投稿

3月, 2021の投稿を表示しています

offer

イメージ
  今から始めるなら、焦りではなく始めたい。 濃厚にただ手をとって、言葉で許しを得て、 その口を、愛していると、信頼して、抱き締めたのち、 その人を認め、教えられ 一人の人として、お互いを 愛していることを知りたいと。そして、手をとって。 愛を。愛す。

桜の花

イメージ
  桜がだいぶ散った。 どういう風に人生をあゆめば良いか、などと思う余裕がある。いちいち落ち込むこともあるが、経験的に今までわたしはそうだったのだ、と時間があるゆえに少しだけだが冷静に今と過去を大まかに見る。現場で急かされたら、かなり未だにあせって、とっ散らかるが。 現場と自分の時間があって、今は殆どが自分の時間だ。無駄にした時間もとてもあるが、何もしなかっただけではない。ちゃんと意識を働かせれば、自分の中に積んでいくことができることを、何とはなしに実感している。変えられた。それもある。どこがどうとかは分からない。ネットでの学びもある。ただ、とろいのはとろくて、時間をかけている。 その中でやはり人と人とのことが、苦手でそこが弱い。もう、しょうがない、とも思っていて、そんなに多くの人に関わることもしなければいい、とも思う。ああ、でも子どもに関わることをしようと思っているのだよな。 本当は苦手だからこそ、面白い、と思っているのだ。と思う。今のように人との関りが少ないから、言えるのだろうな。 さあ、どうやって生きていこう。 今のように自分のペースでゆっくり、暫くは生きていきそうだ。そう、希望している。 いらいらが落ち着いて、心が穏やかになっている。

桜よ、まだ散らないで。日曜日に雨で風もあるらしいから。

イメージ
  春だ。もう春だ。早い。 今日は調子がいい。そして部屋の掃除をした。最近、ポテトチップをよく食べていたので、多分それが原因で体重が増加した。夕食は昨日作ったカレーを食べた。やはり、つくり置きのような物があると楽だ。そうやって時々、思うのだがつくり置きをあまり作らないな。あとはのらぼうを目玉焼きと焼いて食べたな。のらぼうは緑が濃くて栄養がありそうで、美味しいし、そうやって思って食べている。実家で春になるともらって帰る。 部屋はもう少し整頓をしたいな。あとは先延ばしにしている網戸の張替え。お酒はほぼ週に2回飲んでいいを続けられている。リンゴ酢が大きな役目を担ってくれている。炭酸割。純リンゴ酢を買ってみたりする。 そうだな、お菓子も食べているからそれも太る原因か。美味しいなって、ちょっとはまってしまった。私は薬の関係で太りやすいからからか、ネットとか観ていてそんなに食べても太らないんだって思う。チャーハンとか美味そうだなと思うが、作るのも頼むのもさけてしまう。ああ、でも、最近昼をちゃんと食べているから、結局は食べているのか。炭水化物群を。昼を少なくをまた始めるにも、昼の食事の魅力を味をしめてしまった。食べたいと脳が訴える。 車がもう駄目になって、新しい車を買った。普通車を買ってしまった。もちろん、中古車だ。今は整備中で代車の軽に乗っている。大切に乗る。私は車のことはよく分からないが、エンジンを見せてもらったら、かっこ良かった。ホンダの車だ。母親がホンダの車に乗ってみたい、と言っていたことがあって。私も車が故障したときに買うならホンダがいいな、と思っていたら、お世話になっている中古の車屋さんでホンダがあった。最初、いいなと思った車はハイオクガソリンで、ターボがついていて、私向きではないよ、と言ってくれて、そしてホンダ。私はホンダに乗る。嬉しい。大切に乗ります。以前のようにきちゃなく、車の中を汚さないで。なるべくだけど。私は車にそんなにこだわりがないし、釣り道具も普段から積むだろうし。でも、きちゃなくはしないように。 もうちょっと、はっきり桜が写った方がいいのだろうな。そういう風にするのが分からない。ISOはなるほどと思って、よく変えることが多くなった。しかし、近所に桜並木があることは気持ちがいいし、楽に楽しめる。気軽にてくてくと歩けば。

卒業の着物というか服を着た女子を見かけた。これからですね。男子も女子も皆さん。と思います。目線が上からですが経験経験♡

イメージ
  昨日、肌もいらいらも調子が悪くて、そんな時、詩情が湧いてきた。ノートとペンを持っていなくて自宅に帰るとそんなことも気持ちもなくなった。今日は美術館を目的にウォーキングをした。私は美術館が少なくとも愛媛県美術館では無料なので気軽にふらっとでも入ることができる。そして、その帰りに喫茶店に寄り、昨日の気持ちで詩を書こうとしたが、最終的にコーヒーではなくてミックスジュースにすれば、夏には限定のメロンジュースにしてみよう、という詩になった。さらに、たこ焼きが食べたくなった、で締めた。初めて寄った喫茶店だった。よく使う表現だが受けではなくて、そういう気持ちになった。 精神的な場所が弱って、落ち込みそれを見詰めていたとき、腹の奥から命が湧き始める、という経験を幾つかする。昨日もその毛色の経験だ。最終的に守っている命を奥まで手を伸ばしたことはないが、感じている。今日は違った。 美術館は岩合光昭さんの猫の写真の展覧を目的に入った。持っている写真集の写真もあり、でも、よく考えたらこの写真、よく撮れたなという写真が幾つもある。ユニゾンで二匹の猫がジャンプして場所を移動する写真とか。また、壁の少し上に書かれた岩合さんの言葉が良かったのだな。時々書かれている。未だ私は猫好きだと思う。犬も好きだけどね。しかし、今はアトピーのことから、お金のことがもし、どうかなっても犬も猫も飼えないかもな、と思っている。ちらっと、いつだったかお医者さんにもそこを触れられたのだよな、ふっと言った感じだったけれど。 さらに二階でやっていた田中達也さんという方のミニチュアを使って写真を撮った面白い世界の展覧をやっていた。記憶ではなのだが、さんまさんの番組だったと思うのだが、女優の方がはまっている、という紹介で田中達也さんのことを取り上げていたと思う。記憶がある。多分、一致していると思う。岩合さんのついで、という気持ちだったが、面白かった。写真、OKだったので結構、撮ってしまった。そういえばSNSがOKだったのかどうか、確認を忘れてしまった。まあ、OKだよな、写真OKなのだから。 これを見たとき、いくつか前にみた番組を思い出した。ある女の子が番組で入れ替わってだったかなあ、どんどん東京という都会に洗練されていくという。観ながら、そうなのだよなあ、東京のちゃんとしたところの店は店員も感覚が磨かれていてセンスがすごくて

顔がむくむくするし、さーわわっとする。

イメージ
  桜が咲き始めた。心はそうではないが、肌の調子が悪い。だから、続いて気持ちがいらいらしている。心の芯は正常を保っている。気になるのは、注意散漫。もとから、そういうところがあったが、最近急激にそれがあって、結局もともとの自分のもので慢心して気を付けていないからなのかな。だといいが、何かある時はよく気を付けて、順序を考えて、落ち着いて行動したい。失敗はまだしていない。 今年の春は何か、そういうことがある。肌の調子に引っ張られてそう思うのか、しかし、肌の調子もここ暫くの春はそうでもなかったのだが。アトピーが急激に酷くなったのも、だいたい14年前の春からだ。 ちょくちょく、イエス・キリストの名でこういう調子の悪さを癒してもらえるよう、祈っている。イエス様のことが以前より近くなっているような気がしていて、それはなぜだろう、と考えてみる。CSのときに司会をして聖書教育の本も読んで予習しているから、それもあるだろう。ただ、組織による不思議な体験をしたから、というだけでなく、それ以外のことに感じる不思議なこと、感じを経験したから。それだけではない。様々なことがあって、経験し傷も負ったが、傍らにキリストがいたから。そう思って祈ることが時々だけどあったから。自然なこととして、そうして祈ったから。ひょっとしたら、やっと自分から扉を開けたのだろうか。もう少し、よく考えずに暮らして時々祈って、本当の信頼をしたい。心地を感じたい。 時々、スマホのメモ帳にメモをしたり、気持ちを書いたり、伝えたいことを書いたりするが、全部筒抜けはやめて欲しい。気持も本当に感情が湧いて、人に見られたくはないが記録しておきたいこともある。今はお酒も飲まない日が増えて、しかし、以前によく酔っていたときに人に失礼なことも書いたことがあると思う。そんなことも筒抜けになったら、酷いなーと思う。本当に失礼なことだからだ。 時々思うのは、まあ、どうなのかよく分からんと思うが、本当にお世話になった人に私はその人といる間、その人に失礼な態度をとっている、とふと思うことがある。ここ最近、ふと思うことがある。そして、その気持ちを過去に時間に流している。 少し、文句を言うと、私の疾患はいざというときに馬鹿にされる材料になる。結局、そうかと思う。恨みが少し残っているくらいで、時間と歩んでいて、これも少しずつ時間という川に流している。 今は

but.I Love You

イメージ
  近所の桜。今年も楽しむことができるだろうな。春に桜味のアイスとか和菓子とか食べるのが結構好きで、昔三津にある今はラムーがあるダイエーのあとくらいのスーパー、コーノだったか。そこで食べたジェラード屋さんの桜味の桜の花の塩漬けが入ったジェラードが、ものすごい美味しかった記憶がある。もう、今はない。 お酒を週2回だけ飲むことにしていて、以前のように多量に飲まないし、飲まない日は別に飲まなくても苦ではない。リンゴ酢を炭酸で割って飲んでいる。それで、満足している。健康的だがリンゴ酢を少し飲みすぎかも。多分、1日大さじ1杯くらいがベストなんでなかったか。大さじ4杯くらい飲んでいるかも。 ふぐりんの花もやって来た。 それぞれ、春を告げている植物たち。そういえば、フランク・カッパなのだがお姉さんがほいほいと遊んでくれていて、どうしようか、と興味がありそうなところを私が通りがかったので、恥ずかしさからか(どうなんだろう。しかし、フランクはそういうところがある、と思う)その場をてってっと歩いて去って行ったのだが。ちょっと衝撃だったのだが、明らかに胴回りが肥えていた。お前、それはかっこ悪いぞ、と思った。自分を棚に上げて言うが。フランクはある程度はスリムな方が似合う。

からあげくんを食べた。

イメージ
  ここ最近、なのだが時々感じるのだが。自分のことをぽいな、と感じる。恥ずかしい方のぽいな、なのだが。それを時々感じて、恥ずかしい、と思って、悔しいと思っている。年も取ってきて、フケて来ている。そうかー、と思って、四次元では生きて行けないことを感じる。地球で時間を共有していて、身体も心も時間を経ているのだ。今さら、と思う人もいるかもしれないが、焦りを憶えている。このまま時間が流れて、浦島太郎のようになることを。酷い焦りではないが、それが時々自分のことを感じている時に起こる。 冷静に淡々と生活を送ることは、少しできるが、しかしほぼできない。 色々なことを感じることは、生活にそれがあってそれには感謝している。失敗や恥ずかしいことも、その時は落ち込むが自分の人生の道に置いて、その先にまた進んで、またあったので置いて、その先に進んで。もちろん、反省して修正することは少しは思い返して、今度こうしようと思ったりして。自然にはできないことも多いけれど。 情熱、はどうだろうな。まだ、火は消えていなくて、消えませんように、と油を垂らしている。冷静ではないが、淡々と生活を送ることに殆どの意識は向いている。写真を撮ることはブログに上げることで、楽しみで喜びを感じている。しかし、歩きながら花の写真を撮ることが多い。歩けば大体そこにあるから。面白いことに気付いて、その場面を見付けて写真を撮って、ほら、やっぱり面白かった、と思ってみたい。カメラのレンズカバーが何処かに行ったままだ。 英語、ギター、またずっとやっていない。でも、また始めそうだ。ずっと、やり続けることができないのはなぜか。Googleカレンダーに印をつけていたのだが、段々、少しだが苦しくなって来た時にやめて、その流れに流されて1か月以上やっていない。ウォーキングとかも頑張って、行けそうだと思ったら、嫌になってしまったようだ。英語もギターもやっている時は、全然嫌ではない。30分ずつだし。慣れてきたら時間を増やそうとしたら、続かない。のらだな、と自分を思う。まあいいか、くらいの気持ちではいるけれど。どっちも少し身になっているので、完全にやめるのはもったいない。 童話賞のさそいのハガキが来て、詩は書いているけれど、小説のような文章は書いていないな、と。本気で力を込めて書いたら、生活が多分荒れるのだが、こんなに時間があるのなら、短い話くら

夕飯はなににしようか。

イメージ
  いらいらしている。肌の調子から始まっていろいろなことに。ここ最近集中して本が読めていたが、今日はだめだ。今度、ウォーキングを兼ねて美術館に行こうと思う。確か、まだ岩合さんの展覧をやっているはずだ。前にウォーキングでたまたまやっていたので入ってみた名古屋市美術館所蔵の展覧はすごく良かった。殆ど良かったが、最後に展示していた、おさげ髪の少女はチケットにもプリントされていたが、直に見ると、わかる。と思った。独特な描き方なのだが、表している。そういう感覚が絵に存在していることに驚いて感動したな。 何度もだが、そういうことにそういう場所に関わることができていて、良かったなあ、と思うのだな。ネットで解像度を上げる、という言葉があって。自分がそこまで感じているかはどうかな、とほんに思うけれど。時々、あ、いい。と思ったら、素直にいいと思っていていいのだと。自分の感動の問題なのだけれど。その胸の内の感覚を味わうことができる。それで良いのだと。そこから開けるかもしれないし。 テレビで途中からなのだけど、写真家のソール・ライターのことをやっていて、晩年の時ににこって笑って、デジカメで撮った写真を画面を見せて、ええやろ、みたいに言っていて。いいなあ、と思った。私もうじうじしたことばかり書かないで、おもろいやろ、みたいにいい感じに、にやっと笑って生きてみたいな、と。思ったなあ。

駄菓子をよく食べるようになっている。時々だけど。おいしい。

イメージ
  春と言ってもよいくらいになり。寝すぎるとアトピーが悪化。さらに、夜に風呂に入らないとぴしぴしと顔の肌が痛くなる。 あまりなくなった、肌からのいらいら。生活をさぼると覚えるようだ。 こういうときは太陽によく当たった清潔なシーツに触れて、恍惚な気持ちを孕みたいと。 あと一年。先を見なかったら、こつこつとこの生活にも慣れていて突然の悲観を湧いてそしてそうやって生きて行けそうだ。 突然力がなくなることも、そういうことも、仮に世界が開けてもあることなのだろう。 想像がつかない。話すこと。その後の想像力も。全然わからない。これからのこと。 生活をして、食器を洗ってまた料理をしよう、と思って。日々を初めている。あらたにね。

貧むす

イメージ
  夜廻り猫の貧むすを作ってみた。めんつゆの量が少ないかな、と思ったけれど揚げ玉のところに舌があたると味がしてやさしい味で、かなり好き。炊き立てのご飯なのがまたいい。三つ葉の香りもいいね。揚げ玉に先にめんつゆをかけておくのがいいのだろな。ご飯にべっちょりめんつゆではなくて。上品にできた。美味しい。めんつゆはヤマキね。 α6300のレンズカバーをどこかで落としたのか見当たらない。