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12月, 2018の投稿を表示しています

良いお年を。

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今年1年を振り返って。今現在の気持ちとしては、楽しかったな、という気持ちだ。ただ、書くだけでは鬱屈していたと思うが、ネットから色々な物語が生まれたのではないか。その場では必死なこともあるが、今では物語を思い返すように感じる。結構、ちやほやされている感じがするし、それが間接的だからちょうど良い。ふと、ちやほやがなくなって、あきられてしまったら、どうしよう、と恐くなってしまったことがあるが、現実の世界をどうにかすれば、それはそれで何とかなるのか。何とかしたいものだ。 ブログは今は、私の命綱のようなところがあって、暫くはやめられない。先を思うとどうなるんだろなー、と思う。間違ったこと言いそうだなー、恐いなー、という気持ちもある。アイデアの面では私としては新しいことで、思い付いたらブログに書いて、採用されたら嬉しい、とは思う。この面では面白い。ふと、思い付いたことを紙に書き留めておいて、ブログに載せる。 ぼんやり思い出すのは腐ったみかんの逆。この人たちの中にいれば、きっと引き上げてくれるから、という言葉。ある場面を見て思い出していた。だんだんと変えられて行く。いいことだ。 今年がおわる。はやいなー。

鯛がつりたい。

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わたし、つる。あなご、つれる。あなご、ちょうり、めんどくさい。 おなか、だす。ちょうり、あした。 あめ、ふる。つる、やめる。 あめ、みぞれ、かわる。あした、さむい、だ。らじお。 てをあらって、ばーが、たべる。こーひ、のむ。 みせ、あたたかい。 まね、だけと。そろり、かんがえる。 てをあらって、よう、たせ。

12月26日。

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クリスマスイブに撮った写真に私がガラスに映っていたのが悔やまれる。あのパターンはすべて映っていた。 本当の気持ちの私、それを晒したようでかなり暫く恥ずかしかった。いつも周りにいつも通りのように人がいたら、強がっていただろう。でも、今はそれと共にいる時間があって、その時間を抱きしめていられる。ん、少しかっこうをつけたのだが、その時間と暫くいると、そのうち心地が良くなってくる。なんたらのなんたら40歳。希望あれ。 今日は1日おくれのクリスマスプレゼントが送られていた。ということにしている。わおう。だから、今日も。 今日も寝過ごす。今日のは本格的だ。 来年は今のこととか気にせずジムに通おうかな、と考えている。たまに少々美味しいものとか食べても気にしないように。 炭水化物。 近くのジム。 結構で本気。

メリー・クリスマス♡

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少しだけ眠れたら、クリスマスの朝がやってきて、 コーヒーがとても美味しい。 小さい頃、アニメのエンディングソングで聴いていたような やさしさのかけらたちがいるような、 音もなく舞っている。 でも、耳を澄まして そうしたら、音が立っている。 鼓動がこころが、 生きているので、音がする。 記憶に残る朝になるだろう。 雪はふらない今日、という。 町々はもう抱きしめている。そうだろう。 早朝の笑い声を浮かべて、 ♯クリスマスの詩を書こうよ

Silent night.

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車の中でスローテンポのクリスマスソングが流れる。私は昨日の時間がとても楽しかったと、父親に伝えていた。優しかったから。 私はいつまでも子供かと、恥ずかしかった気持ちになるけれど、もう一度欲しかった。 もうすぐ教会。 実はストライプのシャツを着ていて、その上にパーカーを羽織っていた。特別な気持ちになりたかった。 音と歌が響いていて、声を掛けてくれる少年。美しい男らしさの鱗粉で飛ぶのだろう。 扉に人形の紐で鍵をする、きれいな目の山の子が、 私の荷物の下を駆け抜けた速さで、その紐をほどいてくれる。 鍵がひらいた。だったら。 こころを押してくれる人と人。 辺りが暗くなって、でも、ロウソクの火は消えない。 揺れた私のこころは、静かに静かに、と伝えてくれたので、確かに静かになって導かれていた。クリスマスイブ。 静かだからと言ってくれたので、私はこの夜が澄んでいることを知った。 あ、そうか。Silent night.きよしこの夜。 ♯クリスマスイブの詩を書こうよ

ねずみ日記

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ぼくはおもう。おじさんはかんじょうてきになっていろいろといっているけれど、 たいはんはねてんじゃねえのかって。 ほんとうはしっている。さいきん本もろくによんでいない。 しんぶん? そんなことより、ついったーばかりきにしている。 おとがめもないことに、すこしおどろいているみたいだけれど、わるいことしてみようって、きょうのしんや3じによしのやにいっている。あいすとかちょことかもたべたみたいだ。 よしのやはねぎたまぎゅうどんにしておけばよかった、といまでもこうかいしている、とかいっている。しらねえよ。あたまのおおもりにしておけば、とか。それもしらん。 きょうのゆうしょくは、ねぎとてばもとのりょくちゃすーぷにとさばのてりやきつきみどんだって、よかったね。

私も人の部分が変わって来ているような気がする。大人、という意味で。

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最近、外に出て写真を撮っていない。ブログの更新が頻繁になってきたからだろうか。思い付いたら机の上でカシャッと。ようするに、面倒なのか。良くない、めんどくさい。 今年も今日を除いたらあと11日。早いものだ。来年は本を読んだり情報を取り入れる年にしたい、と思っている。 現場を考えない妄想をよくしている。妄想を公表していることが、現場の人を不快にすることもあるかもしれない、と思いながら、考えもする。 どうすれば、これを追ってみたい、と思うだろうか。どうすれば、自分が持っている鐘が震えだすだろうか。進路変更をしてもいいし、挫折したらここで休め、ともいいたい。テレビで誰かが言っていた、本物に出会わすことだ、と耳に残っていることを実行するには人づてを作っていて、これもテレビで観たテレビ中継で2週間に1回講義をしてもらうとか、眠そうにしている子にはここ、どう思うとか、当てて貰って、自分なりの回答をしてもらうとか。小学生に上がってから分からなくてもいいから、その講義を聞いてもらう。耳に残ればいい、とか。今の時点でこれだけ情報過多の中で、興味を自発的に持ち始めるには、外からのアウトプット、(インプットですね。外から働きかけられて入ってくる言い方はなんだろう)(アウトプットをインプットするでいいのかな)地方にも経験をもった先生と言える人もいるから、種を蒔いてもらうことか、とか。色々な分野の人に講義をしてもらう。先生を引退した方にしてもらうでもいい。個人的にはドキュメンタリーが頭に残っていて結び付いたことがある。これだという、ドキュメンタリーを素直なうちに観せておく、とか。今、思い出し浮かんだのは、在日の綺麗な小学生の女の子がクラスに別れをつげる場面で皆が泣いていた場面。しかし、そういう真面目なことが、思春期を過ぎた時は、恥ずかしい、真面目過ぎる、とか思うのだよな。反発してしまうかもしれない、じゃあ、どう、上手く泳がせるか。真面目な分野のかっこいい、部分をみせるか。小さい頃の社会に役にたちたい、とかいう気持ちには好感が持てる。それを持っているなら、それを持ち続けるにはどうしたら良いか。種を持ったな、と感じたらそれをどう伸ばさせて行くか。資金と協力が必要か。専門にしている人からは厳しい指摘もあるだろう。どう自立させていくか。早くに、ということもあるかもしれない。制度を知らない。挫

外に出てみれば結構暖かい。

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寒いのが苦手なのは確かだが、言い訳がほとんどだ。ただ、起きるのがめんどくさいとか。今日もやってしまった。軟弱なのは自覚している。このままでは今日1日がつまらない1日になると思って、水筒に熱いコーヒーを入れて、図書館まで歩くことにした。読みたい本はだいたい、予約待ちだが、少し前の書籍でTwitterを見て興味が出た本とかを読んでみようかと思っている。しかし、Twitter、どんどん更新されて行って、どこでどの辺で見かけたかを忘れてしまう。(見、観の使い方をどう分けるかを迷ってしまう)料理のアプリも無料までを使っていて、更新されてどんどん見れなくなる。しかし、ハヤシライスはメモをしておいた。正解だ。さらに、ローズマリーを少し加えて香り高くなって私好みだった。とにかく、今の目的のない時間ならば気になる本はネットで見かけたら、メモを取るようにしておこう。するのかな、多分するだろう。休憩に水筒に入ったコーヒーを飲んでいたら、学生さんが友達に物理を教えていた。透き通った男子学生の声、と勝手に思って知的だな、と思った。かっこいい、とはこういうことだな、と今は思う。その頃にそうなれる学生さんは少ないのだが。だから、価値があるのだろうか。今、勝手に考えた事だが。いろんな、タイプがあるか、と思いもする。沢山、人間いるんだな。 買ってしまった。買い物もほどほどにしなくては、だが、この世界観は好きだ。時間があるからだろうが、確かにこどものわたしがこの気持ちをおぼえている。感じやすい。みんな買っていて、いいな、と思っていた。がまんきかず。ネーブルはわざと2個置いたわけではないですよ。そこまで、考えていない。

パクチー

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昨日、コープの生産者コーナーにパクチーが置いてあった。購入。コープは常備としてパクチーは置いていないが、たまにこうして生産者コーナーにあるのを見かける。だったら、せっかくなら、パクチーを使った料理をしようか、と思うことが多い。だから、買う。水野仁輔さん式のレシピを作ることにする。NHKテキスト、趣味どきっより。今日も買い物に行ったが、ココナッツミルクを買うのを忘れた、というか、家にあると思っていた。牛乳で代用する。骨付きの鶏のところをオフになっていた豚肉でこれも代用する。 今までソーセージは茹でるか、フライパンで焼くか、と時間が掛かっていたが、最近電子レンジで1分加熱して食べている。非常に楽だ。皮がさけてはしまうけれど。ケチャップとマスタードで食前に、とかに食べることも多い。

チーかま。

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三角みづ紀がチーかま買っているのを見て、いいな私もチーかま食べたいな、と思って近くのファミマでチーかまを買ったのだけれど、多分同じ会社の物を見つけたのだが、チーズの入っている種類の多さが違う。ん、と思ってああ、そうか向こうは北海道だからか、と勝手に納得して、(多分そうなのだよな)夕食前にチーかまをいただく。美味しいね。 書いているうちに感情的になることが多いから気をつけないと、と思うが少しばかり、刺激的だね。本当に思っているのは暫く平穏に過していきたい、と思っているが何処かしらから、ふつふつとしてしまうところがある。2面性があるのか、でも本当に気を付けないと、と思っている。昔から吐き出す場所でもあるのだよな、ブログは。そうだったよな。 あまり、気にしないでね、と思う事があったり、あとのことを考えなかったら感情的になって書くことはその場では気持ちが良かったりするのだが。でも、人の迷惑と自分のためにも考えてから行動、書くことも必要だな。しかし、だからたまの感情が沸き上がるのだろうか。感謝もしないといけないし、いつまでもこんな恵まれたことはない。

私も待ち望んでいる。いい季節だな。

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雪解けの水を待ち侘びて、 魚たちが眠っている。 寒くて、頭が締め付けられて、 そんな感覚がしているのだろうか。 哀しいことを哀しいと言える。 それでいいと。そんなことがある。 いつまでも、この季節が巡っている。そうは思わなくて、 明るい陽を浴びている、そのうち羽が生えるような、 そんな人たちはまだ見たことがない。 でも、私たちはこの世を生きて、大人になって行く。 複雑なこの世界に、愛が巡る。 それなら、私は見たことがある。 だから、絶望などしない、しなくていい。 愛という血を運ぶ血管がこの世にまだあるのなら。

寒気やってくる。

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寒くなってきている。冬眠前のモグラの様になっている。モグラが冬眠するかは知らないが。やはり、寒いのは苦手だ。ただ、いつまでも毎年それではいけない、と思っているので、だが、どうすれば良いか。今日は午後から水筒に熱いコーヒーを入れて、車でドライブをしようと。今はブログを書き終わったらウォーキングをする予定だ。夕食は簡単に味噌豚キャベツ炒めだ。 午後のドライブの途中、浮かんだのは美術館で障害者である方たちの展覧会がある、とニュースでしていたのを思い出して、行く。美術館の南館でやっている。行く。 勝手な感想をすると、面白い、が力強い、という印象。本当に面白い。見て回ると、単純にアニメが好きなのだな、という方もいるし、芸術的な場所が面白い、という人が勝手な感想だが結構いたり。そのピアス私が女子だったら欲しいぞ、と思う完成された作品があったり。利き手ではない手で描かれているか、という作品があったり。沢山いるだけ、沢山の個性があった。偉そうなつもりでなく、本当に面白い。あと、私は題名を付けるのが努力しないと苦手な方だが、その作品でその題名、すごい、と思う作品もあったり。いい作品は本当に良かったので、確か16日までなのでぜひ。ついでに私も障害者手帖を持っています。それで? とも言われるかもしれないが。暫くずっと、オープンにはしていなかったし。苦しんでいたこともあるのではあるのですよ。それが原因か今は混じり込んで分からないが。 下の階に行くと、済美の学生の展覧会。ゆく。透明性、というか、おじさん心が洗われます、と思う。やはり、その頃にしか出せないものはあるな、と思う。少しだけ、むふふ、と心が洗われて(照れでこういう風に表現するが本当に良い物に触れたな、と思った。難しくもあり、いいときでもあるね) 同じく、済美? の幼稚園の子たちの絵を観る。すごく、いい。綺麗な水滴がたくさん、の印象。何より感じたのは笑顔の絵が多い。もちろん、その頃から、個性がそうでなくても良い、と思うが、おじさんうれしいな、という気持ち。 この冬にいい風に沢山当たったな、と満足して美術館を後にする。 大事なことは、勇気と勢いがないな、という気持ち。許してもらうしかないのだが。盛り上がっている私の場所以外では結構、不潔で欠陥品だぞとは自分をみつめて思いはする。 たらればさんの話し良かった。私は考えてブ

松任谷正隆さんのびーとるーずの命名は今でもすごいなあ、と思っている。

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母親が持っていたビートルズの曲をダビングしたカセットテープ。手書きで曲名が書かれている。私は物を大切にしない所があって、特に若い頃はなのだけれど、そろっていたカセットテープが今ではこれだけ。どこにやってしまったのかな。abbey roadのカセットテープも車の中にあったはずなのだけれど、ない。と思っていたら、中身だけbeatles 10の入れ物にabbey roadのカセットテープが入っていた。入れ物もあったはずだから、被害妄想的な思いが、盗られたかな、と浮かんでしまった。世界は大丈夫気味な感覚になっているけれど、気を付ける所は気を付けておいた方が良い。経験上。(信用しているところは信用している) 私が自分で聴き始めた洋楽はbon joviが初めてだけれど、beatlesは母親が好きで家族で山へ行く途中や帰りに車の中でよく流れていた。私はどのカセットテープに入っていた曲かは忘れたが、ヘルタースケルターという曲が好きだ。beatlesにしては狂暴な曲だと思う。ヘルタースケルターで合っているよな。 若い頃は母親を馬鹿にしたような態度が多かったことは、後悔の1つとしてある。家にあったリルケやキーツの詩集も母さんが買ったのだろうし、英語も若い頃から勉強しなさい、と言われていたのに無視したような態度だったし。今、思い出すと暮らしの手帖の藤城清治さんの画が乗っている絵本も寝ながら読んでくれていた記憶があるし。多分、そうだったよな。映画も好きだったし。映画に関しては私に対して感傷に浸り過ぎる映画は観させないような態度を取っていた気がする。想像すると、母さんもそうだったのだろか、そんな気になり過ぎる危険が映画にはあったかもしれない。日常がそれになってしまうような。想像なのだけれど、だったら私はやっぱり母さんの子だよな、とは思う。思春期はそういう危険もある時期かもね。今はそれを楽しんでいる余裕が少しはある。こんなこと言っていると母さんに悪い気がするけれど。母さん自身も私にそういうような助言もしていたのではないかな、確か。 とにかく、芸術的なようなことを置いていてくれたのは、母さんだったな、と今は思うのだよな。単純に母さん自身そういうのが好きだったのだろうし。人生にお洒落とか、芸術的な(料理とかも)文化がトッピングされていると豊かではあるな、と思う。大げさな事ではなく。

寒くてぞくっとして、鼻にまでぞくっが、来たり、ぶるぶるっとしたり、感傷が身体に震えて来るときは、上を見上げて、レオンの悪い刑事がかりっと、噛んでキメル時を思い出して、息を鼻から吸い込んで震えます。家では。

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いつも、時間は嘘を付くことはなくて、 あの窓の日差しが、 今も時に熱を運んで、 深い、深い、こころの奥が、何かに気付いている。 積み重なって行く記憶が、 時間と平行して、 今では、大切な映像と写真と声。贈り物。 思い出さないことは、もうそこまでで、よくて。 あれから、時間とこころとが共に鳴っている。 生きている世界に、こんな。 だから、だったら、私は白髭のあの人に。 時の知らせに、鐘を鳴らす、白い布を持って。 夜、空にあの子を運びたい。 ジングル、ジングル。 スマホで新しいことをすることが苦手なのですが、ラジコとJFNパークをアプリとして取り込んで聴き始めています。音楽を聴くのは好きなのですが、久しぶりにJ‐POPを聴いて、すっかりそんな気分になって、その勢いで久しぶりに音楽を聴いての詩を書きました。完全に感傷に乗って詩を書いています。気を付けてもいない。女の子の歌手でギターが鳴いていたので、そんな気分になりました。こんなことができることもありがたい。

1度今の自分がどうなのかを客観して見てみたい。冷静に自分の眼で。

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夕食は今日の料理ビギナーズをテレビで観てメモした、簡単シーフードグラタンとアサリの豆乳スープだ。何度も思うが料理を楽しむ時間があることはありがたい。シーフードグラタンはちゃんとしたえびとミニホタテを使うのが、レシピだが、冷凍のシーフードミックスでいいか、とコープで今日購入。 今週はブログをよく書いたな。自分の本当に感じることには頑固、というのはいい面もあるな、と思う。悪い面は考えたらあるだろうけれど、よく考えたことはない。自分に感じていることに嘘を付いていると、それは自分が嘘みたいになってしまうかもしれない。経験はある。間違っていると感じたら、納得が自分にけりを付けるかもしれない。日常で全て正直にいろ、というのはありえないけれど。みんな、理不尽を我慢して黙っていたりする。これもまた変な意味で言っているのではない。 未だに感覚で生きているところがあって。段々、大人に、整理を一旦して考えも少しはできるようになったけれど。いくつかの感じるカテゴリーがあったとして、ちゃんとした愛がある環境に育っているなら、どこかが鳴っていたら、それに少し向き合うことも、ひょっとすると大事なのかもしれない。あれー、こんなことが鳴っている、と友達にも言えないな、くらいのこともあるかも分からない。今の状態で書くようなことではないかもしれないが。中学生から高校生くらいの学生さんのことを浮かべている。大学に行ったなら、感じていることを咀嚼してたくさん実行する時なのか。いかんな、考えが先走り始めている。勉学は割り切って、勉学としてするのが学生さんの本分か。私が言うことでもないが。大学も専門性が高い所でちゃんと勉強すれば、身に付くことは多いだろうし。 何が言いたいか分からなくなってきたが、自分が本当に感じたと、思ったことと何年か対話することも1つの生き方、生きがいにもなるかもしれないな、と。変化していくのも面白いし。今だから言っていられることでもあるのだけど。

夕食は土井善晴式、ハヤシライス

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ふと思って、宝くじってネットで購入できるのだろうか、と思って調べてみると、購入できる。クレジットカード情報、振込先の銀行口座、メール、暗証番号を登録しておけば、それからは暗証番号とメールがあればカートに入れて購入できる。これはテレビでもっと宣伝してはいいのではないか、と思った。簡単な登録の説明をして。ギャンブル性が高くなるから、テレビでは宣伝しないのだろうか。ロト6とか、毎週月・木が抽選日なのでそのうちの1回をおじいちゃんの毎週の楽しみにできる。3口600円とか決めていて。年末ジャンボも買えるみたいだし。スマホを持つ、若い社会人も密かな楽しみとして、ロト6くらい始めるかも知れない。当選金も振り込み式みたいだし、楽だ。記憶ではロト6は結構テレビで宣伝しているよな。だったら、面白い感じでスマホで、当たった、みたいにかそれともスマホで番号を選ぶことに悩む様子を、まあ、もっと面白く作り上げた方が良いだろうけれど、宣伝すればよいのではないか。もうしてるのかな。 私は時代には遅れている方なので、若者はとっくにそんなことは分かっているかもしれないが、宣伝をすることで、かなり意識がネット購入に流れるのかもしれない。最近のおじいちゃん、スマホは持っていなくてもパソコンはある程度できる人が多いし。 数年前にスマホでのゲームの課金の制度を知って、驚愕したが、それなら宝くじの方がまだ健全だと思う。

コーヒーは美味しいのがいい。

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月曜日、ホームセンターでテレビに映る外国のアニメに2人のちびっこ兄妹が夢中になっていた。店員が使うだろう、カートに2人が乗って上を見上げている。ずっと見ている。何て純真なのだろうか、と思った。店員も何も言わない。心がきゅんとして、私のような者でもそれを知らせてくれたことに感謝した。ふと、車に乗って近所で、橋に寄りかかり子供が携帯型のゲームをして、隣の昔恐かったのかもしれない女の方にゲームの説明をしていた場面を思い出す。女の方はうれしそうに優しく聞いていた。白黒の写真で撮ってみたかった、と今は思う。人の写真はやはり、気を付けていないといけないことは確かだが。 嘘みたいな世界はもう結構だ、と思っているのが今の本当の気持ちだ。 散散なことをして、私自身も個人的に感じる道がどうなって行くのか、分からないし、今までの感覚では許されるはずがないが、よく最近、思っていることは、大切にする、と思っている。許されるのだったら、結局私なりに、だが、大切にする、と思っている。それが自然にできたら、いいと思っている。馬鹿にしている、と思われることがいつものことになるが。

いつまでも、はやはり、しないで。

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栗原はるみ式和風バーハンの続きが今日の夕食だ。すだちもちゃんと買って、すだちポン酢を昨日作ったのが冷蔵庫にある。バーハンも形作ったのが同様に。そういえば、付け合わせは作っていない。コープの合い挽き肉は牛がちゃんと入っている気がする。食べた時に牛感がちゃんとある。オフを2パック買った。醤油さしを買っていて、本で読んだように昆布をその中に入れておくと、なるほど出汁醤油の味がする。醤油の種類を変えて味わってみようか、と思っている。 来るかな、と思っているとやはり、ロスが来ている。目的がなくなった気分の状態。幾らでも眠れるし、食べてみようか、と思うと御咎めなく食べる事が出来る。私はそうしていると、どんどん、部屋も汚れるし、私自身も不潔になって行く。自分を律することが下手な種類の人間。本来、私に合った程度の目標があればやりがいとなって、活き活きとし、高い目標が突然現れると、ねこむ、という人間。 11月はもういい、と決めていた英語を開始する方が良いし、ギターに関しては悲しいほど下手だし、それによって弱気になっている。だから、また練習を始めよう。する、しない、ならばする方を選ぼう。あと40年くらい時間はあるかもしれない。ないかもしれない。何度となく言っているか。 しかし、今日は雨が凄い。暖かいし。冬への合図だろうか。今週後半は寒気がやってくるそうですね。 寒くなったら作ってみようと思っている、韓国風のお粥。 韓国風の煮干しだしで作ります。にんにくとか入れるのね。美味しそう。 決めごとを作るかな。紙に書く程度にして、机の前に貼っておく、くらいか。 このままの流れであると、不潔でデブのままで、夜むくむくと起きてカップラーメンを食べているような悲しい現実をまた見てしまうかも知れない。中学の頃だったか、教師が言っていた、この頃の習慣は大人になっても続くことが多いから気を付けて、がまだ頭の中でよく響いている。私は、自宅で勉強ができない、がまだ続いているな。ましにはなったのだけれど。喫茶店代がかさむ。でも、いいことにしている。