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9月, 2020の投稿を表示しています

最後に頑張れ、とわらう人たち。

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  見たことのないことと、忘れてはいけない、と思っていること。 見たことのない光景が、それはあるとして、 美しい眼をした少女は、命がその眼にあって、 希望を離さない。 写真で見る強い眼差し。 希望を離さない。 見ている内に、 書いている内に、 その命が伝わってきて、わたしも頑張ろうと思って、 わたしも同じ人だよな、と思うから、 だから、頑張ろう、と思えた。

便り

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  たとえ、どんなに。 どんなこと。 思いがあって、病だとしても。 強くは無理だとしても、 それでも、純粋になって行く、研がれて行く、その 優しさが便りとして小さく吹き抜けて、 私のお守りという人の優しさを。 それがあるから、 私は多分、今も私でいることができる。 それは何? とても大切なことのように思えて、それを手放すつもりはない。 自分の自覚以上に広めているのですよね。SNS リアルな暗くなることを書いてしまうのだが、どうしたもんか。2面性か。私は生きますよ。まだ、見ぬ明るい、だけではないかもしれないけれど、未来が待っているのでね。方向性を変えてでも生きましょうね。 無意識は本能的な物らしくて、何に動きだすのか分からないのですが、一つやってもらいたい、ということがあります。おまじない、くらいに思ってくれて、でも心の片隅にそれを持っておいてほしい、と願います。 結構実はやっている人もいるのではないか、と思っているのですが。対象を若者とすると。もちろん、その限りではないですが、文房具屋や雑貨屋で自分がおしゃれだ、とかかわいいな、とか感じた気に入ったノートを買います。一冊。そして、時間を作ります。夜がいいですね。静かな一人の時間を作ります。心を静めます。感覚を働かせていたら、あ、今自分が静かになっている、という時に気付くと思います。そうしたら、聞きましょう、自分に。心の奥に聞くのです。将来、自分はどうなりたいか、何がしたいか。夢、ですね。よく、聞くのです自分の心に。本当の自分がしたいことを。クリスチャンなら、私は無意識の領域に聖霊なる神様はいて下さると考えているので、その声も聴きます。静かに探って聞くのです。自分と聖霊なる神様の声を。その時点の答えが出たとします。あせらず、その日に出なかったら、他の日にしましょう。そうしたら、ノートに書きましょう。その答えを、どうしたいかを。 私は23歳の時にこれをして、その時の夢が「世界の食糧危機を救いたい」でした。完璧に正確ではないですが、これです。今の所その夢はかなっていないですが、その時点の私はふざけた人間でしたが、確かに静まって出した答えでした。 おまじないのようですが、人の無意識は本能的、だともう一度書きます。だから、無意識に良いものを沢山落として行きたいですね。夢を書いたあとは。

生活について。 釣りの余韻。

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  病院の待ち時間に雑誌に載っていたレシピ。1回しか作っていないが、シンプルで美味しい。ちょっとした、よくあるブランド鶏とかで料理してもらったら美味しいと思う。 スズキを昆布締めにして、食事前の晩酌として今日も食べた。明日に残そうと思ったが結局全部食べる。そこで昨日から思ったことなのだが、わさびとか、しょうが、今日は余っていた粉から水を足して練る西洋わさびを付けて、アプリの2杯酢で(私は出汁をとるのが面倒だったので米酢と昆布に付けた醤油を1対1で、本来出汁をそこに加える)で食べるのだが、もの凄い綺麗な場所にいる魚は違うかもしれないが、魚独特のくせ、というか臭みがある。鯛とかはその臭みが少ないと思っているが、とにかく、そのくせを消すためにわさびなどは存在する。昔は魚の保存技術が発達していなかったからわさびやしょうがが使われた、というのが現在の定説でもあると思うし、そうだと思うが、新鮮な魚でも臭みは小さくともあると思うので、ぜひ、恐がらずわさびやしょうが、西洋わさびも使って欲しいと思う。本来の魚の旨味が引き立つと思っている。もちろん適度に使えばだが。新鮮だからそのままを味わうも手だが、薬味などやわさびなどを使って美味しい部分を引き立たせて味わうのもいいと思っている。そして、メインで食べるというよりは、程よく身があれば食前の晩酌が日本のお酒と何しろ合っていて幸せになれる、と思っている。スズキはメインの香草焼きにしても美味しそうだと思ってもいるが。これから、秋は釣れる季節なので沢山釣りに行って楽しみを増やしたい。

日々の話 日々の工夫の始め。

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  スズキを釣った時に、首輪を付けた飼いにゃんこがやって来て、距離を取りながらにゃあん、と鳴いて、ほしい旨を伝えてきた。すまんが私としては中々ない経験をさせて貰っているので、切り身をあげるわけにもいかない。ちゅーるも玄関の前の靴箱の上においたままだ。続けて、仲間のスズキが興奮したのか、激しくはないがばしゃばしゃしていたので、ルアーを投げていたが釣れなかった。その間、飼い猫でないにゃんこがやって来て私を一定の距離を保ちながら見守っていた。ちゅーるを車に置き続けるのはまだ暑いので、車におきっぱにするのは気が引ける。ただ、釣りに行くときは持って行く癖をつけてもいいかな、と思い始めている。にゃんこは突然やって来る。 匂いの激しいバイオワームを使い始めていて、ちぬか鯛が釣れないかな、と思っている。まだまだ素人なので自分の想像で大体のことを試している。スズキは昔よく見ていた本の通りに、明かりと暗がりの間で釣れた。自分の想像とか参考にしていたことが当たると面白い。 動画では神経締めとか色々あるが、私は漫画の美味しんぼで見た、昔ながらの締め方で魚にナイフで傷を付けて締めている。これも色々分かってきたら面白いな、納得がいったらその通りにしたい。ナイフで傷を付けている間、にゃんこは鳴いていた。にゃーん、と。 ともすると、生活をさぼる。汚れた食器はたまり、洗濯物は溜まる。洗濯された下着がなくなってくる。ユニクロで下着買おうかな。もう少し様子を見よう。ぼろぼろを捨てたので数か少ないのだな。今日は洗濯をしたが、明日の天気予報はまず雨が降る予報だ。 ウォークマンを装着して食器を洗う。そろそろ新しい曲を導入したい。テンションが上がる曲と、しんみりしたいい曲もいいな。その他掃除に取り掛かるが、20分くらいしたところでストレスを感じる。なので、そこで中断。15分の掃除をなるべく日々に結構してそれで、清潔を得よう。しかし、ガスコンロの下、ガスコンロ周りの掃除、割れた器とか捨てる物を整理もしたい。ストレスをそんなに感じずにの掃除を意識したい。一軒家とかでないので、多分暫くくらいはそれができるだろう。テーマ、ストレスを感じにくい日々の15分の掃除。

生活をしながら釣りをする。 鱸篇

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  スズキが釣れた。多めに釣りに行こう、と思っていたら早速釣れてくれた。52cmだった。私は小っちゃいセイゴしか釣ったことがなかったので嬉しい。ルアーで釣れたのがまた嬉しい。捌くのが下手なので実家の広い台所を使って捌いて(動画観ながら)半身は実家に半身は自分用にした。そのまま、まずはスズキの洗いとか刺身で食べるべきだろうが、どうしても昆布締めで食べたくて、半身全部昆布締めにしようと思っている。また釣れてくれたらいいけどもな。

生活として9月を過ごす。やってみようと思うこと。

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  メールに坊ちゃん文学賞9月30日までのお知らせがあった。以前ホームページから作品を送っていたので、私のメールにお知らせが届いたわけだ。それに集中しないとできないことがほとんどなのだが、初めてくらいに軽い気持ちで作品を書いてみようかと思っている。間に合わなかったら、あきまへんでしたわ。というくらいに。それくらい軽く。仕事なのではないし。坊ちゃん文学賞はショートショートの作品を募集している。 あとは釣りに多めに行ってみようかと思っている。今日、朝と夕方に釣りに行った。なんも釣れなかったが、夕方の釣りは風が気持ち良くて、曇り空気味だったので、陽の強さも気持ちいいくらいだった。私の釣りは釣れないことが多いが、数に行けばいつかは、と思っている。何しろ夕方の釣りが気持ちが良かった。こういう風に書くと、行かなくなるケースが経験上多いが。だいたいは、疑似餌での釣りを慣行したい。アオリイカらしいのが見えたのだが、かなり小さかった。ちっちゃい虫みたいなのを追っていた。10月くらいから釣る大きさになるのかな。ただ、待っているだけの投げ釣りも好きなので時々それを混ぜて。

午前2時58分の詩

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  一日は夜を備えているから、少し眠って目を覚ますと、 静かに虫の声がしていた。 人がいる車の音やサイレン、騒がしくもなく 人がいてくれることに安心があって、その音に寄りかかる。 こんなところにいることが、世界だとして、お父さん、お母さん、と言っていた。 抱かせてもらった赤ん坊はとても小さくて、壊れそうでこわかった。 自分もそうだったと思うと、どんな風に大切に抱かれただろう。 いくつか忘れている出来事は、何か欠落して、 それはもうそのまま見つからない。 他人事のように私を生きて、私は果たして鏡を探している。

生活を逃げる。

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  異常に寝るから、よるは寝ないでおこうと、でも結局朝に寝る。目を覚まして丁度良くなったらいいのに、と願って思っている。 網戸が破れている。自分で直そうと思っている。これから、風が気持ち良くなってくるから。自分で直すのが気が楽だ。 レトルトカレーのカレー曜日を買った。具がごろごろとして久しぶりだが、記憶の中では好きなレトルトカレーだ。思い出すに確か好きだ。手ごろな値段なのもいい。手を加えて食べる予定だ。 もう15分の掃除さえさぼり。気の向くままに、癖のようにブログを書く。自分から何とかしようとか、水脈の様な部分に触れなければ、自分の何とかでは嫌なブログ書くになる。少なくとも自分ではそれを感じる。 何とかやって行きたい。それを思っている。具体的にはどうしていいか、分からない。自信がない、が素の私だ。私から何とかしないといけないのだろうな。でも分からない。異常事態だ。駄目だったことだし。今の状態だと苦しむのにも飽きたぞ。生きてきた脈絡から、結果駄目でも、それも引き受けるのが人生か。普通に生きてきて、哀しくて、助けられて生きて、これからどんな人生を描くのか。新しい人生だなああ。

生活について。 チーズちくわの揚げものを食べながら。

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  スーパーで秋刀魚が高かった。解凍秋刀魚なら安いのでそれを買う。アプリに秋刀魚の塩焼きが出ていたので、妙に秋刀魚が食べたくなっていた。人の目もあるから、高いものを買わないことが(そうでもないか)多いが、とにかくまだ秋刀魚が高い。常識的に生きていたい。買い物好きだからするけれどな。帽子が欲しい。ちゃんとしたやつ。 のらをする生活が続くので、体力がずいぶん落ちている。いざ動く時に動けないかもな、と若干の危機感を憶えている。 今日は秋刀魚2匹を小麦粉を付けて薄い油で焼く塩焼きとあさりの味噌汁、オクラを適当に焼く予定だ。いちいちだが、あさりは40%offだ。趣味だ。にょきっと出ている所を触ると引っ込んだので生きている。 このままではいけないが、どうしたものか。長年男子を続けていると、あーそうかこんな年になっていて、なさけないのだが。自分はそんなものか。 本当に感じたことを大切にしないと。本当に感じたことは今の自分なら、時々軌道修正はあっても、まともな要因が私に色々入っているから、大切にしたほうがいい。イレギュラーは相変わらずあるだろうが。 ピクニックはいい。みんなでピクニックだ。どう思おうともみんなでピクニック。私はもう普通ではないのだ。それは自覚している。最初から普通ではなかった。私は変わっているし、でもそれでもいい世界がある。今は私もそれでいい。いけていなくていい。好きにやりたい。あ、でもあまりにかっこ悪いのはいやだな。

日々の詩第五 生活をとりもどすために。 ただ思う。

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  よく眠って、気になることがあると、逃避して、 深く眠るのはいつからのことか。 夕方歩くと陽の光が柔らかい。 一日一回リップクリームを塗るのだが、 リップクリームを変えたせいなのか、 二、三回付けないと乾燥する。 空気が乾燥しているのかな。どうだろうか、と思う。 よく眠ったから、心が落ち着いていて、騒がしくない。 どんな風に生きるとかは、その場その場で、感じて思って、 選びもして、生きてきたわけだが、 でも、そろそろ考えてもみたい。 無駄な痛みを同じようなことで、何度も、 間違えて生じていることは、何か良くない。 祈祷会が自分のセミナーみたいになっていることは、考えないといけない。無邪気が関係している。過去に聞いた声も参考にして、自分に取り入れた方がいい。 生きている間は人生は続くし、楽しいこともある。自分のペースで生きていて、家族は贅沢にも欲しい、と思っている。だが、私の子供はかわいそうだな、と思ってもいる。家族でピクニックに行っている写真とか見ると、うう、たまらん、と思う。私が関係する現実のことは、そんなに上手くもいかないピクニックとかになるだろうが。 どうなるのだろうな。欲望に生きたり。後悔したり。もう後戻りできなかったり。思い出したり。結局自分にとって大切なことが分からなかったり。本当は待っているんだぞ、と言ってくれた人がいたり。時間は経って行く。人間的には大したこともない自分も変化はしている。変わらず憎しみは突然やってくるが。そしていつも通り自分のペースで生きている。

日々の詩第四 生活をとりもどすために。一息ついてから思ったこと。

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  人を急に憎んだり、するけれど、 外に出たり、 料理をしたり、 ドライブをして、途中で降りてうろうろしたり、 しているうちに、冷静になることも多い。 情報が様々に方向を違えて、 やってきて、だがしかし、 人が本当は何を考えているか、何て、巡らすのは 暫く、私には大して必要がないのではないか。 私には人間的な弱さがあるけれど、 自分のそれを見て、どこかほっとしている。 コメダ珈琲に行って本を読むのだが、今日は集中できないな、と思って10分の呼吸を整えての瞑想をすると幾分ましに、読み取ることができた。ただ、ならば長丁場で、と思ったが途中で嫌になった。自宅でそろそろ本も読んでみようと思うが、本を読まないスパイラルに入ったら困る。近くの薬局に料理にも使える使い捨てのゴム手袋がなくなった。あるのかな、ちゃんと探さなかったからかも。今日はモロヘイヤ餃子なので混ぜる手の方だけその手袋を使いたい。何かをちゃんとする方向に意識が向かっている。本を読んでも頭に入っていないことも多いが、下地がある話には読んでいる時にふんふんと思って読むし、少しは頭に入っていることもある。本当に良いと思った本は何回か読み直した方がいいのだろうが、私は一回だけの読みっぱなしがほとんどだな。 生活に飽きることもあるけれど、工夫してみるといいのだが、ドライブとかちょっと外食とかになる。暖簾をくぐりたい欲は息詰まるとよく現れる。そんなに大したことはしていない。スーパーでの買い物は元気な時は楽しみで鮮魚コーナーとか野菜とか肉も商品も見て珍しいものがあれば買うこともある。食費は結構使っている。カイモノシテイル。 そろそろ、気分転換としてはウォーキングしての買い物、釣り、が入ってくる。