった時があったがそれからは、ただ暗くなってゆき。どうしよう、このまま神秘的な様子を見る風にここにいようか、とか思い始めていて。そればかりを考えていて、結局さっと他の場所から写真を何枚か撮って宿へ帰る。帰るときに、グランパも1度すっと隣に座ってくれていたので、すれ違ったときに、にこっと笑顔をしておいた。優しそうな人であったので英語が堪能なら会話をしてみたいものであった。多分、私の存在を知っていた。しかし、なんてしょぼいのだろうか、私はそれでもそんな自分を認めたくはない。 次の日は歩こう、と思って山側を歩いたりした。 ある程度運動できたな、と思ったので昼前にフェリーに乗ってそして、広島市内へ。街をぶらりとして、好きなカレー屋さんがあるのでそこでカレーを食べる。美味しいなー、さわやかだなー、と思いながら味わうことができて、うれしくなる。歩いていると、文房具屋さんがあったので入ってみると、...

エモいって最近も言うのだろうか。

イメージ
  ピータンに昨日の残りの刻んだパクチーを乗せてゆずポン酢をかけて、井上屋で購入した芋焼酎で一杯やっている。氷を入れたグラスに焼酎を入れて。最近は時々すごいではなく、でもちょっといいお酒を購入することがある。気分がかなり上がる。お酒もバリエーションがあって、もともと買い物好きの私は、説明書きを見たりしながら、どんな味がするんやろ、と楽しみながら購入している。ワインって、ちゃんとしたお酒屋さんに行くと、かなり種類があって、何が何やら分からんところもある。そういう時に、的確なリコメンドが書かれたワインで、ほんまや~、と飲んで確認できた時はなかなかの体験になる。いつかの正月に感じたこと。 あんまり、読んでいる人のことを想像していないが、読みにくいな、と思っているのであるとしたら、ならば、したらば、たられば。書き方を変えてみようとも思う。確かに、インターネットで自分も読む記事は、ブロックごとに分かれていた方が読みやすい。一つの記事の段落を追うことも、あ、さっき、読んだ段落だ、とか、飛ばしてしまったとかあるのかな。自分はもっと以前は段落の読み違いがよくあって、今も時々あるな。 note などに書かれているように、ブロックごとに書くのは自分としては面倒で、思い付きのままずらー、と書くことはできなくなる。しかし、自分が他の方の記事を読む場合、ブロックで話のまとまりを分けるのは読みやすい。 考えてブロックに分ける時と、思い付きのまま、ずらー、と書く日とで混ぜながらやってみようか。 やってみようやってみよう。 ところで、今日は何か話題はあるかな。 そうだな、話題というか、すっごい深くエモーショナルになる音楽教えて。CD でも買えるやつ。 どこから、リアクションが伝わるのか分からないけれども、教えてくれたら、どもどーも。

新しい朝が来た。

イメージ
  いのちの喜びを。 知るときがある。 いのちの喜びは、 いのちが響いている。 そんな喜びが。 この生活を続けて、別にさっさと楽にこの世を去れるならそれでもいい、と思い始めていた。しかし、何かが動き出した今、私の中にある何かがもっと生きようぜ、楽しくいこうぜと言っているような気がしている。どこかで見かけた、命の喜びも知らずに、亡くなっていく子供たち、と見て。30代前半くらいかな、までに若さの色々を経験して、それって喜びかもなと思い返して、想像して。私は恋とかそういうことが抜けているけれど。いや、恋はしたことがある。ともかく、若さの頃よりはまあ、そういう時がきたらしょうがないか、と。思おうとしたが、今は生きたい。しかし、エネルギーに満ちた若い頃、感情的にも楽しい頃を経験せずに亡くなる。生きたとしても、なんで生きているんだろう、という環境。いやだね、そんなの。日本で暮らしているだけでも、色いろと苦しいことがあったりする。でも、世界ではそんなことを言えないレベルの境遇にいる人たちがいる。私は早朝に目が覚めて、まだ暗い中に猫のけんかをする声を聞いて、いるな、と思って飲んでいなかった薬を飲み、スマホをちらっと観たためにそれからは眠れず。カメラにある写真を選んで現像して、ブログを書き始める。猫の声は止んでいて夜が明けてきて、からすとすずめの声が聞こえる。幸せだな、平穏だ、と思いながらキーボードを叩く。確かに幸せだ。 毎週のいいことをしているルーティンは、だいたい土曜日にラザールでモーニング。山を越えたところにあるラザールは、メニューの幅が広い。その日は軽く読もうと思った本をチョイスして、がっつりではなく読む。今は13歳からの地政学を読み始めている。知らなかったなー、という話。知らないことが多い。楽しんで読んでいる。昔、聞いたことに近い話だ、という箇所もあった。日曜日は近くの食事処で、お昼に親子丼を食す。ちらっと見た月見うどんとかも美味しそうだな、と思ったことがあるのだが、親子丼を食べることにとにかく飽きない。幸せな時である。この2つが暫く固定化しているいいことのルーティンだ。 文章を伝えることの準備の時間は、後回しになることが多かったので、スマホのカレンダーのやったことの印に加えることにした。読んでいた2冊の本の付箋のところを読み返していると、参考になるわー、と。自分の...