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6月, 2018の投稿を表示しています

暑い。

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暑いです。写真を撮っていたら雨も降ってきました。 今日は気分を変えて喫茶店もしくはスターバックスで書き物をしようか。自宅でエアコンをつけるのは抵抗がある。去年はがんがんにかけて手足口病になったし。原因はそれではないかもしれないが。喉が痛くなりだして罹患したんだよな。 だいたいのことにマンネリが始まっている気がする。書き物も行き詰まり始めているし。どうしたもんか。 こういう時は新しいことをする、と思ったが、おでんを食べるくらいのことになりそうだ。アイスは最近になって結構食べている。ごく最近だが。 美味しい酢締めにした魚が食べたい。

蒸し暑い。

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これですね。 このコーンの部分。 フリーズドライなのか、そのまま食べてみるとサクサクして美味しいです。程よくコーンポタージュの粉がついて。 好き嫌いが分かれるかもしれませんが、このコーンの部分をスナックにしてはどうかと。 ベビースターの袋より少し大きいくらいの袋で、中に小さい洗剤を入れる時の様なスプーン(口に放り込んで丁度美味しいという大きさで)が入っている。粉が程よく付いていて。 好き嫌いが結構分かれるだろうし、採算が合わないかもしれませんが。 喫茶店は行っても良いことに決めている。銀のスプーンにステンドグラスが映っている。 生活形態が、乱れて自然に治ると思ったら、良くない方向に行っている。何か対策は、と思ってまたブログに起床時間か、と、ちらと思ったがやめておこう。自分自分になっているのがよく分かる。弱さを覚えた時に信仰が強くなる。そのままを経験として伝えてくれたのにそれに気付かなかった。

まず、スマートにはいけない質。

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一昨年より不真面目になっている。だらけすぎている、という訳でもないがマイペースが度を過ぎていると思っている。周期的に心は苦しくなって、その時はまず、部屋が汚い。普段が整頓されて綺麗なのか、というとそうではない。汚い時はとても汚い。 体重は相変わらず。昼はなるべく少ない量を今でも食べるように続けていて、要するに夕食を減らしたらいいのかもしれないが、夕食は楽しみなのよね。 悪いな、と思っているのは、つまらないきっかけで行っていた店に行かなくなってしまうことで。私が有名なんだ、ということを意識していなかったら普通に気にせず店に通うのだけれど、意識してしまうのだよな。周りはそんなに気にも留めていない、と自分で思えていたら好きにするのだけれど。過去を思うと皆知っていたのか、と思って恐ろしくなります。コーヒー屋さんも浮気したしなあ。かなり好きなコーヒー屋さんだったのだけれど、近くに駐車場があってこれも美味しいコーヒー屋さんを発見してしまって、そこで豆を買う様になってしまった。たまに街に出たら行こうかなとか、思うが尻込みをしてしまう。つまらないな。 また、会いましたね。あんまり写真を撮るとじゃまだろうから、2枚だけにするね。 本物という写真家の方たちも見ていると思うと、どこかでちゃんと撮らんと、と思うがさすがに出来なくて好きにします。自分の持っているカメラのこともっと説明書を読んで、研究しようかと思うこともあるが、しないな。自分で決めて意識をするようにしたらやりだすのかもしれないが、まだせず。チャンスではあると思う。プロでなくてもインターネットに載せる写真が私なぞより良い人は沢山いるだろうから。 図書館は今さらもう一度良いのだということに気付く。主な理由は料理の本が置いてあるからということ。料理の本を買う癖がつき始めていて、図書館のおかげでストップできそうだ。前に読んだ本は良い本だったが、刺激を求める若者は読まない方がいいな、と思った。書籍とか映像とかメディアとかは若い頃は特に影響を受ける気がする。それが、結果良かった、という場合もあるかもしれないが、良くない場合もあると思う。つまらないことを書いていると思う人もいるかもしれないが。 さて、習慣にしようとしていることを段々しなくなってきている。朝起きるのが遅くなってきていることが原因。時間はもったいないぞう。

松山市立中央図書館より。

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生まれ変わったなら、また、ここで会いましょう。 そう言って、あの子は家を出て行った。 いつでもやり直せる。もう一度、 そうやって、幾許かの年月が経っている。 あの子は私の手を取って言った。 今なら変われる、さあ、自由は寂しいけれど意味がある。 人生に意味がないなんて、大嘘つきの戯言。だから、ほら、温かい飲み物を飲んで元気を付けて。 年月に愛想を尽かせて、あの子は出て行った。 生まれ変わったなら。 もう夜に深く浸るのはやめよう。哀しいブルーズもほどほどに。 そうして、また、時が経って行く。深く眠ると、昔の類友からポストに便りが届く。 「どんな風に?」と書かれたハガキ。 分かりやすいのがいいな。そう呟いて、人肌のこの温度に溺れ行く。

どうなるのかな。

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またよく寝た。気持ちが良いくらい。そして、よし、やるか、という気持ちになってきた。だめになるくらいの一歩手前の感覚は好きだ。夜の気温が低くて眠りにすうっと行く感じだ。夢を見て若干覚えている。じゃあ、どうぞお、と眠りに身を任す。久しぶりのあの気持ち良さ。ただ、今はそれをするとじゃあ、そろそろ行こうか、と軌道を整えることができる。昔はそのまま、やられっぱなしのところがあったような気がする。忙しい人には申し訳ないね、と思う。軌道修正を必死にやり繰りしているだろうから。お金がなくてかつかつでやっている人にも、私はその経験がないです、と思う。私がかつかつでやっていたら、肌がずるずるだっただろうな、とかは思う。好きにやっている。こんなことができるかもしれないんだよ、って言えるようになるのが、私の想像上の今の所の理想だ。あくまで理想で、もっと必要なことはあるだろうけれど。今は目立つ快感を得てしまっているけれど、それがなくなっても私は生きる力をそこで得てみたいんだよな。少し番組を観ていると大変そうだけれど。それくらいの知識しかないし。

よく眠る。

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昨日は久しぶりに自然にすうっと眠りに入っていた。ずっと。天候のせいかな、とか思いながら、追われるものがない。日々に決めたこともさぼり。書き物も中断。まあ、いいか、という気分。海街diaryを観て普通のカレーが食べたくなり、出汁はにぼしと昆布を前の日から水につけて、最後にかつお節を入れて沸騰させる(今日の料理で料理酒を大さじ1杯を入れて昆布は沸騰しても取り出さないをしていたので、それを)をしたことと、セロリとにんじんをフードプロセッサーで撹拌して玉ねぎと炒める以外はよくあるカレー作りの方法で作った。ルーは印度カレー。美味しかった。スパイスで頑張って作るより美味しいのではないか、と思ってしまった。また、味の方向性が違うのか。万引き家族も必ず、観に行く予定。 サンフルーツのはちみつを入れて炭酸割、を時折飲む。落ち着く美味しさ。 すごい人達がふとした時に触れてくれる。本当に何も持たなかった私に。 何をしているのだろうか。本来ならとっくに見捨てられている。

住みよく。

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周期的に心が苦しくなる。今回は部屋が荒れているからだ、とパソコンの部屋をかなり掃除した。暫く読まないだろう本は押入れへ。その部屋で過ごすと心は穏やかになってきた。他の部屋も掃除をしよう。昔、夜の街を外れて歩いていた時にショーウインドウの中にモダンなテーブルセットがあって、あまりそういうことに興味がなかったのだけれど、立ち止まっていいなあ、と思って見ていた。何で私の部屋はすぐに荒れるのだろうか。まあ、昔よりは掃除を頻回にしているので、徹底的にはしなくて良いのだが。図書館から借りた本を早く返さないといけないが、最後に読んでいる本が面白く自分の遅いペースで読んでいる。高度の密教の悟りを得たチベットの修行者は、呼吸も心臓も停止したまま、数週間にわたって、光輝く心の本質の中にとどまり、瞑想のポーズを保ち続ける。とある。なるほど、と思って聖書にあることも説明がつくな、と思った。あまり、こういうことを公に書くことではないかもしれないが。 昔なら信じることなく終わっていたが、不思議な領域があることを実体験をも通して感じている。脳に関することが多く書かれている。 気質・性格類型で3つあるのだが、私は、精神的受容性ないし神秘主義への志向、だと思った。 合理的唯物論の逆。詩によって感動する。他者とのあいだに、言葉にできないようなつながりを感じる。神秘体験はただの願望思考ではなく、リアルだと思う。科学によって説明できないものを好む。奇跡を信じる。第六感や超感覚的知覚があると思う。直観性と関連している。 クリスチャンになったからだな。

だから、だいじょうぶっす。

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今、ひとひら、 子供の時間 葉を透き通る 光が揺れて、 外はまるで。 走って笑っている。泣いて歩いている。 帆を張って、風をつかんで、 沢山のことを。 だいじょうぶ。 最初の写真はいつ撮ったんだろう、という写真だな。蛍を撮ろうとして結構光が入って、という写真だったかな。違うか。雨なので外を出歩いて写真を撮らなかったので、丁度良いのがあった。詩のイメージとは違うか。 それはいいとして、昨日、書いている小説が、ただ書いているものになってしまいそうなので、スターバックスで案を練り直そうとして、ひと呼吸おこうとした時に詩を書いてみようと思って気分を出して一応集中して書いてみた。最初から沸いて出てくる感じではないがずっと外をガラス越しに見ていて、小学生が帰りの最中で、植えられた木の葉が光に照って風で揺れていた。変な事件がまた幾つか起こっているので、変なことを書くのは良くないが、小学生とかってきらきらしているのだよな。命が、今からという感じ。色んな良い経験をして、沢山感じれば良いな、と思っている。学校の勉強も大切だが、情操教育っていうのはとても大切だな、と今になって思う。前の仕事場の人は教育の大切さを言っていたが、お勉強だけでなくそれを本当に思う。私は鬱屈していて、きらきらが特にまぶしくて、ただ変な奴にだけはなりたくない。だから今は嫌な事件が余計に嫌だ。 さて、何時からか基本最初は手書きになってきた私ですが、あの方が言っていたように、パソコンで打ち直すときに、感じというか字の硬さが変わってくるので結構表現が変わってきます。パソコンで書かれた字にしっくりくる方に合わすのですね。打ち直しながら途中で思い付いたり。 最後のだいじょうぶ、は私が子供に返ったときに右手を握って、胸に当てて、ずっとだいじょうぶ、てやってたんですね。自分に戻ったときに気付いたんですけど、だいじょうぶ、は昔母親が私に対してしてくれていたことなんです。短い小説でもダイジョウブ、と書いたりもしました。愛されていたことを気付いて、確かに愛されていて、今の自分でいられるのだと思っています。

サンフルーツ

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昨日、置き売りの場所にサンフルーツという柑橘が2個150円で売っていた。愛媛にいるのに1人では柑橘を買うことが少ないのだが、試しに買ってみた。一つ一つ剥いて手がべちょべちょになるのが嫌だったので2つに分けてジュースにしてみることに。果汁とはちみつを混ぜて炭酸で割って氷を入れる。ふんふん。美味しい。酸味が少なくて大人の味。どんなのが大人の味か分からないが。売り場にまた行ってもう1組購入。ちょっと果実を切って果肉も食べてみたが、果肉のままの方が酸味があって、それはそれで美味しい。はちみつでまろやかになるのか。 少し、不安だなくらいの気持ちがある。テレビの前で偉そうに色々言ったり、人前でも何や、と言ったり。自然な気持ちではない気がする。が、種類が違えどそういう気持ちの不安への変化は結構経験している。普通に。不安に関しては小説に逃げ込めば良いか、と思う様にしている。さあ、今日はすることはさぼってカレーを作るか。私がアレンジを加えるとだいたい残念な結果になる。