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金的週間。

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人と関わらなければ、良いことも悪いことも経験出来ない。 良いことも悪いこともあるのが、人生で。 良いところも悪いところもあるのが人なのだと。 気持ちを吐露すると、楽になれるのはなぜだか分からない。 頑張りを認められると嬉しい。 私にとって事実としてそういうことがある。 でも、 自分の心が動く。自分の心が大きくとも小さくとも、 ふるえるから、何かをできるのであれば。 それは私は嬉しい。   出来ない人間だからこそ、折々の自分の気持ちに嘘を付いて、決定、判断することに、さらにそれにより事態が悪くなったとしたら後悔が付きまとうだろうな、と思った。自分が思ったことについて後悔することもあるけれど、自分が思ってもないことをして、事態が悪くなるとしたら、どんな気持ちになるんだろうなー、と思うな。良いも悪いも、常識程度には自分の気持ちを抑える様にもなったけれど、やっぱり自分の気持ちに嘘を沢山つくと押し殺された、妙な生き方になるのではないか。後でやっぱり後悔するだろうな。ということが、何かブログに書こうと思った時に出てきた。私は分かり易いし、しょぼい心のなので、だいたい人に伝わる。思い返せば結構、修羅場をくぐって来たのに、何でこうもしょぼいのであろうか、ということは思う。 さて、ゴールデンウィークだ。私は休みだらけの日々なので、どこかに行くとしたら、ゴールデンウィークを避けて行くことになるのだが、でもせっかくなので、この連休も何か嬉しいことをしようと思っている。大体が飲むか食べるかになるが、それ以外で何かないかな。服を買う、も十分服はあるし。そうだな、持っているシャツに全部アイロンをあてる、でもいいな。気持ち良くなりそうだ。ハンカチ全部洗って、これもアイロンをあてる。ふんふん。シャツは多分本当にするな。食べるにつながるが、ちょっと手の込んだほんとにちょっとだけ、手の込んだ料理を作る、とか。スープはそこまで作っていないから、本当に美味しいこれだ、という極まった自分にとってのレシピは今自分が記憶する限りでは出会っていない。滋味深いのがスープなんだけれど。シンプルに感じる。海老のクリームカレーのは美味しかったから、今度ブログにレシピを載せよう。 ぼちぼち、GW を過ごす。

考えてみれば、あの自分が、と思うんだよな。本当に力がないあの時を思い出す。

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  学生時代、生きて行く物足りなさを何処か、 感じていたことを思い出す。 やる気がなくて、心の力が入らなくて。 色々あっても、疑問を持ったとしても、 キリスト教に出会ったことは、私にとって大きな出来事だ。 そこから再スタートして。 波でさらわれたことの後に、根付いている何かがある。 信じていること。 だから、心は生きていて、やる気がないって言うことはない。 あんまり深く考えられないのだけれど、これはどういうことなんだろうな。 世界で宗教によって差別があったり、問題が起こったりするのは少しは知る。それを宗教の創設者は何て言うのだろうか。とか。それに、訳の分からない宗教があったり。もの凄い頭が固い人たちが譲らなかったり。でも、頭の柔らかい人たちは理解を示していたり。 私は自分で感じて考えるしかないなと思っている。内にこもって考えるではなくて、人生のその時々において何を自分は感じて判断して、神様の時を時々感じて。何かあるんだよな、と感じる。あんまり深くは考えられないのだけれど、自分なりに感じたり、知ったりしたい。知識欲で言えば、キリスト教だけではなくて、色んなことを知りたいのだけれど、頭がパンクするというか、ついて行かないのだよな、そういうまあ言えば学問に近いことたちは。例えば、音楽理論だって少しは知った方が良いだろうし、意識や無意識のことだってもっと知りたいし、英語だって、子供にとっての教育や様々な方法や、もっとあるかな。いやーー、頭がまさにパンクするという感覚。そういうことをしないといけない学生さん大変。自分はまあでも、面白いなと思っている。色んなことを経験出来ているから。落ち込むこともあるけれど。

思い返すと、しょぼい自分だけれど。事実なんだな。ただ、心の奥にまだ炎が燃えているぜ。ほのう、だと思って変換されねえ、と思ったら、ほのお、だったぜ。

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  よく物事を忘れる。 恥ずかしいのだが、 昔、学生時代誰かが言っていた、 それがどういうことだったか。 縦だったか、横だったか、 どういう状態であったか。 どういう状況のことか、 細かく書いておく。 ということは、 今の忘れっぽい私には、本当だなと思える。 できていないことが、よくあるのだけれど。 何かを思い出す時に、そのメモをした時に気になったこと、気になったことの状態や、状況を書いておかないと、そのメモの書いていないところで記憶がストップしてしまうということがよくある。私は高校受験は塾に通っていたから受かったようなもので、今になって気付いたことは、当時はノートを見直す、という初歩的なこともしていなかったのだが。授業の時に気になったこと、箇所に印をつける。気になったことを書いておく。これって、重要だったのだな、と思っている。自分の脳に一度通過して、引っかかったこと、欠落していることはそのまままた、自分の脳には欠落していて同じところで間違うのだ。当たり前すぎることだが、それを実感していなかった。昔、高校時代、父親に間違ったところを復習していく、それが何で出来んのや、と言われた。何度もだが、勉強自体ほぼほぼしていなかったので、それはできんわな、と思うのだが。そして、メモから今感じると、そこでどう自分が間違ったか、なぜ間違ったかをちゃんと記録しておくといいのだろうな。同じところで間違った時に、同じような間違い、メモした時と同じ考え方、脳の癖で間違うのだろう。それを修正して行くのだ。今もそれが自分に出来るかというと、どうなんだろう。ただ、同じようなことで躓(つまず)くなと感じることはある。それと、今の英語の勉強で言うと、苦手な発音のヒアリングはずっと苦手で、何度もしつこく聴いて、やっとその壁を打ち破ることができることもある。これ、アスリートも現代的なアスリートはそうなんだろうな、と思った。ん、どうなのかな。でも、今になって、実践も出来ずに感じていることだ。そうやって、考えることは楽だが、受験勉強に取り組むとなると、少なくとも私の場合、大きなストレスに今でもなるとかなり感じる。できる人はできるし、本気の本気で努力しないとできない人も沢山いる。私は、ストレスでお肌がかゆかゆになりそうだ。リアルにそれを感じる。受験勉強って大変なんだよな、資格試験でも難しいのとか。子供のことを

春の生活。5月になったら、もう春とは言わないですよね。

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  呼吸を整えて、様々にそれぞれの世界は動いて、 しかし、私は今椅子に座って。 氷に注いだプーアル茶は丁度良い濃さで。 それぞれの生活があって、仕事があって、 私は私で生活をしている。 雨が続く、洗濯物はコインランドリーで乾かすことになるか。 とか考えている。 そんなことをボールペンで書きだしているうちに、 また、肌の痒みが薄らいで。 なんか、最近生活にやる気がある。 プーアル茶はお徳用のが余っているので、暖かくなり始めているので使っていこうと思っています。煮出したのを氷に注ぐくらいが濃度が丁度良いですね。私はやかんとか鍋とかで煮出すのがめんどくさくて、1パックを500mlのガラスの急須みたいのに入れて、電気ケトルで沸かしたお湯を注ぐので、買ってあるプーアル茶にはお湯の量が少なくて、温かいままであると、最初マグカップにさっと入れて丁度良い濃度でも残りの急須に残ったのが、かなり濃くなるのですね。なら、後からお湯を沸かして足せばいい、ということですが、私はその作業が面倒なのです。それに、500mlくらいその一時期は飲めば、十分だし。グラスに氷があると、残りの濃くなったお茶を入れても、許せる範囲というか、お茶を楽しめる範囲ですね。 腰はまだ痛いのですが、生活にやる気があります。掃除をしたのですが、屈む作業を暫くしていたら、ちょっとだけ腰が引っ張られる感じというか、痛みと共にありましたね。なるべく毎日少しの時間ずつ掃除をして行こうと思います。やる気があるので、毎日もほぼできそうですね。英語とギターも30分ずつですがしましたし。朝はApe に行ってちょっと作業をしました。こど看さんが紹介していた本を読み始めているのですが、面白いです。沢山買った中のまだ1冊目ですが。最初読み始めた時は、ちょっと教科書みたいだな、と思って、むーんと敬遠しそうになったのですが、書いていることが段々面白い内容に進んで。学生時代も教科書ちゃんと読んだら、面白かったかなー、と今さらですが少しだけ思いましたね。本については内容を憶えられてはいないのですが、付箋は付けていて。ノートに印象的なワードとページを書いた方がいいかもな。やっぱり面倒でそれをしていない。 肌の調子は良くなくて、そして先週よく食べたせいか、結構体重が増えています。3食を食べますが、ご飯少な目と野菜をちゃんと摂っています。濃厚な、小海老カ

土曜のおにぎり

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  良い知らせを聴く。 その時が好きで、 今の自分で良かったなと、何度も、 こころに思っている。 良い気持ちを抱いて、 眠ることができるから。 友達を失って、でも今まで生きてきて助けてくれた人も沢山いる。遊びに行ったり。ただ、人間関係のごちゃごちゃしたことが、好きではなく、それも今までやり直しを生きてきた期間、薄かったようにそんなに遭遇しなかった気もする。耳に入ることは幾らかはあったけれど。私はしょぼくて、嘘を付いていてばれて、恥ずかしくて勇気を出して、そういうことをして。まみれた。恩師には初めて会った時に、打ち明けて、私の家族も私がそうなったことを知っている。私は罰を受けているのだな。おかしな方向に行かなくて良かった、とよく思う。私は利用されてぽい、されるタイプの人間だと思う。小学生の時の自分を思い出して、誠実に生きようと思って、それが自分に合っていることも暫く生きていて感じるようになった。そして良い知らせを聴くことが好きになった。何というか、命の温かい質だ。それを感じるのがとても好きだ。 さて、今日は腰がまだ痛いので、歩きでも自転車でもなく車で図書館に本を返しに行き、随分延滞してしまっていたが、とにかく本を返して詩集を1冊また借りて。駐車場の清算が機械になっていて、100円用意して出ようとしたら、無料だった。何分まで無料とかなのかな。確かめることができなかったが。それと事前精算機も設置されていて、私は駐車場の券を持って出なかったのでそこは今回は利用しなかった。 そのあと、せっかくここまで来たからと思って、高島屋に行ってみた。ネットで帽子を買ったのだが、顔と頭のでかい私には、浅いつまり深くかぶれない帽子で、キャップ型なのだが。そう思って、帽子を見てみたいと思って、デパートなのでたけえかもな、と思ったのだが、話には聴いていたが無印が店舗で入っていて、結構広いスペースで。店員さんに聴いたら、男用の帽子が幾つか置いているところがあった。キャップ型を被ってみると、鏡を見て、顔でけえ、と思って。サファリハット型があって、被り鏡を見ると、いい、とてもいい、と思って購入した。自分が持っているサファリハットよりつばが短く、普段使いできそう。他にも無印内を散策して、有機オリーブオイルを買ったな。ドレッシングとかに沢山使おう。そして、地下に行っておにぎりを2つ購入して、ブログを書き終

今日の夕食は昨日の筍のバーニャカウダとお味噌汁、白飯にしようと思っている。スーパーには行かなくていいな。卵はコンビニで買うかなー。

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  一つマシュマロを口に入れる。 たまに食べると美味しいな、と感じて。 カントリーマアムも口にする。 自宅にはコーヒーも紅茶も用意されていて、 今日は淹れた紅茶を、氷の入ったグラスに注ぐ。 昼には近くの店の親子丼を食べて、 新陳代謝が鈍る薬を飲んでいる。 気を付けないとな、と思うけれど、 食べることが好きだな。 散髪屋さんを近くの散髪屋さんに行き始めたことがあるのだけれど、今自分で稼いでいない状態で行く値段ではない、と言われて、インターネットで調べて現在の比較的安い値段の散髪屋さんに行くようになった。決して問題があったから、散髪屋さんを変えた訳ではない、ということは言っておいた方がいいだろうな。近くのセブンスターも、以前の仕事場の方たちや、前教会の人に出会うので、ずっと働いていない状態が続いて、気まずいのと説明したりするのが、どうもなー、と思って、ほぼ行かなくなった。今はコープかサニーマートに通っている。 今回、美容師さん私が気になる、と言ったことがある美容師さんで頭の後ろのつむじ周りの地肌が見える状態を考慮してくれて、後ろの髪を上手くボリュームがあるように切ってくれたように思う。ありがたい。 図書館の本を返しに行かないといけない。明日返しに行こう。遅滞してしまっている。そして、何度もだが今じょーじのCD を流している。心落ち着く。 今朝は朝方早く目が覚めて暗いうちに、釣りに出かけた。何も釣れなかったが、おじさんが教えてくれた場所にちぬがいて、もう明るくなっていたので、警戒してか、時々ルアーを追ってくるのだが、食わなかった。私の昔からの知識ではちぬはかなり、警戒心が強く繊細であると、でも雑食。でもでも、釣る人はばんばん釣るのだよなー。 そのあと、Ape で本を読もうとしたが、かなり眠くなって自宅に帰り、2時間ほど寝た。そして、お昼に近くの食事処で親子丼を食すという。今日は偉かったのは、英語とギターはしたことだな。ずっとしなかったら、気になり始めて、ごく最近は取り組んでいる。子供に関する本や動画の様々があるのだが、まあ、ここは焦らずに段々と学んで行こうと。時間はある。無理やりでなくて楽しんで。腰はまだ痛いけれど、何か元気なんだよな、春が抜けたのかな、関係あるのかどうか。

今年の筍

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  子供の時も、大人の時も、色々なことがあるけれど。 つまり、良い時も悪い時も、 嬉しい時も。 私は今なら、旅人のように生きたい。 何処かに定住しているけれど、 気持ちは旅をしている。 捉われない。 良い風を吹く方向を感じて。 笑っている懐かしさを感じて。 旅をしたい。 と、希望する。 会社にも、組織には属しているが、比較的自由でいられる。ありがたい。我儘ではいけないと思っているけれど、用事がない時は、自分のプランで生きられる。それもそれで、気を付けないといけないことはあるのだが。だらだらし過ぎて、人間が朽ちて行くような。それも、慣れというかこの過ごす時間が暫くあったので、ある程度頑張らにゃあな、と気持ちを持つことができる。でも、落ち込んだら床にうずくまることができる、余裕がある。腰をかなり痛めていた間、床に殆どうずくまっていたのだが、段々動けるようになって来た時、日にちが経っていて、でも何も問題がないこと、悪い事態にならない、と実感と言うかその時そう感じた時は、快感だった。すげえ、事態だと思った。どうなっているんだろうな、という世間の事態もすげえ事態だ、とは思っているのだが、あまりに間接的過ぎて、どうなっているんだろうな、と思って、あんまり気にせんでおこうと思うようにしているし、自然にそう思えている。ただ、ことが動いた、と感じた時は胸が苦しかった。 今日はおじいさんと食事する時間があったのだけれど、その前に自動販売機でコーヒーを買う時、私のザ・天然が出てしまって、恥ずかしかったが、確かに面白いことになって、おじいさんも笑ってくれて、近くのジムの女の人が出てきてくれて、説明してくれて、おめでとうございまーすと、拍手をしてくれたのだ。この天然具合は、良い方向に転ぶ時と弱冠悪い時にも転ぶ時があるのだけれど、今回は良い方向に転んだ。良い時間だった。 昨日、スーパーで今年の筍がアクを抜いて茹でている状態で売っていたので、2袋買った。値段もそんなに高くない。木の芽も多めに入っているパックが安く売っていたので、筍と木の芽を使ったバーニャカウダのソースで食べるのを夕食に作ってみようと思っている。楽しみね。今年は筍が出回っているのをよく見かける。当たり年なんだろうな。

火曜日。

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  猪熊弦一郎美術館に行ってきた。最初下道で行っていたのだが、高速の方がやっぱり早いね。途中から高速に乗った。 絵の展示は、うーんここがすごいのかー、と一所懸命に見るというよりは、面白いなー、と次々に見て行く私としての今回の回覧の仕方で。ライトに楽しんで見て行くことができた。 こういう絵。ちょっとエモーショナルに働きかける絵もあった。面白い。 写真も結構撮っていた様で、こういう木のストラクチャーの写真を一時期よく撮っていて、絵もそれに影響されていた時期があるそう。その絵をアップすりゃ良かったな。他にも生活していた場所の様子を撮っていたりして、私がその写真たちを見てまず思ったのは、ばあちゃんちの昔の写真だ、と思った。暖色の、茶色赤いっぽいというか。昭和の写真ということかな。 ホビ族という部族のカチナドールに感銘を受けた時期があるようで、こういう絵も描いていたようす。個人的にはその中のこの絵が教会に来ている小学生の女の子に雰囲気が似ているなー、と思った。 楽しかったな。ライトに遊びに行くという感じの展覧だった。 帰りに昼食をせい華だったかな、というお店で食べて、ランチのメニューを選んだのだけれど、830円で台湾ラーメンとなすの肉炒めのセットを頼んで安いな、と思っていたら、出てきたセットがライスとサラダもついていて、あとお漬物も。通常の私だったら、ラーメンにライスはありえないのだけれど、なす炒めがしっかりした味だったので、ライスが丁度良く。なす炒めもセットだから少ないのだろうと思っていたら、しっかり1人前の量が出てきて。おお。と思っていたのだが、美味しく楽しんで、今日はすげえ日だな、と思った。外出したって、感じがする。良い日だった。

まずはハイボールではなく、ストレートで。きゃー、BAR で飲むみたい。ウイスキーはハイボールじゃなきゃ中々飲めない、飲まないので。

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  美味しいドライカレーを外食する。 いらいらした時、またそのドライカレーが食べたくなる。 そして、本当にまた食べてみると、 見事、一時的なことなのかもしれないが、気持ちがほっとしている。 カレーが本当にドライなのだ。 私が作るように、なにかに他の具材を入れていない。 今日はその気持ちを告白しておく。 もっと前よりは、外食することも多少増えている。私が好きな場所は人が少なくて、もちろん美味しいところ。人がいる場所も時間をずらせば、松山であるので少ないことも多い。あとは、私は店のことをというか、そんなに美味しい店の数々を知らない。以前ウオーキングに行ってお昼を外食にしよう、と思った時は花園町を歩いて、カレーのラルキーに行こうと思うと、いっぱいで席がなくしょうがねえなあ、とそれまでにどんな店があるか、花園町の通り沿いの店を見ながら歩いたので、そう言えばバーガーショップが開いていたようだよな、と思って初めての店を思い切って入ってみた。結構なお値段だがせっかくならと思って、辛口のジンジャエールと共にバーガーを頼み、食べるとすげえ美味しくて。私が頼んだバーガーがシンプルだったのかもだが、大人のバーガーだぜ、と思った。ずんずん、ずんずん、ソースでくる感じではなくて。また行こう。腰が治ったら、ウオーキングをして。 腰の痛みが左側から中心に来ている。左側もまだ痛い。イメージでは芯に来ている。痛みは前よりは大分いいが、気を付けないと芯にそういうのが来ているぞ、と思っている。 結構良いお酒を買った。ウイスキーは桜の甘い香りがする、だったかなそういう説明書きがしてあった。私は春に桜の香りがする甘いものを食べるのが好きで、昔の大きめのスーパーのイートインというかその場所にあったジェラード屋さんの桜の花の塩漬けが入ったジェラードのことが忘れられない。あれから、桜の花の塩漬けが入ったジェラードに巡り合ったことがない。 今日は20%オフになっていた、ホタテの貝柱を買っていて、長谷川あかりさんのごま油を熱してかける料理をおつまみの一つとして食する予定だ。楽しみね。 何度も何度も書くが部屋を綺麗にしないといかん。負の負債がまだ転がっている。ブログはそういうことの弱音を吐くことや息抜きができるので、書くこととなる。本当に元気がなかったら、床でうずくまっている。 良いお酒が楽しみだ。

希望を持って。

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  痒みが痛さと伴って、 いらいらする気持ちを鎮めて行く。 書く、と気持ちをそちらに向ける。 定まって。これくらいの痒み。 気持ちを定めて行く。 私は祈りにも可能性を置いている。 眠り過ぎたり、夜にお風呂にはいらなかったりすると、痒みが酷くなる。何かに集中するとその痒みを忘れて行く。短い間だとしても、ペンを取り詩を書いて行くときも気持ちを落ち着けて書いて行くと、痒みを感じなくなる。祈りにも可能性を信じていて、自分の身体やそういうことになると、特に祈りを諦めたくはない。殆ど内容は忘れたが、図書館で大分昔に借りた本に、瞑想について書かれていて、ある人がこれは本物だ、と感じている箇所があった。ただ、その本物だ、という書かれた場面の雰囲気だけ憶えている。私たち一人一人の深いところにある鍵。私の勝手な考えというか意識していることは、そこに向こう側、神様の世界に繋がっている、という不思議があるのだと勝手に思っている。私はクリスチャンなので祈りにそれを託している。すぐに諦める一面も私は持っているので、しつこく祈って行きたい。そして、マザーテレサが祈りは私にとってガソリンというように、エネルギーが起こされるように。謙遜では全くなく、本物たちの祈りができるか、と言われたら、どうもそうにもできない、と思う。しかし、祈る。心の不思議、魂、霊的な感覚。少なくとも、人間にはそういう概念がある。全く、それが微塵も理解できない、その感覚がない、ということは多分大体の人においてない。人間は掘り下げると不思議なのだろう。いや、命は不思議なのかもしれない。生まれて生きて、朽ちて行く。戦争で簡単に死んで行く命があれば、私のようにそういうことを色々考えたり、しんどくなったらアイスを食べたり、これからどうなるんだろう、と希望を持っていたり。そうだな、急にはっと思うと、幸せになりたいな。まだまだ色々なことを知りたいとも思うし、しかしでも頭がついて行かない。SNS を見渡す癖がついていて、もっと落ち着けて一つのことを、本を読んだり、人の話を聴いたり。常識を知らなかったり。頭の回転が追い付かないこともあるし、後から遅れて気付いたり。人の希望とか見せてもらうと、気持ちが良い。でも、私は自分にも希望を持って、やっぱり自分の思うことがしたい。しかし、そういうことも全然頭に入って行かないのだよなー。もっと、実感が欲しいの

人に対してためらうことが多くなった。

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  悔しさや恥ずかしさ、感情は手離さず。 いつか、いいことあるんだろうと思っている。 今まで出会ったことは、対処していくというイメージで、 自分の本当の思いに嘘を付くことはなかった。 というより、嘘を付ける隙などなかった。 私は昔から分かり易くシンプルなのだ、と思ったが、 そうでもなくなってきたこともある。 思い、というのを大切にしたいが、これも経験でできないこともあるんだな、と感じている。 新しい人間関係というか、良い人だったら脳内が新鮮になるので話してみたいが、大体めんどくせえことになるので、そういう機会になりそうになったら、避けるようになってしまった。ろくなことがねえ、と。去年の秋くらいから、頑張る感じが進歩していなく、頑張っていねえなあと思っている。腰を痛めてからの負債が大きく、掃除がめんどくせえ。でも、今音楽をかけたら、じょーじのCDを、いらいら感が抜けて来た。4月とGW を避けた5月は色々旅に出ようと考えている。だいたい近場の日帰りの旅と、何度もだが藤子・F・不二雄ミュージアムに行くのだ。大学時代ドラえもんの話から四次元の話に持って行ったことがある。馬鹿な私ではあったが、今憶えているのはあっているか分らんが、本当の真空がブラックホールの正体ではないか、とも書いた記憶がある。すべての一切の物質、原子などが本当になくなった無になった状態がブラックホールなのではないか、と。あんまり宇宙のことは知らないけれど、今はもっと壮大なことなんだろうな、とは思っている。ただ、真空と言われている状態が、全てにおいて無なのではない、とその頃から当たり前だろうが思っていて、完全に無な状態、それは光があればそれを取り込み。全てを取り込もう、と。ところで、重力の正体って何なんだろうか。昔は電子の何かが引き合ってと思っていた。知らないことは多い。 本を読むのもおっくうになっているが、時間があるのでこの時間をまた読書にあてようと思え始めている。こど看さんのえっくすから参考にする本を結構買っていて、そこを中心にして、読めていないネットで興味を持った本も読んで行く。楽しいを前提にして生活をする。 今は何か遊びたい気分だ。旅だ、旅。

前向きにいきたいね。

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  インターネッツを開いたら、農地を太陽光用地として売ってください、査定します、みたいなのが出てきた。好みとしては、農産物は地産地消、または国内産でまかなえるのが好みだが、安いのが外国産となり私たちが気軽に通える外食産業は、その安い外国産の農産物を使用しなければあのお値段では食すことができない。多く作った国内の農産物は、廃棄となりそれでも豚さんなどが食すことになる、が。頑張って作った農家の方としては、やっててあほらしわ、となるのだろう。そこら辺の潤滑をどうするか、ということになるのだな。協力的な企業は国内産の、結局契約にした方がはっきりするが、農産物を契約した農家さんと消費するという。よく分からんが、素人考えで思った。お酒も入っている。スーパーとかの古くなった野菜とかどうしてるんだろ。 さて、生活を立て直さないといけない。腰が痛いのにかこつけて、生活のことを疎かにしていたら、部屋がひどいあり様だ。しかし、これくらいのことなら、リカバリーができる経験をしている。 あ、急にまた考えがもとに戻ったら、向き不向きがあると想像上では思っていて、農産物のことだけれど。都会にいても、農家のあの地道でもちろん大変で、でもゆっくりした時間が流れている仕事が実は向いている人や、ばきばきにあのビジネスの世界が向いている人。色んな人がいるだろうな、と思う。農家の人は師匠がいたら、幸運ででも何十年もそのノウハウを学ばなければいけないのだろう。でも、都会で傷ついている人も実は運が良ければ、そういう道もあるのだろうな、と思った。個人的には誠実に研究しながらやってくれるなら、農家の人も増えたらいいのにと思う。そういう人も増えていて、空きが少ないのかな。あとは組合のこととかかな。 自分のことだが、今年はどういう1年になるだろう、と思っていて。大分、この異常な暮らしには慣れているのだが、でもだからこそお金にまだ余裕のある今、近場でも色々出かけようとは思う。誰に遠慮することがあるのか。でぶのままなのか。食に気を付けよう。 しかし、気が落ち込んだ時に、この異常なままでは嫌だ、とかなり感じる。前向きな話がしたい。 幾らか前に、小学生の女の子が私に対してあることをした時に、びっくりしてしまったのだが(変なことではない。)。何となく気になる子で、もっと小さい頃に、君はええ子じゃ、と思ったことがあって。私はこうい

花が咲く。

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  ささめきごとを、耳に澄まして。 春を忘れて、 置いてきぼりにするところ。 なんとも。 忘れない、喜びたい。 桜が咲いている。 でないか。 宇和島に行ってきた。はぜたご老人は今年は支えてもらっている。花はちゃんと咲かせている。花咲きじじい若しくは、おばあかな。 腰が痛くてふてっていたが、桜が咲いている内に宇和島のこの場所に行こう、と思っていた。痛みは今日になって大分ましになって来ている。痛いけど。この川辺の桜の近くに、ほづみ亭という食事処があって、花より団子というか、ほづみ亭があるからこの桜たちの咲くころの写真を撮ろうというか、宇和島まで行く理由になっている。でも、2年前だったかな、たまたまこの川辺の桜並木に咲く花を見て、かなり心が動いたのだな。今回は、遠くから小学生の女の子たちの自転車で川の向こう岸を通り過ぎる声に、でぶでくさい、と聞こえた気がして。最悪じゃねえか、とモラルを気にせずに言うなら自分のことながら思った。1年前は素敵な子供2人の姿を見ることができたのに。宇和島鯛めしももうちょっと、身が入っていてもいいかな、と思ったな。美味しかったけれど。桜はとても良かったけれど、この桜の場所に来て何か温かくなる場面に遭遇することはなかった。それでも、この場所の桜は良いな。 近所の桜も満開くらいに咲いているだろうから、見に行こう。ずーっと横になっていることが多かったから、そろそろ動こう、だし、動きたい。エネルギーの方が余っている。もうちょっと、宇和島の桜を味わう時間を長く持っても良かったかなー。喜びたかった、もっと春を。