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10月, 2023の投稿を表示しています

秋のなか。

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  こころの風通しをする。 少ししたきっかけで、それをする。 秋の光。 秋の空気。色。 気持ちの中に美味しそうな香りを。 夕べの香り。 少し、少し、秋の光のように、 心は潔く澄みはじめている。 貰った七折小梅の梅干しを2か月くらいおいてから、食べ始めているのだが、もの凄い美味しい。今年作った物で、ちょっと熟成期間を置いた方がいい、と本で読んで、最近になって食べていて、かなりの爽やかさと美味しさ。自分も梅干しは作るのだが、違うなー、と思っている。ジューシーな七折小梅、美味しいなー。2日連続で夜明けに釣りに行ったのだが、釣れん。ピークの時に行けば良いのに、ぐずぐずして最近行っている。ジグでやっている。ハマチかサワラが釣りたい。ヤズは釣った事あるが、ハマチくらいの大きさも、サワラも釣ったことがない。なので、そのまま朝からウォーキング行ったり、朝からブログを書いたりしている。そして、気付く、秋の天気の良さの気持ちいいことよ。今日もウォーキング行くか、どうするか。部屋の掃除をしたほうがいいな。今日は近場で、ちょいと歩くくらいかな。掃除しよう。洗濯物も。 豆味噌、赤、と呼ばれる味噌はあるけれど、普通の味噌を切らしたので、買っておきたい。味噌汁は、よく作るのはお揚げと青ねぎたっぷりの味噌汁で、最近はよく松山あげを使う。今年採ったわかめを小分けして冷凍しているので、それをどんどん使っていこう。ただ、わかめを多く食べたら、腸の動きが妙に活発になって、腸のおならの音が出ることが結構多くなるので、少しずつがいい。アトピーが酷かった時に一時期使用していた免疫抑制剤の影響でそれから、腸のおならの音が出るようになって恥ずかしい、というよりもはや、悔しい。しかし、大分ましにはなったのだけど、まだあるのだな。書いていて、やはり悔しい思いが沸いてくる。 コーヒー豆をしゃん珈琲のお店で秋のブレンドを買って、やっぱり美味しい。昔程ではないが、またコーヒーを飲むようになっている。コーヒー豆を買うことはまれだが、美味しいのでまた買いそうだな。 顔に薬を塗った方がいい、と言われて時々意識して塗るようになったら、顔のアトピーが以前よりはましだ。それと、洗顔も自分は肌が弱いのでキュレルの泡の洗顔フォームを使っていて。それとテレビで観た、殆ど水じゃないかというくらいの、テレビでは何℃とか測っていたが、それくらいのぬ

元気のある日。

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  いくつかの。 事柄は委ねることをして、 年と共に、前に進んで生きている。 美味しいご飯を食べれば、嬉しく。 天気の良い日に、歩くと気持ちが良い。 健康なのだ、多分。心も身体も。 そういう日なんだろうな。 朝からちょっといいことをして来た。ウォーキングの途中、CAFE BC に。サンドウィッチのセットを頼んじゃったよね。机に置かれたメニュー表にコーヒーだけがなくて、頼めばそれで行けたんだろうけれど、まあそれじゃあ、と思って。 写真集とか詩集とか持ってきてなくて、いつものようにスマホを観ていたけれど、何か良い感じになる本とかを読みたかった。星野道夫さんの本を読み返しているのだけれど、好きだな、と思う。そういう経験で、そういう目で見てきた美しい文章なのだね。読んでいると気持ちが落ち着く。 読んでいない本がそれなりに沢山になってきて、ぼちぼち読み始めようか、というのと選んで、読み返す本も何冊か机の近くに置いておこうかな、と。 県立の図書館に何年か前まで時々行っていて、1階のこども用の図書館に絵本のコーナーがあって、今月の名作、のように何冊かが表紙を表にして立てかけられていて。やさしい おおかみ とか賢者の贈り物、とか読んでいて。あれは、よく通っていた時は、介護士の時だな。今でもああいう風に、置かれているのだったら、また時々行ってもいいな。話しをしていて、最後の一葉が読みたくなって、オーヘンリーの作品であることを知らなかった。多分、何だけど小学生の時に、国語の教科書に、若しくは授業で読んだことがあると思うんだよな。今日から俺は、という漫画にそのパロディがあって、あれだ、とその時思った記憶がある。 仕事を辞めたこの生活の初期に、大人用の3階か4階だっけかの図書館で新聞読んだり、詩集を読んだりしていた。吉本隆明さんの詩集があって、もの凄い分厚い本で、内容も何というか、威圧、とは違うのだけど、ぶっとい知識に裏付けられたというか、剛(ごう)な印象を受けた記憶。今、少しは吉本さんの本を読んだので、後付けでそういうイメージが補強されているのかもだが。でも、剛、という印象かな、その詩集は。県立図書館のカードは作っていないのだね。最近は、もっぱらコミセンの図書館。 県立の美術館の南館でお年寄りの作品展をやっていて、絵画と写真のコーナーを見てきた。帰り、書道の3階の展示も見ておけば良かった

近場で旅。

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  朝と昼にいつもより、食事を多く食べて。 気分が夕方まで悪くなっていたのだけれど。 カメラを持って歩いて、その帰り、 陽が落ち始めていて、旅をしている気持ちになった。 夕陽を淡く映した河川は綺麗で、 何て気持ち良いんだろう。 ほんの少し風を感じて、 写真を撮ると茂みから小鳥が飛び立ちて。 秋の夕暮れ、わたしは旅をした。 朝からカロリーメートとカレーパン、昼にカツカレーを食べたからなのか、さらに前日もしゃもしゃと、2袋近いポテトチップを食べたこともあってなのか、夕方まで気分が悪くなっていた。歩こうと思って、カメラを持って歩いてかわいこちゃんたちの下校の時間だな、と思って本当にかわいこちゃんたちが、いたので、自分が何か情けなくなって人けのいない道を歩いたのだが。静かに道がなって来た時に、こんにちわ、と組織であろう女子高生が小さく声をかけてくれて自転車で後ろから通り過ぎたのだが。うん、何か静かで気持ちいい、と思って気分が良くなって。そうした帰り、夕陽があって、ちょうど良い涼しさで。河川の写真を撮ると小鳥が茂みから沢山、ふぁーと飛んで行って。S にも連写にも変える時間がなくて。ただ、気持ちええなー、と思いながら、その帰り道を楽しんだ。気分の悪さもなくなって。ビールとおにぎりを楽しんじゃったよね。コンビニで買って。外で食べてね。

日差しの仲で。(中、と変換しようと思ったが、仲が出てきて、振り向いた時に悪くもない顔をしてくれたので、仲を使うことにしました。)

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  私を避けて、少し遠くに距離を置くきみ。 私は写真を撮って。そして、撮って。 去りゆくきみを、 私は待っていて、 やっぱり振り向いてくれた、きみ。 私は手をけっこう思い切り上げて、ありがとう、と声にして。 ふん。 若しくは うん? と表情をして、きみは去ってゆく。 生活がゆるくなっている。まあ、いいやんという気持ちで生活している。部屋は片付けず、お酒は毎日嗜み、英語やギターには触れず、本も読まず、歩いて写真を撮り。気持ちいいねー、という季節で。これもいいかな、と思うのだが、もうちょっとしたら始めなな、とは思っている。釣りはちょっとだけ行ったのだが、海底にあった網から引っかかったルアーを外す時に、外れた勢いで指に針がぶっ刺さったりして哀しい思いをしている。ルアーの針鋭いのよね。それと、血が出たのだけど、アマニ油のドレッシングとか、実はドン・キホーテでアマニ油自体を買って使用しているのだけど、気のせいなのか血の色が綺麗なのと、血がぷあっと流れるというか。血の流れがさらさらになるのは、そうなのだけれど、血の色も綺麗になっている気がするのだな。ここはそう感じてしまっているだけなのかもだが。 テンションが上がった時に買った小さい2冊のノートは最初の1冊は、案外使っているな、と思っている。そんなに書き込んでいないけれど、その時に思ったこととか、忘れて行くことを書きつけることができているな、と。自分は本当に忘れやすいから。自分のためのノートって今さらかもだが、ありだなと思った。小さいバッグに入れておける。 そのうち、餃子、カキフライ、それと美味しかったので美味しそうな厚切りのハムでハムカツを作って食べたいと思っている。ricarica にも飲みに行きたいが、何か家で飲んでぐだ~、とするのが好きになっている。

肌寒い季節

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  お味噌汁が飲みたい季節になってきて、 お味噌を買う。 (赤)と書かれているお味噌。 冷蔵庫に残っている白味噌を混ぜて、今夜温かいのを飲む。 松山あげ、なめこ、ねぎたっぷりかな。 部屋は荒んでいるのに、 心は荒れていない。 不思議な体験をしたと、自覚している。 感じやすい。 今。だからなのだろうか。 外を歩くと日差しもあって暖かいのだが、自宅にいると少しだけ寒い。今、窓を喚起のため開けているが、開けてなくても肌寒いと感じるようになってきている。季節は早く進むものだなーと思っている。ちょっと心配になっているのは、軽口を言ってしまうことで。日本の政治は責任を持って、色々考えられて進められている。自分がぽろっと、言ったことが伝わっていたらこわいなー、と思って。ただ、コロナの時にインターネットで観かけたこととかで思ったのは、政治とかそういう国策は生ものなのだな、と。間違うこともあるのだ、と言うのがコロナで大変な時期に見えた、というか。大変なことですね。偉そうに言ってしまうことがある。 今日は解凍のでもいいから、さんま食べよかな。そういう気持ちになってきた。ちゃんと、大根おろし添えて。大根ご飯もいいな。どんどん、そういう感じの物が今食べたくなり始めている。 思い返すと。自分は平和の中で、若い頃に。話し合わなければいけない、のようにそういう態度を示したことがあって。気にくわないからやるんだよ、という態度に気持ちだけでも、妄想だけでも、ぼろ負けしたことがあって。時間を経て、気付くことかな、とその範囲くらいの人間関係のことで思うには。ああ、悪かったな、と思える、年月。もちろん、自分側も。もっと、踏み込むとしたら、その心からの態度。それから関わることがなくても、どこかでそれを許せる、その気持ち。今の情勢を思っても、考えてみたのだけれど、深い憎しみはそんなことを越えて来る根深いことが関わってきている。ただ、組織ではなくて、一人になった時に、一人で生きて行くとしたら、その時間があったとしたら、心に差し込んでくる何かがあるだろうか。人としての変化はあるだろうか。そういうことを思った。上手いこというような感じもあるけれど。結局、生きていて、人という種族に産まれている。色んな感情を持っていて、この世を生きている。

斜め前下を見ながら、進む。それしかない。こともないかな。

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  この時間に、優しくなれることや。 哀しみを感じたり、嬉しい喜びの知らせを聞いたり、 ありがとう、と心で感じて。 日常を過ごして。 一人では涙は出ないけれど、 丸まって眠って、苦しさから逃げていた時もある。 そうやって、逃げていたら、生活は正直者だから、 部屋が荒れるということになるのだ。 でもそういうこともあるけれど、生きているんだな、とだから思う。 時間があって、年を取って。 少しずつ、歩く。 楽しもう。 いつまでもこの生活と考えると心が落ち着かない。不安になる。暮らしていけるお金はあるし、夕食を作るのが面倒になったら、よくクックチャムへ、ゴーしている。今、パソコンを打っていて、トレーナーを着て寒いと感じている。もうこんな季節になったのか。 年からすると、喋る内容がなよい、というか。質実剛健というか、男らしいしゃべりがしてみたいが、私は無理だろうな。 生きて何を経験するか。良い経験がしたい。今はそういう時間なんだよな。いつこの霧が晴れるのか、それなら、この時間を生きるしかないし、楽しむしかねえのだ。やだー。

夕暮れ弁当

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  明るい陽のもと。 そんな季節であることを、忘れかけ。 歌を聴いた。 わたしにとって、その声は歌であって。 なんという穏やかさだろうか、と感じて。 日々が時間が過ぎて行く。 月は10月。 今年、と考えたら、残りの2か月半。 自分にとって優しい時間にできたなら、と。 時間を無駄にしていたな、と思っていたが、そこをスローライフだから、と考えて。免許の更新行った、えらい、とか。明日はあれらをどうにかして、それができたら、えらい、と思うように暫く考えを変更することにした。何かしないといけない、を暫く隅に置いておいて。少し何かが進んだら、または積み重なったなら、おっけー、と。今は自分にとってはそういう時期だ。学生や子供に何か伝えたいという、勝手な熱意が少しあったのだが、それも萎えている。熱意がないからなのか、感じている何かというのが、もうそんなにない。すごい、これ伝えたい、という時期があった。基本、元気がない、のが今。病的なことではないだろうことで、やる気がねえ、とも違う。元気がねえ。ある程度生活はできるが、何かしよ、とかでなくて、こなして行くという感じの今。写真を撮ることは、とてもありがたく、気分転換になっている。明るい日差しのなかで歩いて、これ綺麗に撮れそうとか、強い気持ちではなくふんふーん、と軽くまさに気分転換として、大きな役目を今担ってくれている。ありがたい。 今日はクックチャムで弁当買っちゃろか、と思っていたが、もう夕暮れ弁当がなくなっている時間帯だ。うーん、どぼどぼ具材を鍋に入れてカレーにするか、スーパーの総菜や弁当か。後者になりそうな気がする。

人の気持ち。暗い気持ち、明るい気持ち。優しくされた気持ち、忘れるなよ。

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  子供の頃、幾つか見た、アニメや漫画は、 本物に憧れていたり、意識した作品が時々、見かける記憶。 どんなものなのか。 どういうこと、感覚、五感、六感で感じるものなのか。 ねじを込める、前の導線のように、 それらが、僅かな記憶として、働くことがある。 かなり酔っている。雑誌を読むのが好きだった。高校生くらい。大学生の時も好きだったか。その雑誌で時々、自分に引っかかる写真。今、かなり酔っている状態で言うなら、特に写真を意識しだした、ここ何年か。フラッシュバックのように、その昔見た写真が時々起こって、こういう風にしたい、と思う時があるような気がしている。思うようにできないが、こうしたいの気持ちはある。漫画も色々あるけれど、作者が単行本のよもやま話みたいなところで、芸術の憧れみたいなことを語る、ここは今勝手にそう思っているところだが、あった気がしている。さらに思うなら、そこを目指した本質について作者が感じた漫画があってもいいかもな、とも思う。芸術的なそういう思いが感覚として残るのは、少女漫画かな。今の一方的な思いとして、子供は物語を好む、という思いがあって。じゃあ、そのイマジネーションの引き込む思いの中に、本物の香りを含ませようぜ、という私の気持ち。子供の気持ちに豊かさと希望を。優しさを込めて。自分は、そうすると、少しくらいは世界が変わることもあるんじゃないかと、そう思うこともある。世界が変わって、ちょっと恐いけれど、でも手を繋いで、いつか信頼が生まれて、人と人が助け合う日々が努力して生まれたなら、と希望する。そういうことがあってもいいんじゃないか、と。思うな。

日々を歩む。

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  少し、振り返って。 良いことも、悪いことも。 どういう時に、悪いことをして、 どういう時に、心から、そうしたのか。 私は、私も両方を持っていて、 だからかな、心は自由でいたい。 責任があるとしても、何かをしていても。 心を自由にしていたい。 ただ、希望を持っていることだな。地道に今の道を歩んで、最近、色々やっていない。そこにも希望を持って。免許も更新しないといかん。自分しょぼいな、と思うけれど、もっとしょぼかったのは遥か昔。自分にもある程度誠実に生きようと思って生きてこれたのは、そこの場面を思い出すなら、偉いな自分、と思える。そっちの自分を思い出していたい。 地道に、ならまだできる気持ちの体力がある。机周り、ちょっと掃除しないとな。

ショートネコステ 始まり。

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  (さらに言うと、こういう失敗があってから、名前を憶えないように努力しています。) (どうだったでしょう。そこまでは、笑えない。浅はかなところを注意というか、されて、いかんな、自分はと思ったことがあるのですが、今回はそこは大丈夫なのかな、とは判断しています。作者のことを知らなければ、そこまでは、いらっとは来ないと思うのですが。知っている場合、うーん、と。まあ、落ち着こう。ラフ画を描こうと思って、ちゃんと描くのが面倒だな、と思い始めて、ラフ画のまま続けて、ちゃんと他に描こうと思っていたのですが、途中からそのままぶっ通すことにしました。二人とも、のところは二猫とも、ですね。見直すと先がすぐに予測できる漫画ですね。また、描いてみようと思います。何か、本当に可笑しい時があったらいいのにな、と思います。)

優しさに焦がれたなら。

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  人間関係とは脆く、でもとても優しいものだ。 少なくとも、今は現在はそう思えている。 少し距離を、一定の優しさを置いて。 そういう、多分そういうものなのだ。 こういう告白をすると、よくそれが駄目になる。 でも、今は勇気を持とうと、振り絞ってそう思う。 沢山の失礼な、考えのない、余裕のないことを言って。 そして、私はそれでも生きる。生きたいと感じ、その意志をも持っている。 悪意は自分にもあり、他人にもある。 それを、強く生きる。 時々、優しさに触れて、安心して眠る。 そして、何度でも生きる。 そして、人を。人に配慮を持って、それを私は努力を。感じたことがあるように。 間違いが多かった。 間違うと、とても哀しい、私も人も。 それらは、なるべく自分のためにではなく、人がそう思うからを、もし大事にできたら。 生きたい、今は今もそう心が感じている。 考えがない、を何度も経験して、成長は少しだけだ。人間的に馬鹿はましになってきている。こういうような話はここまでにしておこう。 ふとした時に人から貰う優しさ、ありがてえ、少しのこと、ふとした雰囲気。今までの優しさ。強くいたいもんだぜ。何か楽しいことを書こうと思ったが、思いつかない。 おばあさんが作っていた、無農薬の人参。焼酎と何かしか消毒に使っていないのを、その何かを忘れた。たまに行くとか言って、行っていない。そんなもんだ。それくらいのことだったら、父親が時々言う、そんなもんだ、を思い浮かべて大体はけりをつけている。引きづったりも、でも殆ど引きずらないか。時間が経ったな。時間が経つこともそんなもんか。楽しいことが書けねえ。 今日は朝早く起きて、結局2度寝をした。釣りに行こうかと思ったが、寝た方がいいと判断した。行っても良かったけどな。秋は釣り(秋祭り、の音で感じて欲しい。)。もうすぐ誕生日だ。45歳になる。年は取って行くなー、と思うな。ああ、と思う一方でそれはそれでいいこともあるな、と思っている。この生活があるからかも知れんが。 ショートネコステのストーリーが浮かんでいるが、陳腐だし、でもそれが自分だと。描かないなあ。取り組もうかな。そういえば10月に入っている。 ブログを続けていて、文字が一文字抜けていたりする、と思っていたら、手で文章を書いている時にも、一文字抜けていたりする。最近、それをすごく感じる。最近のことだ。 時が来た