投稿

11月, 2021の投稿を表示しています

冬な感じだな。

イメージ
  思い付いてすぐには詩が書けなくなってきている。ペンを走らせて書くと、一年前くらいからかな、人に対して失礼な詩や文章になることがある。ことに気付くようになった。自分の無意識のところはこんな感じなのだな、と何となくだが自覚している。できた詩を見たときに、これは酷い、と思ったことがある。もともと人を馬鹿にしたところがあるのは知っている。でも、それを修正しようと努力もしている。殆どは経験により、だけれど。哀しい経験も悪くはないな、と回復している状態なら言える。被害に遭う経験は哀しいけれど。 ときどき、人が信頼してくれた経験とか思い出して栄養にしている。喜びとか楽しさとかなつかしさ、とかそういうのが栄養になることは、心が喜んでいる気がする。少なくとも今はそういうことも時々、思い出して心を温めている。外の世界に出ると、そうもいかねえことが多いのだろうけれど。インターネットもほどほどにしないと、と思うのだけれど本を読むより楽で、眺めていたら何かが解消されることもあるので、ついみてしまう。反射的な脳の癖にならないようになー、とは思うな。ただ、考えてみたら会話も反射的と言えば反射的なのか、とも思う。自然にいい意味で配慮ができる人になりたいが、もともとそこら辺、酷いのだ。一段階引き上げて、良い大人になりたいものだ。実際の暮らしでも。

予想

イメージ
  人生には不思議で、時々糸は知らせてそれを張ると、そうかな、ということがそうなることがある。 そういう糸があるか知らないが、ほとんど人のセンサーでは感じとれないところに、それが通過しているのだろうか。 人には見えていないものを、風を読む鳥は感じるのかな。 そういうことが、普通にあるのだろうと思っている。

のんびりしている。

イメージ
  つまらないことをよく考えるけれど、悔しいと思うことは、 ちゃんと生きているからだ。 人に良く見られたいという気持ちが、働くことがあるけれど、 最近はあまり、良い風には物事が動かない。 ただ、できることをして、日々に心が動いて、そして、 年齢を重ねている。 もう、そんなに先を見ていない。 小説を書くことも、時々子どものことを思うことも、 ただ、できることをしていく、という心持ちで今は生きている。 子供のことは想像力を欠き、想像する力も少なく乏しくなってきているが、 小さなころから、そんな思いをしなくていい、という思いだけが、 心を動かし、決めたことを与えている。 好きに生きているけれど、嫌だなと思うことはあって、練りわさびみたいな感じですね。いい感じだな、と思って生きていたら、ねり、と。 その他は独身職なしが生きたいように生きている感じですね。自分の思いが底から湧いて来たときはそれを大切にして。その強さを確かにしたい、と願います。強く生きたいものだな、と思うのですが、強くなったところは強くなって。弱くなったところは心臓が震えるみたいな哀しい感じです。 悔しい、と思うことを前向きに昇華できたらな、と思いますね。

マゴチ

イメージ
  60cmのマゴチが釣れた。これは眠れんな、と思って出かけたのが幸運をもたらす要因となった。夜に釣りに行って釣れず自宅に帰ったのだが、これは寝れんなと思って朝も釣りをした。夜が明ける薄明るい時間帯に釣れた。これから捌く。マゴチ丼にしてみようかと妄想している。レシピ見てみりんと醤油とかにつけて、ご飯の上に乗せて熱い出汁をかけて食べるやつ。かなり昔に釣ったときは、刺身を取ったあとの骨まわりについた身を唐揚げにして食べたらかなり美味しかった記憶がある。

朝、ちゃんと起きよう。

イメージ
  あせると鬱陶しい感じになってしまう。ときどき起きる嫌なことはそういうことなのか、自ら招いているのか、と思って過ごすが、大体のことは自ら招いている。釣りに行って思ったこと。この年齢でこの余裕のなさはいったいどうしたことか。 思えば、哀しい恥を幾つもかき。哀しい身体のことになり。免疫抑制剤使うんじゃなかった。明るいことは何だ。何かあるか。あるな。思えばざくざくと宝物が湧いてくるようにある。仕事しなくなって、アトピーがかなりましになった。何より仕事しないの楽だ。思い出したくないことが沢山ある。奈落の底に落としてやろうか、と思うことも当時はあった。結局今の状態でも嫌なやつは嫌なやつで、いい人間はいいのだ。と、人を観察して思っている。 いちいち、許してくれ、見たいになるのも何か情けない。何かな。 今自分が思うことはそんなに悪いことは思わない。だから、自信を持ってその考えを推敲して物事に取り組みたいものだ。 若い人は短期で詰め込んで学ばないといけないけれど、自分はそれはしんどいな、と。ゆっくりのろのろして、でも少し力がついた、とかいう感じで生きている。何の力がついたかな。無意識の中には結構栄養を落としたはずだ。大分発酵してきているだろうか。英語もたいしたことねえな。でも、少しは力がついている。ずっと、勉強していない。いいんだ、のろのろ。ギター、あか抜けない。下手な自分から脱しない。運動神経が悪い人がガタガタやっている感じ。それと、もうちょっと自信もってやろう。大丈夫。料理、レシピを見てめんどくさそうだな、と思って作ってみると、思ったよりは手際よくというか、苦ではなく作れる。書き物は小説は来年から書いてみないと、どういう感じか分からない。詩は、やっぱり心が平穏なときが自然なのが書けるな。写真は綺麗な色合いだなとか見付けたら思って撮っている。ただ、思ったようにはやっぱり撮れない。図書館で本を借りようかな、と思っている。知識をつけようかと。RAWを色々いじってみたい。小学一年生が小学五年生を終えようとしているのを振り返ると一応のらだけで生きてはいないと思うな。成長の度合いはのんびりしているけどな。小学六年生はどう過ごそうかな。

こんにちわ、こんにちは。今日は。

イメージ
  もう少し、しっかりしたい。 やせたい。 腹筋しようぜ。 籠る生活に甘んじるんじゃねえ。 朝、起きて釣り。 この際、起きられなかったら夕方に釣り。 まだ、釣れる季節だ。 アウトドア。 外へ行け。アウトドア的な外へ。 ボケボケしている。 このまま終わるのはかなしい。 でも、ただ生活をしていくのが今の自分で。 若い人がおっさん、とか言うのは、分かるが。 結構本格的に老けてきている。 車のバックミラーに映る自分の顔はなかなかだ。きている。 外の光に当たる自分は醜いのがさらに。本当にあせる。 でも、それでもただ生活を送る。 眠り過ぎを改善したい。 ハートを強く持ちたい。 しっかりしたい。 らーめん食べたい。 クロワッサン食べたい。 葛餅食べたい。 健全な欲求を持ってはつらつと生きたい。 ああ、でもそういうのがめんどくさい。 では、こうやってずるずるしばらく生きていこう。 そうしよう。

もぐらもげもげ。

イメージ
  はなもげら、もげら。 もぐら、もげるもげもげ。 もぐるもぐもぐ、もぐるごりら。 もぐもぐ。 谷川俊太郎さんのことば遊びを意識したが続かなかった。最初にパソコンを開いて急にはなもげら、もげら、が頭に浮かんで、パソコンを叩いたが。どうじゃ、ということではなく、急に浮かんだので続けてみよう、と思って。もっと考えてみたら出てくるかもしれないが、もういい。 コーヒー豆を買った。やはり、寒くなってきている季節に温かいコーヒーはよく合う。何か机に向かう時に、おれがいる、と横で眠りこける猫のように。いる。んー、ちょっとかっこをつけた感じが出たな。ベストマッチするのだね、机での作業に。美味しいねー。ぐふふふ。今もパソコンから離した横にいる。 今、とか最近思うのだが、5年前より考え方が大人になってきているというか、クラスでいた頭がいい奴みたいな思考になってきているというか。イメージだけど。完全にではなくて、そういう変化をなんとなく自分に感じる。少しずつというか。寂しいな、とも思うのだが。思考の方が何となくそういう感じになっている。少しずつ。ちょっと、ふざけたいな、とか思うのだが。まー、考えてみると人とそんなには話さず、本を読んだり、インターネットですごいと言われる人の書いていることをみたり、記事をみたりしていて、それはだんだん、考え方というか、思い浮かぶこともそういう方向に自然に行くか、と今気付いた。 外の世界というか、そういう世界では放たれるとあくせくする自分だな、とは思うな。つまり、仕事とかしていたら、変わらずミスして、てんぱっている自分を想像できる。かなり。 水を得ている魚、というか。自由にある程度は泳がせてもらっている。しかし、写真上手くなりてえなあ、というか良い感じのが満足して撮れるようになりたい。知識とかももうちょっと、知っておかないといけない。図書館だな、写真についての本を借りてみよう。まあ、ゆっくり。ゆっくり。Lightroom はプロとか本格的にする人が使うのだな。私にはまだ早い。 今日の夕食は今週のアプリの配信であったごぼうのメンチカツだ。昨日も作って、材料が挽肉以外残っているので挽肉だけ買って今日も作る。もう買ってある。メンチカツはもともと好きで、このアプリのメンチカツはごぼうが沢山入るのでヘルシーでしかもかなり、私としては美味しい。ソースで食べるのも試したけ

セイチョウ

イメージ
  寒い。本格的な冬の寒さではないが、まだ、11月のぎりぎり上旬だぞ、と言いたい。寒いのは変わらず、嫌いだが仕事をしなくなって2年くらいからかなあ、そこまでの苦ではなくなって来ている。それより前は苦、であった。頭が締め付けられるような感じになったり。 壁に貼ってある恩師の娘さんたちは年々成長をし、変化している。私とかの年齢になると身体の成長は、腹が出る、とか正式な成長ではなくなってくる。白髪も混じるし、老けてくるしな。いい年の取り方とか、老け方だったらいいけど、結婚してないしオスとしても哀しいし、と思ってしまうなあ、どうしても。前よりは前向きにそれを思うことはできているのだけどね。赤丹のおでんが食べたい、赤丹のおでんが食べたい。ついでになごやふぐの刺身とかも頼みたい。いまはなき、赤丹。なごやふぐはとらふぐのように高くないのです。でも、美味しい。ぷらぷらすると決めている今なら間違いなく暖簾をくぐっていただろう。 私は甘い家庭というか、甘やかされてはいないのだけれど、結構大切に育てられている。挫折をして、裏と表があって、裏があったとしても表であそこまで支えることができるかな、と思うことがある。大事な時に心のところで頼りになる。思い返すとすごいことだな、と思うのだな。世の親御さんは結構そんな感じなんだろうか。 もう私は43歳で、心がもっと大人になりたい、というか。時々、子供のようなしゃべり方になる、感じになる自分が少し恥ずかしい。子供体験のことを抜きにしてね。 さてと、今日は飲んでいい日だ。レシピは大体決まっている。材料がスーパーにあればだけど。飲むぞう。

キス

イメージ
  今日は夜から松山では雨が降るらしい。 雲行きを見ると、すっかりその準備は整っているようだ。 石手川から吹く風は冷たく。 苦手な冬の到来を いつしか冬が来ることを、知らせているように、私は感じた。 机の目の前の祖母の写真を見て、 19歳に会ったときの祖母の印象は、小さなころのそれとは違った。 今また会うのだとしたら、またそれも違っているだろう。 子供のころ寝ている間にキスをされたことに私は怒って、 でも、私も大人になって同じことをした。 いつか誰かにそういうことを伝えて、 そして、私は嫌われるのだ。 幸せを感じながら。 結局、JPEGの写真を使っている。要研究。 小さい頃、母方のばあちゃんに寝ている間にキスをしてやった、と言われて私はもの凄く怒ったことがあるのですが、大人になって、おでこにぶちゅっと、キスをしたことがあって、相手の反応は、あいや~、という感じでした。嫌がることではなかったと思います。 こういうことって、体験として自分に残っているのかな、と思いました。 うざい、と言われることがあって、愛情として表現する裏返しの様な変なことを、あえてすることが若かりしころはあって。人として、成長したときにそれは本当にうざい、ことなのだ、と知りましたね。しかしでも、それは私に今も残っていて、最近はまずないのですが、愛情の裏返しのライトな変なことをしたい、と思うこともありますね。でも、まずないかなー、考えてみると。プレゼント猫という声掛けが昔あって。そういうところは、ばあちゃんに似てるかな、と思うこともある。ばあちゃんもそういう感じのサービス精神があった気がしている。プレゼント猫は、人によって付け込まれることもあるので、気をつけないとな、とちょっと今気を引き締める。大きくなった魚が警戒心が強くなるように、私も少しだけ世の中を知ったかも、とも、思うな。

軌道に乗る。

イメージ
  気分が悪くなった日のあとから、よく眠る。単純に寒くなって来たのもあるが、これではいけない。気力もそろそろいけるよ、と言っている感じはする。本を読むのも体力がいる本は読まないようにしていた。本格的にやばいことになる、と感覚では感じていた。そういう感じがかなりしていたな。よく寝ているからだろうが、そろそろいいんじゃない、という感じを今は感じている。英語をずっとしていない。動画とかの英語はアンテナ張って聴く様にはしていたが、やっぱり大きくは単語を多めに知っておいた方がいいな、と今思うにはそう思う。簡単な日常の言葉とかだと、完璧には聞き取れなくてもああ、それを言っているね、と思えるな。やる気がないときは、録画していたおもてなしの基礎英語を何回かを重複して観るようにしている。テキストも持っている。繰り返しているので、前に殆ど進まない。そして、ずっと観ていない。そろそろゆっくり始めようと思う。何ならこの後に。 ギターもさぼっているな。今日久しぶりに1時間の練習をした。とにかく基礎。苦ではなかったな。それなりに気持ち良く練習できた。1時間の練習を苦、と言っている段階であかん、のだろうけれど、それでもひつこく進めていくのだ。 いっぺんに動き出すと、がたんと崩れ落ちて行くのが私なのでゆっくり、少しずつことを前に進めて行こうと思っている。それには美味しいコーヒー豆を買わないと。 机の前のノートを取って見てみると、結構使っているのだなと。昔は殆ど使い切れていなかったと思う。こういうノートも一気に使い切るとかではなくて、ゆっくりずっと使っていったら、だんだん、埋まっていって、見返して使っているなー、というある種の快感があることにやっと気付くというか。少なくとも私はゆっくり使っていってだな。今のところ。あんまり、しゃかりきになると脳がぼーん、といきそうだ。どこかが壊れそうな気がする。本当の大切なところが。 すでにプロの多くの経験を踏んでいる物書きの方の机に向かう時間とか、書いている間に興奮して鼻血が出る話とか。面白い世界だなー、と思う。自分がそれをできるかは、自然なことに任す。と思っている。興奮して書いて、その後ずっと眠れないというのは結構経験している。色んな自己調節はあるとしても、正直やりがいがあるぜ、ありがてー、と思うな。 自分の今感じることは、やる気が出だした。上手く調節して軌道に

歩いて、やる気をだそうとしたが。この後やる気になれるか。

イメージ
  歩いて色々考える。 特に頭が疲れるでもない。 物事が解消していくために。 様々な感情は消費される、 と言ってもいいくらいに、流れて、しこりができて、 いずれ、そのしこりも小さく、 感情は流れていて、でも、 時々、思い出すこともある。 殆どのことは流れて、何処か海へ。 海へ行き着いて、 石は砂になり、泥を作り、 そこに何かが住み着いている。 つまり、感情には栄養があり、 それに動かされることもある、ということだ。

備える。

イメージ
  台所が汚い。今日は餃子を作ろうと思っているのに。車の前方が恐ろしいことになっている。土曜日に修理に出す。JPEGとRAW の違いをやっと知った。そうなんだー、と思った。 最近、手を挙げて挨拶をしていたら、何となくの興味を持ってくれている猫がいる。この何となくの距離感が好きだ。駐車場によくいる。野良なので、ちゅーるとかはあげられない。 車が直ったら、あの川にもスズキがいるのを見かけたので、釣りに出かけてみたい。 テレビで観かけたな、と思ったアイナ・ジ・エンドがすごいと思っている。「DEAD HAPPY]Live@SPACE SOWER TV の動画。最後のギターを持ったペチカの夜に、だったか。凄い。ちょっと、自分の様な人間がそれを言うのは恥ずかしいが、すごいのはやっぱりすごい。 明日はおしゃれ気味な喫茶店に歩いて行って、写真集とか、軽い読みかけの本とか読んだり、そういう気になったら、詩を書いてみる。自分が思っていることとか、どこまで響いているのか。響くのを聞く方もいい加減にした方がいい、と思うと思うのだな。 あんなに苦しくなっていた気持ちが落ち着いている。何がきっかけでそうなったんだっけ、と忘れてしまっている。老師みたいに、世のことは流れていく、わしはただそれを眺めるだけ。みたいに、生きられないな、と思う。大分ましだけど、あくせくして、思いたくないのに思いを巡らせて生きている。なるようにしかならねえ、と思って生きていたら、横から生ごみが捨てられて、足元が汚されてみじめな気持ちになる、とかそういう感覚。 でも、自分もそういうことをしているときもあることは、気をつけないといけない。 2014年に本格的に始まったと思っているこういうことは、今年で7年目に入る。仕事を辞めて5年。5年の間自由時間があるわけで、自分なりには本を読んだな。5年と言えば小学1年生の子どもが5年生を終える、という期間で。その間だけでも身に付く物はあるだろう。睡眠は、よく眠る。去年、とかボケるんじゃねえか、とちょっと思った。気をつけないといけない。今は気力があるような、ないような自分が感じる限りそういう感じで。来年は物書きをまずい、やめとこうにならなかったら、本気でやるつもりだ。そういう方がやりがいがあるというか、生きがいがあるというか。あとは美味しいコーヒー豆をまた買おう。幸せになれる。近くの店と