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良い想い出は自分にとって、とても大切。

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  痒い肌に、自分の特性を感じ。 すぐに物事を忘れることに、 だけれども、憶えていることもあって。 それはどちらかと言うと、普通の人間だからだ。 今もまだ生きていて、それだけの福(さいわい)がある。 生きなければ、底の奥にいる自分に失礼だ。 色々感じてくれて、よく姿を隠す。 知りたいこととか、生きたいこととか、 とても、わがままに生きている。 あんなに、言ってくれているのに。 通りがかりに、楽しいことを見る。 子供のように、おばちゃんがはしゃぐとする。 子供の頃と結構そんなに変わらなかったりする。 思い出が楽しければ、楽しいんだろう。 でも、経験していく。 人それぞれに色んなことがあって、変わったりする。 でも、忘れてしまっても、思い出して欲しい。 君は良い子だねって、思ってくれている大人の人がいたことを。 とても自戒を込めて。 (卑怯な自分だし、せこいな、って思うんだけれど、それは子供の頃もそうだった、とも思うんだけれど、その弱さと、それを自覚することと。変わらないんだけれど、変わらないとな、って思えたこと。やり直しは、自分の場合できる。内省的なこととして。少しずつ、変えて行こう。誠実な思いを時々言ってくれた、大人の人の小さい頃の記憶。)

じわじわと身体に良きものを浸透させる。

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  今年で45歳になる。確かに焦っている。このまま行くのか、とか。さっきまで寝ていて、起きた時に思ったのは、できないことだろうが、一旦諦める、を意識する。馬鹿にされるのは嫌だが、名目上(事実とは異なるが、の意味。事実でもあるところが、やっかいでもある。)病を持っていて、仕事ができない状態である、ということになっている。だから、こうやって生きていて、未来はそんなに焦ってもしょうがない。でも、生きて行くので、日々を過ごし、しゃあないやないか、病を持ってるのやから、将来が飯を食えていたらええやないか、と。 書いてみたのだが、できそうでもあるが、私の性格からしてできないだろう。だからと言って、と、思いつつ、仕事をしなくなってからの生活を思い返す。正確ではない今思う記憶。 まずは、小説を書くことを目的とした1年目。つらつら、と軽い文章を意識していた。 2年目は何をしていいのか、分からなく本を読みながら、鬱屈もしていた。短い文章の賞にも応募していた。夜中のマクドナルドとかで文章を書いたりしていた。今、マクドナルドで文章を書けるだろうか、と思う。もっと静かな音楽が流れている場所の方が今はいい。でも、思い出すと良い記憶だ。時々、いい音楽も流れていたし、音を気にしない気力があった。 3年目、どうだったかな。英語をちょっとずつ始めていて、中学生英語を思い出しながら。小説をまた書こうとしていて、ネットでも何やかあった。小説も書けた。ただ、私の多めを意識した小説は、大した量ではない。一度原稿用紙200頁くらいの小説は書いてみたい。話のネタが続かない。 4年目、少しずつ打解けて行った牧師さんが亡くなった。お互い、気を許し始めたところだった、と自分は思っている。ある方のお孫さんたちや子供を牧師として抱き締めていた時に、自分は今、どういう思いで牧師をしているのか、というのをそれを見た気がしている。 5年目、コロナウイルスの影響が始まっている。どうだったか、あまり記憶がない。ギターの練習を意識的に始めたかな。この年くらいにはもう大分、この不思議な生活にも慣れてきていた。定期的に鬱屈はするけれど。そういえば、アイデアとかもネットに載せていたか。ネットに助けられていることを、実感しているそういう年でもある。 6年目、本を読んだり、英語をしたり、ギターも弾いたり。これらは、そんなにはできていないけど、本

人生いろいろ。

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  時間は進んでいる。 私もその時の速度に乗っている。 生じて、時に流れ。 そしてまた、何か生じて、時は進み。 思い馳せて、 横になって目を瞑る。 甘んじて横になり、 その日を暮らしている。 そりゃそうだよな、と思っている。生きて行かんとな。無邪気なところがあるけれど、そういうことを経ている、ということで。頑張ろう。幸せになるのだ。優しいのは優しいのだけれど、いい人ぶるのも、それに警戒感がある。経験で知る。 前向きなことは何かあるかな。食器は洗ったな。部屋はやさぐれて汚い。洗濯物は今第一段が洗濯機の音が鳴った。ねずみ人形は机の上のチラシや本に埋もれている。9月30日が応募締め切りの坊ちゃん文学賞に1作品くらい応募しようかと思っている。随分、ショートの小説を書いていない。なまくらかることもあるだろうし、1作品くらいは書いてみようか。現役の人たちは、沢山書いているし、その場がある。仕事になったら、大変なのだろうな。生活がなまくらかっているので、そう思う。思えば、何かがさび付きそうな、生活だ。詩は書いているが、緊張感を持っていない。時の流れを、ふと思ったりしながら、流れて生きている。ちょっと前には、本を読み、英語を時々して、ギターも時々して、何かはするように生活を気持ちとして意識していた。どうでも、ええねん、になり始めて、どうでもいい生活をしていた。しかし、充電メモリが溜まり始めましたよう、と身体や心が知らせてくれて、英語もギターもしようと思え始めて。昨日眠剤を飲んでもあんまり眠れなかったが、今日の朝は寝過ぎないようにして、少しは作業をした。脳がボケていたが、10分の呼吸を整える瞑想をして、本を読んでいたら、ボケていた脳が、段々さーっと文字を読み取り始めて、何とかその本を理解しよう、と働き始めた。ボケの中のボケではなかったようだ。 もうちょっとだけ、普通の人でも良かったが、明るい未来を、思いを馳せることにする。案外、ありゃあ、ということだったりするのだけど、幸せでありたい。 人に迷惑をかけているだろうし、色々だろうし、そういうことは心の隅に少しだけ感じるくらいで。自分も嫌な思いを沢山している。だから、幸せを求める。祈ってもいる。時々だけど。ああ、良かったな、という未来を願います。 もうちょっとだけ、普通の、とは言っているが、時々の人が発するメッセージに、うおお、とはなって

色々しているようで、そんなにしていない。(他者から見たら、うん、そうだと思う、と思われるだろう。)(実際に足元で取り組んでいることが。)

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  がざがざした肌に薬を塗って。 頭がぴりっとかゆくなって。 窓を開けて、部屋に風を通す。 部屋が汚いのだ。 でも、気持ちはここに、 この荒み具合に着地していて、 また始めようよ、と小さな声で、 自分に声を掛ける。 また、始められることを知っているから、 部屋だって綺麗になる。 気持ち良い生活を始めよう。 清潔な食事を作って、 清潔なお皿で食べるんだ。 このわん。ぺろっと、舌をだして、確かに口角が上がっていたと思う。笑ってくれたのだ。多分。時間が経つと、私の勘違いだったか、とか思うんだけど。 食べない、とか言っているんだけど、夜中に眠れずレトルトのカレーを温めて、残った白飯をレンジで温めて食べていたりする。食べると眠れることが多く。眠剤、飲んだのだけど眠れなく、食べてしまった。これは、やはり運動だ。運動が足りていない。 朝起きる、朝起きる。段々やる気が出てきているのだから、朝起きて、本を読んで、したいことをするのだ。怠ける、という自覚ではないのだが、大したことをせずに、歩いて写真くらいは撮っていた。ブログがあることもありがたい。苦ではなくて、することがあるのだから。他者から見たら、十分怠けてはいるのだが、そうだな、認知症にならないようにそろそろ、英語とか頭を使ったことをしたい。ギターもボケ防止にいいだろうな。指を結構使うし。ずーっと怠けていた。今の大きな課題は朝起きる。しかも、朝からしゃんとしている。 英語はオーディブルで石黒一雄(カズオ・イシグロさん)の日の名残りの英語バージョンを買っていて。それと、英語バーション、日本語バージョンの紙の本を買っている。しかし、殆ど取り組んでいない。私の取り組んでいないは、本当に殆ど取り組んでいない。隣のトットちゃんのオーディブルがないか探したがなくて、トットちゃんは少しは(自分としてはまあまあ。でも少し。)紙の本で取り組んでいて、オーディブルになかったのは残念だ。価値がある物は、新しいものではなくて、それを十分に利用する、使い倒す(使い倒すまではできないが、そう言っていい位、に十分に使う。)のがいいな、と思うようになっていて、いいものだったら、それだけの魅力や力があるのだと少しだけ実感していて。電子辞書も買って良かったな、と思うし、ギターも買うのが趣味じゃねえかくらいのとこが、いいものを買っているので、もっと使おうと思うし。カメ

愛しのらめーん。

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  身体は汗で湿り。 シャツは濡れる。 何てことはない日なので、 ビールを沢山買った。 一番搾り、ラガービール、エビス、クラフトビール。 スーパードライも買っておけば良かった。 ちょっと買い過ぎたのだけれど、 それもまた、いいじゃないか。 久しぶりの感。 私の記憶は記憶していたのと違うこともあるな、とは思うのだが、小さい頃の記憶で。父親は昔、キリンのラガービールを飲んでいた。昭和の頃のように、瓶ビールをケースで酒屋が運んでくれていて、それを冷蔵庫で冷やして飲んでいたのだが。ある日、颯爽とアサヒのスーパードライが現れた。なぜ、その日スーパードライを父親が手にしたのか分からないのだが、夕食時に、これは(何て、言ったかな、喉越しか? 切れがいいか? )兎に角、これはいいぞ、みたいなことを言って。それから、我が家のビールはアサヒのスーパードライの瓶ビール一色に変わった。酒屋さんがお勧めで持って来でもしたのだろうか。父親は今でも、スーパードライの缶ビールを飲んでいる。瓶ビール、いいけどねえ。小さい頃に、夕食時に父親がそういうようなことを言ったのを憶えている。 私は一番搾りが好きで、それは職場でお酒が好きな人が、缶ビールを貰っていてそれが一番搾りで、ビールだけで楽しむのにもいいビールなんですよねえ、みたいなことを言っていて。そうかあ、と思って時々買って、その感じを探っていた。大好きだった、赤丹の生ビールも確か一番搾りで、美味しいよねえ。日曜日にらーめん、を食べに行っていた味楽園では瓶のラガービールを出していて、それでラガービールも好きになった。苦みがうめえ。と思うようになった。らーめん、が出る前の気持ち良くなる時間好きだった。考えごととか、反省とか。味楽園のらーめんは500円ちょっとの値段で、シンプルで好きだったなあ。白湯みたいならーめんで、あっさりと他の白湯と比べると、あっさりしていた記憶だ。 どうでもいいわい、みたいにいつもより食べていたら、太った。ある程度しっかり食べた方が代謝が良くなって、太りにくいみたいなのを見かけて、そうなんだろうな、と思いながら何て言うのか、そのピークを越すのが恐いというか。つまり、食べない身体から、食べて代謝が良くなる身体に移行する、ピークに太るのを恐がっているというか。痩せて行く、保証はないし。一番の理由は、バランス良く食事を作るのが面倒だとい

ひろしま美術館

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  ひろしま美術館のピカソ展に行ってきた。こんな風に遊んでいる様子は、それはいらっともするだろうなとも思う。しかし、遊ぶよ。そのうち、これでもかってくらい、遊ぶ。気持ちだけでも遊ぶ。あんまりは贅沢はせず、でもそれなりにする。妄想では、夏休みに子どもを引き連れて、台北に行っている。もちろん、自分持ち。ハワイはださい、まずは台北だ、とか言っている妄想だ。妄想なので、ブログにも書かせてもらう。その中の誰かが、大切なことを誰かに教えている、とかの伝えている、とかのそれも妄想だ。 さて、広島だがG7 のことで警戒体制に入っている。警察官がそこら中に、いい風に言うと、かっこよくいる。明日から、交通も規制がかかるようで、泊まっちゃろか、と思っていたのだが、朝早く出たし、日帰りにすることにした。 G7 の影響なのか、どうなのか、外国の方を沢山見かけた。へい、はぶゆーびーん、と知り合いでもないのに話しかけたかった。日本語でもそれからの話が続かないのだが。ハブ、ユービーン、はどうしてた? という感じか。今までどうしてた? って感じだよな。だから、すでに今まで知り合いだった場合に話しかけるのだな。英語、ずっとやっていない。がんばろね。本気でやらないと、もっと行けないだろうな。段々、英語もギター位に憧れになって来たかな。 ピカソ展はどうだったかと言うと、めちゃくちゃ、良かった。ピカソのことはそんなに知らないけど、若い頃に描いた絵とかは、青年の頃、ピカソは優しかったのだろうなと思ったな。説明書きを見て、進むと年を取って段々、子供のように描けるようになって来た、とピカソは言っていて。へー、とそうかも、と思って見ていた。若い頃に描いた、青を使った絵がすごい、いいなー、と思っていて。そして、一番自分がすごい、と勝手に思ったのは、ガラス張りのケースに入れられた、本にだっけか、ノートにだっけか、シンプルに線で描かれた馬の絵だ。言うならば、ボールペン画のようなそうではないのだけれど、説明書きには鋭い線で描かれた、と書かれていて。シンプルな気高い何というか、気高い、馬の絵だ。この、すっす、と(しゅっと。)描かれた馬の絵をみて、勝手にだが、天才とはこういうものか、と思った。ここに、現れるというか。印象的だった。私は、だが。ネットで調べても、かわいい馬の絵しか出てこないので、ひろしま美術館に近い人、行ってみて

読んでいない本、多分10冊くらい積読。一か所に集めた方が良い。

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  母親が夢で言ったこと。 体調の悪い母親を連れてホテルに着いて。 もうここでいいかな、と食事の場所が幾つかあって。 最初の決めた、あそこで食事をする? と母親は言った。 夢と現実の間を思いが行ったり来たりして。 普通で言ったら、やはり疾患があり。 ただ、その思いをまだ手離せていない。 このまま時間が経って、馬鹿にされないのなら。 でも、受け止める人がいて欲しい、と思うし、 その時に溢れた思いを抱き締めさせて欲しい、と。 現実の自分はそれはしないだろうが、 そういう思いがこころに留まっている。 時は経って行くし、自分の生きる道も変わって行く。どういう風にも生きることはできるだろうし、経験自体は自分に積み重なっている。自分は天然で、そそるところがあるようで、まあ、立場もあるだろうな。最果タヒ、以前の私のブログの時間が経っていて、ショック、のところは確実に私は影響されている。ほぼパクリだ。しかし、現実の私はそれでも生きて行かないといけないし、もうちょっと、幸せになりたい。今も幸せな時は幸せなのだが。少し考える。最近、静まっていないと思う。詩集を読んで気持ち良くなる時間。昔は、美味しいコーヒーをゆっくり飲んで、詩を味わうのが好きで。お洒落な喫茶店、というところがまた味噌で。写真集とかは見たりしているか。頻度の問題かもとも思う。齋藤陽道氏の神話の新しいのを購入していない。以前に一気に買ったので、今のところそれで結構お腹いっぱいでもある。欲しくなったら買う。何度も思うが、私の読書力は普通だ。でも、読まなかったら読みたくなってくるし、そういうものが身に付いたのは良かった。勉強も今の真面目さを持っても、すごい大学には受からない気がする。そういう住人ではないのだ。ただ、ありがたいことに気が散漫になっている時に、何かを書き出したら心がまとまって、気持ちが落ち着く時がある。そういう時は、感謝しているな。自分の中の自分への希望というか。自分、それ希望だよ。自分のためでもあるのだよ、というか。 詩人って響きが良いよね。旅人、とかもなんかいい。

海辺をずっとドライブしていた。双海でじゃこかつも、しっかり食べるよね。

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  夕方の公園へ歩く子供。 弟は、カメラの人だ、と言ってくれた。 姉は走って、一直線に、って言っていいだろうか。 一直線にぶらんこまで走る。 そのまま、私は歩いて、 お年寄りが人気のない広場で、ベンチに座る。 静けさを感じた。 ゆっくり、空気を吸って。 その静けさを共有して、歩く。 また、夜が来て、食事をして、 眠っている間に、何かを思い。 朝が来るだろう。 部屋が鬼のように汚い。何もしなくていい、と思っていたらこのあり様だ。TSUTAYA でAimer のCDを何枚か借りてウォークマンに入れていて、渋い曲が好きだった時もあるのだけれど、Aimer を聴いているとのりのりで、掃除ができるのだが、今回はウォークマンを聴こうとするまでの勢いが足りなく、意気消沈している。多分、音楽を聴きだしたら結構掃除もできると思う。近くのTSUTAYA はもうCD の貸し出しをしていなく、他はどうなのだろう。調べればいいことなのだが。1か月に1回の飲みに行くを昨日したのだけれど、入ったことのない店で、おばあさんって言ったら失礼かもしれないけれど、おばあさんが切り盛りをしていて。お客さんのおばあさんが、前の席で食事をしていて、大分お年寄りの感じで。多分、時々飲みにと言うよりは、食事にしに来ているのだろうな、という感じで。店の方とお話とかしていて。商売というよりは、そういうことを大切にしているんじゃないかな、と思っていて。愛おしかった。寂しくなったら、また行くかもしれない。ricarica にも行きたい。しかし、自転車をこぐだけでかなり息切れをする。運動不足過ぎだ。今や、ricarica までの距離が遠い。昔は余裕で、あほみたいに飲んで帰りも余裕だった。正直、あんまり肝臓には良くなかっただろう。 人に嫌われることが多いけれど、世に出ている人でそういう人も結構いる。後ろを見ていたら切りがない。ちゃんとやり直しをしていた時は、自分なりに誠実にやってきた。自分の立場が、結局そういうことを引き起こしているのかもしれないし、まあ、自分の性格もあるだろう。そういう中でも心許せる人たちがいたし、気持ちが良かったな、と思っている。そうだな、気持ちいい奴らは気持ちが良かったな。そういうことに希望を持っている。ちょっと、アルコールが入っているのだけれど。人それぞれ色んなことがあるのだけれど、自分も自分なりに色

自由に生きられるなら、それは特別なことだから、暫くはそうさせて貰おう。

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  広島でピカソの展覧があるようだ。5月の28日くらいまでなので、そのうち行ってみようと思う。熊本の坂口恭平日記にも行ってみたかった。母親の残してくれたお金が年に一回その年に暮らして行けるくらいに入るようになっていて、来年が最後のお金が入る年になる。食いつぶすくらい使ってやろうか、というのが今の気持ちで。食いつぶす使い道は、殆ど旅に出る費用になる。多分、そんなことはしないだろうけれど。でも、近場での旅がひょっとしたら多くなるかもしれない。ピカソ展はまず行くだろう。 先日、YouTubeを観ていたら養老孟司さんのチャンネルっていうのかな、それがあって聞いていたら、やっぱりすごかった。テレビで出て来た時とかは、そんなに自分の勝手な印象だがしゃべらない、という印象なのだが。そのゆっくり話す内容がすごい。派手さとか、そういうのではなくて、考えが明確で、奇をてらう様な話はせず、本当に自分が考えていることを本質というのだろうかそれをその質問に答えている。普段から当たり前だが、よく考えているのだろうと思った。チャンネル登録をしておいた。 NHK のプロフェッショナルでチャイルド・ライフ・スペシャリストという仕事をしている佐々木美和さんの放送をしていた。子供と遊んでいることが多い仕事で、ひょっとしたら他の現場の人からは、いいなあ、と思われることもあるかもしれないが、佐々木さんはやはりプロで子供の気持ちをよく汲み取る。そして、よく見ているのだろうと思う。もちろん、医療との連携もあるし、医療の知識もあるのだろう。終末期になる男の子の親へのビデオレターがあって、笑いも取り入れて、感情的にならずただ親への思いを語る姿にお前、男だな、と思った。何というか、配慮が男なのだ。桜を見に医師の許可を取って、子供たちを連れ出す時に、はしゃぐ女の子。いい番組を観たな。食事をする間に、テレビを観ることが多く、大体それくらいなので、こんなに良い番組があるなら、もっとチェックすべきだな、と思った。 暫く、本を読まなかったら、読みたくなってきている。頭がむわむわしていた。しかし、薬が一時的に増えている。眠剤も貰っていて、飲んでも眠れないと思っていたら、眠った後、泥のように時間が経っていた。 kiri のクリームチーズにキムチを乗せる食べ方、美味しかった。おつまみに丁度いいね。 ストレス解消にネットで買い物をした

変な生活してんな。

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  あほっぽかったな、と後悔することや、空回りし始めていることをうじうじと考え。父親に軽く話すと、そうやって、うじうじ考えるのがお前なんや、と言われた。いらんことをすぐに言うし。人とのトラブルがよくある人間なので、話を聞くだけでいい、と思っていた教会も、がっつり入り込んでいるし。本当は難しい人間なのだよな。 キリスト教がなければ、考えていなかったことも色々あるよな、と思い。どこで今回の歯車がくるったかというと、以前の神様のために、っていう感じがなくなって、それはそれで良かったのだけれど、でも、そのなくなってしまったものが違和感としてあって。それを人に言ったことなのだろうか。 急に思い出したのだけれど、母親が亡くなる日、担当のお医者さんから職場に電話があって、お母様は天国に入ることを確信していると思われますか、と尋ねられて。私は答えられなかった。何故かは分からないのだけれど、その電話では答えられなかった。でも、暫くして思ったのは、確信している、と思った。母親が亡くなって後日、お医者さんは、お母様は天国に入ることを確信しておられました、と確か電話で言った。 この世にいなくなった後、あの世とか、天国、とか考えられていて、自分もそれはあるんだろうな、とは思っていて。色々な考え方があって。聖書に書かれていることも、自分は把握できていなくて。それまでに自分なりに生きて行かないといけない、とは思っているが、随分、自堕落だ。 そういうこともあるが、自分はすっかりクリスチャンで。がっつりではないにしろ。逃げたいな、と思うことはよくあるのだけれど、こうやってブログを書いていると、自分はクリスチャンなのだ、と思い返し。24歳で洗礼を受けて、色々あった中でクリスチャンとして生きていて。組織のことは、人間です、とある方が言われていて。人間の問題とか。組織とか集団とかは苦手ではあるが、そうなら、仕事場だってそうであるし。 教会以外でも話す人は欲しい。昔、仕事場がそうだったように。仕事したくねえけれど。 ネットで繋がった様な、観るような人達は、経験値が違うのだよなと思っている。しっかりしているもんな。しっかりしているだけではないし。 いつまでも、しっかりしない自分。すぐに不安になるし。 文筆家向きだな。自由にしたい。組織に囚われたくない。

生きているので。(生きている余裕あるし。)

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  町内放送で提灯行列の案内をしている。 公民館に集まるとか。 公民館、趣きがあってどんどん利用すればいいと思う。 旅人のように生きていた感覚があって、 今はどうだろう。 新鮮さをどこかでは失っていない。 いのちの感覚を失いたくはないな。 風が吹いたり、ひかりがきらきらと小さくさざめく場所をあるく時。 とか、そういう便りがあって。 今日もおばあちゃんが、あんた顔赤いなー、と言ってくれて。 生きているな、と思えるのだ。 歩いて散歩していたら、多分以前のおばあちゃんが同じように、あんた顔赤いなーと言ってくれた。悪気なく気にしてくれているわけで、自然に元気になれる。愛の反対は無関心だそうで。下積み時代、というかあまり関心を払われない時代があって。インターネットの深みに行きそうになると、そのモードになるように努力している。ただ、スマホが相変わらず近いので、酔ったりすると危ない。色々な考えに触れるのは嬉しい。恐ろしいどろどろとした考えでなければ。はっとするような考えに出会った時に、頭がぴかーんとした感覚がした。本当にした。ちなみに何かの考えを思い付いた時はぴこーん、の音。嘘です。こういう感じはよく人をいらっとさせる。現実の世界で今より天然でそれが出てしまった時、特にそうなる。気を付けている。しっかりしよう、自分。 今の気分は、電話でレストラン門田に予約して、一人で親子連れやカップルの中でふーんふーん、と気にせずワインを飲み包丁とフォークを使って食事をして、帰りのタクシーを呼んでもらって、就寝する。そういう気分だ。 変な人生になったな。そういう人も結構いるだろうけれど。自分がそんな人生になるとは、思わなかったが、大学で挫折をしたくらいから、思えば組織の働きもあって、そういう人生が始まっていた。やり直したと思ったくらいから、組織の働きかけがあって、また変な感じに。そういう組織にも助けられて。人の悪意には簡単に当てられるし。ただ、今は今の生活を生きていくしかなくて。それに、新鮮さを失ってはいない。そういう生活だがもっとメリハリを。運動、運動。朝起きる、朝起きる。