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2月, 2019の投稿を表示しています

今年のやること、として紙に書いたこと。

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ここの所、23歳ころだったか恩師に出会う前に姉が買ってきた本のことを思い出す。憶えている個所は1つだけの場面で、象の話だった。鎖にずっと繋がれていた象は鎖が外されたあとも、その鎖の長さの範囲でしか行動をしない、外に出ようとしたら出られるのに、という話だった。それを人間に置き換える話だった気がする。私は今、やっていることをどれだけが残るだろう、と思っている。英語は30分ならしんどくないし、お腹が空いてやる気が出ないときはしていない。感じとしては、続きそうだ。喫茶店で本や聖書を読み、時に書き物をする。これは前からの習慣というか、やってきているのでむしろ心地いい時間で、それに気が向いたときだけだから長期的に続くかもしれない。ギターの練習。少し、問題があるが前よりはギターを触っている。習慣になるかどうかの狭間にある時期だと思っている。練習時間は短い。英語や本、書き物の方が見返すと優先順位が高い。後回しになっている。だいたい、お腹が空いた、となってしないことが多い。英語、ギターは夕方よりする習慣になっているため。 日本経済新聞を読む。ものぐさになっている。読んだら読んだで面白い記事が載っている。これも希望としては気が向いた時でいいから、読んでいたいものだ。極端に1週間に2日分だけでもいいから、やることに残しておきたい。 瞑想、祈り。瞑想は喫茶店とセットになっていることが多い。集中したい時にスマホのタイマーで測って10分瞑想をしている。祈り。少ない。しかし、最近短い間、他者のことを祈ることもある。ご飯前は習慣で必ずという位、祈っている。これも続けたい。 他、少しの時間で聖書関係の本を読むことも、今年1年の習慣で良いから、していたい。 ジム。これは始めたばかり、目的は減量のため。続けましょう。 ブログ。どうなるんだろうな。かなり、ブログで私についてのことも、動かすことができた。写真だって撮るのは本格的ではないが、楽しみだ。今の所、他者と繋がってもいる。つい、反応を確かめてもいる。ありがたいし、今をやっていけている理由の1つでもある。 これらを掃除、洗濯、料理、とかとまともにやっていると1日などすぐに過ぎる。 象としては何が残って、それとも投げ出すのか、と思っている。時間よありがとう、とも思う。まあ、だんだんこれらをきっちりしなくなっているので、のんびりやれば、大

食費は結構使っている。

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今、スーパーで買い物をして、エコバックを忘れた、とビニールのレジ袋にお世話になったのですが、はた、と思ってコンビニのレジ袋の使用の頻度の多さが気になっていました。コンビニに行く人は車で行っている人が松山は多いです。都市になると違ってくるが。なので1度使ったレジ袋を何度かコンビニで使って良い事にしてはどうか。車のダッシュボードとかに袋を溜めて置いて。使える袋の大きさが気になってくるところで、もともとコンビニのレジ袋の種類が何種類か知らないが、small,medium,big、と大きめに袋に表記しておいて、消費者が判断しやすいようにしておくとか。今日はアイス2つだけだからsmall、とか。清潔感が問題になってくるかもしれない。袋が破れているかどうかは、店員がざっとチェックしてこれはOKとか。だいたいで。そのうち、店員の袋が破れているかのチェックの見るポイントの講習があるとか。書いていてまた、思うが清潔感だな、1番の問題は。しかし、少しした物でもまず、レジ袋を使っている。もったいない。コンビニの商品は今思うところではそんなに特別な大きさの差はないかな、どうだったか。だから、レジ袋の再利用は使い易くはある気がする。 コープでは会員になってから、エコバックを使っていると紙のカードにはんこを押して貰えて、貯まると100円として使える。コンビニでは会員になったら、というのはやめたほうが、いいかも。どこでもあった場所に気軽に寄るのがコンビニの魅力の1つだと思うから。でも、スタンプになるとそのコンビニ名のスタンプだけということになるか。 レジ袋の再利用をしたら、1桁の端数を端折ってくれるとか。ドン・キホーテが会員になってポイントで使うとこれだ。 弁当用の袋はそれ用のがあるみたいだから、それを再利用。袋に書いているコンビニ名の袋をその店で使うか、もし、いいのであればコンビニのレジ袋なら全コンビニ店のが使えるようにするとかかな。 少し、実現は難しいかな、の案だろうか。

ふわふわのシフォンケーキをホイップクリームと国産のはちみつ付けながら食べたい。

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確実に春がやってきている。夜は冷えるが。 オザワエイコさんの、だからつくる調味料、という本を買った。テレビに出ていて興味ありだったので。料理の本は増やさないように、と思っているが、ジャンルが調味料だったので。ラー油とか美味しそう。まずは作りやすいものから作ってみよう。 写真、左側がもう少し明るめだったら、と思う。全体的にももう少し明るめにとも思う。色々と思い始めるな。意識する。ありがたいことだな。 やっぱりそんなに、写真が上手いとは思っていないが、沢山撮るとたまにいいものが撮れる。しかし、ブログを始めてよかったな。こんなことに、なるとはほんとに全く想像していなかった。意識しないときの句読点の癖にも今見て気付きもするし。どんな癖かははっきりとは分かっていないが、たまになるほど、と思うこともある。 意識しだしてからのブログも変わってきたと思う。そりゃそうだ、人の眼が沢山あるから、少しは服を着るよな。 男らしくなりてえ、というのが最近よく思うことだな。あと、冷蔵庫もう少し大きいのが欲しい。保存食を結構入れているので、スペースが少なくなっている。もちろん、買う気はないが。

今日は牛肉と菜の花のオイスター炒め。

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暫くはブログを続けるつもりです。先は見えない感じだな。恐ろしい、とも思える。昔から何も考えないで、ふらふらするのが得意でそれが楽だとその楽さに寄りかかる癖がこびりついているのかも、と思っている。それが嫌われる原因になることもある。恐いのだよな、未知が。見えてきたら、ああ、と分かることができると思うが、まるで見えない。恐い。 こんなことブログに書いていることも、はてなマークではあるだろうか。でも、見えてこないのだよな。 机の眼の前に貼ってあるのが、母方のばあちゃんの写真で今それを見て、私が大学を中退して2年位して亡くなったのだけれど、私のことをよく心配していた、と聞いている。小さい頃はよくばあちゃんの家に母親と帰省をしていて、憶えているのは私が寝ている間にキスをしてやった、うひゃひゃ、とばあちゃんが言って、ものすごく私が怒ったこと。まだ、憶えていることは幾つかあるな。帰省するのは楽しみだった。ばあちゃんも母親も心配させたまま、別れた。 母親には2回気持ちの温もりと共に、夢で会っている。あれはそうだったのではないか、と思っている。 40歳なのだよな、私は。精神的な年齢を、というか、もう少ししっかりして、大人になりたいものだ。

金曜日の手紙、改め。

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すみません、書き直します。 自分がいかに女性について関わることに不得手なのかが、よく分かります。 エンターテイメントみたいになっていることも、謝ります。 これしか、今は方法が分からなく、ただ書いています。 これから、自分がどうするのかも分かっていないですが、 やはり、共に歩んでくれることを望みます。これからは、当たって砕けろしか考えが浮かばないです。 手紙を書き終えます。

木曜日の手紙

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その後、好きにしていました。忘れようというか、考えないようにしていました。 大切なことだとは感じていました。 自分にも負けて、でも考えないようにしていました。 悪い自分もいたと思います。 でも、あの気持ちはどこかに持っていたと思います。 どこかにありました。 それだけは感じていました。どこかに、と。 今さら、という状況で、自分の言いたいことだけ書いています。 また、明日書きます。

水曜日の手紙

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躍起になっていて、仕事からその流れがあってうんざりしていたこと。正直に本当にうんざりしていた。 色々あるかもしれないが、あのままだと情けないが心に傷が付いていただろうこと。多分、そうなっていただろうと思う。 押し迫ってくるものが大きくて、びびってしまったこと。 思い出すところはそれだと思っています。本当。 酷いことをしたのは確かに変わりがない。弱さもあった。 それでも待っていてくれるという。 信じることにした。 信じたい。信じようと思う。 こういう情けなくて、しょっぽいのが私だということ。 いらっとさせることがあるとは思います。 何とかそこは頑張ろうと思っています。 優しい人、 という記憶があります。 また、明日書きます。

火曜日の手紙

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許してください、としか私には言いようがなく。 方法も浮かばない。 突然に場所からいなくなったこと、 あるかのようにして、いなくなったこと、本当にごめんなさい。 深く傷ついたと思います。 使い慣れたこんな公の場所を使ってでしか、私には謝ることができず、 これくらいのことしかできない。 思っていることも沢山あると思います。 気持ちを分かっていないと思います。 また、明日書きます。

月曜日の手紙

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何をしたのか、と冷静になって胃がきりきりとした。いつもからの経験だと馬鹿にしている、とさらに落ち込むことになる。待っているとの言葉がある。それをもう信じるしかなくて、もう動き出している。 詩人、と言ってくれた人がいて、だから、また詩を書こうと思ったけれど、書けなかった。 色々と嫌な思いをしたと思う。どんな気持ちだったか。いまさらだけれど。 もし、許してもらえて、心も緊張がとけて、少しくらいお互いのことが分かったら、楽しくやりたい。うまくいけば。これもいまさらだけれど。 私は結構しみったれていて、世間でいう楽しさもひょっとするとないかもしれない。失敗が多かったから。 ただ、幸せになりたい。だから、幸せにしたい。 また、明日書きます。 かもさんもありがとう。

うれし。

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hikaruちゃんありがとう🐸

夜の手紙

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私は一人でまた、持ち直すことが出来るのかもしれないが、今は耐えることができなくなってきている。 いかにあなたに対して、酷いことをしたか。それは私が思っているより、その上を行くと想像する。だけれど、どうか許してくれないだろうか。そう今思っている。 正直に言うと、今私は気持ちということでは、まだ分からない。しかし、あなたがどういう人だったかは覚えている。私がそういうあなたを好きになった気持ちも何処かにまだ、覚えている。 私や私の周り、背後にある環境は普通でないと、知っている。その事で、あなたの気持ちを傷付けることがあるかもしれない。しかし、既に私のした事はあなたを傷付けていたと、今それを感じている。 どうか、許して欲しい。 三年が経とうとしている。 深く傷ついた心を 話して貰えることは、 多分、ないだろう。 私は未熟で、本当の気持ちを知ろうとせず それを私から排除することがある。 振り返るとその経験を幾つか 覚える。 また、自分のことだけになりそうだ。 正直に言うと、恐いくらいのことだが、 どうかこれから、いや、いつからか、 私と共にこの時間の流れを、 歩んでくれないだろうか。 少々、私のことを憎んでくれていても、かまわない。 時の流れに 互いのことを知ることができたら、と、 それが出来たならいい、と思っている。 喧嘩はあるかも、と思っている。お互い話さないような。 だけど、ただ、いつまでも大切にだけはしたいと思います。 あなたの許しをお願いします。

雨が降っているな。

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一気に元気がなくなっていた。清潔な場所で食事がしたい、と思っていて、そうすることにした。コーヒーをお代わりして、インターネットを見てまだまだ挑戦する姿勢を見て、むくりとまた、私が起き上がる感じがした。私もまだだ、と思った。 いつもきれいな場所もきもちよし。

2種のチーズのカルボナーラ

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さぼろうと思うと本当にさぼって、一気に元気がなくなる。抵抗する生命力も弱ってくるか、とか思って布団にずっと包まっていると、簡単なガパオライス美味しかったよな、と思い浮かぶ。台所が今はやや、悲惨な状態だ、買い物もしなくてはならない、と考える。しかし、今浮かんだガパオライスのイメージは幸せになった、と思う。鍋が洗わずとも1つ生き残っている、と思う。パスタができる、となる。こんな時のためにドン・キホーテで青の洞窟を買い込んでいた。パスタも今日は解禁だ、とする。パスタを茹でて、ソースはレンチンして、パスタにかけて絡ませる。こんな時のために粉チーズも買っておけば良かった、と思いながらも、まあまあ幸せか、と思う。ソースも自分で作った方が美味しいが、私なりの緊急事態食、ということにしておく。

手でしゃかしゃかするやつね。

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図書館に車で行って、帰りサングラスをして窓を開けた。もう春の風がして、それを受けてラジオから流れる音楽を聴いていた。番組はハーフ&ハーフで七尾旅人さんのミディアムテンポの曲が暫く流れた。信号待ちをしていて、夕方の陽が後ろから照っていて、赤の信号が並んでいた。久しぶりの自由の気持ちがして、やりたいことがあったら何でもしちやろう、と思った。もう、自由だよ。好きなことをして好きに笑って。 と、ここまでが帰りにセンチになった気持ちを持ち帰って書いてみたことなのだ。私の車CDが駄目になっていて、ラジオとカセットテープは使えるのです。好きな音楽をかけて、海沿いを窓を開けてドライブしたいと思う。サングラスして。 気持ちは好きなことしちやろ、の方に向かっている。春が近いからかもしれない。小学校の時、春は変なおじさんが出没するから気を付けましょう、とよく先生に言われたが、それに近いおじさんとみなされたくない。みなされたくない。 今の気分は本当に美味いプリンが食べたい。ざ・手作り感のあるプリン。甘いもの作ってみようかなあ。少し食べるだけでいいから、作ると量ができそうで作らないのだよな。 なかしましほさんのレモンプリンだったけか、あれは無農薬レモンがあるうちに作ろうと思っている。メモもちゃんと取っている。泡立てのしゃかしゃかするやつ、買わないと。そんなに高ないよな。別にもうどんどん行きましょうかの気分だから、常識の範囲でよいが。春過ぎたら、また落ち着きましょう。春はこれから。

明日返しに行こう。

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図書館で借りた、河合隼雄さんの本、明恵 夢を生きる、をやっと読み終えた。 主に明恵上人の夢からユング派として学んだ筆者が分析、また自分としての考えを書いて行く本だった。 はっきり覚えているのは難しいが、結局、私として残ったこと。その頃、仏教は無意識下に潜って行くことが多いこと。その無意識に潜って精神が崩壊するものがいたこと。他の本で見たことは、無意識に潜って戻ってこれないことがあると読んだことがある。正しくない記憶かもしれないが、それが精神的な療法にもなること。 明恵は修法の最中に手洗いの桶に虫が落ちたと思う、というと、調べると本当に蜂が落ちていて助けたこと。他の例もある。 テレパシー現象は極めてまれであるが、時に生じる、と書いている。 科学者、哲学者、宗教家など簡単には分類できない世界最大の「霊媒」として有名という、エマニュエル・スウェーデンボリという人。カントは彼を高く評価している。スウェーデン・ボリがストックホルムの火事を、遠く離れたゴッテンベルグから「見た」体験。その体験をカントが報告したのをユングが詳しく紹介したということ。 土曜日の夜火事が起きたと言い始めて八時になって、火事は消えた、と言って、政府の役人がそのことを聞きた出した。彼は詳しく語った。月曜日の夜メッセンジャーが来て、火事のことを報告したが、その様子は先に語ったことと全く一致していた。 意識の在り方について。 スウェーデン・ボリを絶対知識に接近させた意識閾の低下が存在したと、想像するとのこと。 無意識の精神にとって空間と時間は相対的であるように思われる。つまり、空間はもはや空間ではなく、また時間はもはや時間ではないような時、空連続体の中で、知識はそれ自身を見出す、と書いてある。 無意識が、意識の方向にポテンシャルを保ち、発展させるならば、その時、並行事象が知覚されたり「知られ」たりすることは可能である。とのこと。 人間の通常の意識では、その場に居合わせて見ていたものしか知ることはできない。ただそこで特別な「意識閾の低下」を生じたものは、その場に居なくともそれを「知る」ことができる、とユングは考える、という。 西洋の近代に確立された意識は、仏陀の狙いとはまったく逆方向に発展させられたもので。そして、それは鋭利に研ぎ澄まされて、多くの現象や物質を切断して分類して、自然

また明日から。

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今日の写真ではないが。だいたい、その日の写真を使うことが多い。 生活がまた乱れてきている。いかん。そうなると部屋もすぐに荒れる。これもいかん。 諦めている、と言ったが嘘だな。ジムに行くのもやせるためだし。すっきり暮らしたい。私には程遠い目標だが。すっきりとも生きたい。これも遠くにある目標だな。生まれついてのら、なのだよな。多分。 さあ、明日から立て直すぞ。

今日は野菜炒めと味噌汁ね。

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通り一遍、という言葉がぽん、と思い浮かんで広辞苑で調べてみた。 ①通りがかりに立ち寄っただけで、平素からの馴染みでないこと。 ②ただ義理・形式・表面だけで、実意のこもらないこと。 今、ただ本当に浮かんだ言葉なのだけれど、社会で沢山の人の群れに入って泳いでいたらまず、必要なことだとは思うのだけど、しかし、すべてそれなのだと自分が悲しい、とは思う。疑い深いが、思考は単純で義理も感じやすい、いや、損得なく行動してくれた人は匂いで感じることがある。と、書くとそう分かってもいないとも思うのだけどな。分からないな、人間は、になってしまうが。ずっと触れていると、染み出してくるのが人間だとは思う。隠し通せる人はそれだけ、ある域に達しているのかな。訓練もありそうだな。人間は訓練で結構、それぞれその場所を特化させることもできると思う。とか、何でこんなこと考えだしたのかと思うと、通り一遍が浮かんだことからなのだよな。 私は結局、単純でそう相手が判断して何かの意図が漏れた時、私は感じる、というパターンもあるな。こんなこと明かさなくてもいいことだけれど。そういう人は結構いる筈だな。皆、感じている。大なり小なり。挫折があって感じたことだな。 うーん、ぶつぶつの思考になりだしているな。 今読んでいる本、河合隼雄さんの本。やはりその領域があることが、キリストを信仰したことにも感謝してよく感じる。ある、と思う。祈りの集中の仕方、それもある。祈りが少ないけど。いつから、すとん、と落ちたか忘れたが、特に今、最近、改めて冷静に、ある、と思っている。だから、感謝せなな。今までと、今に。

今日はいいことをする日と決めた。

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行き着いた今の場所は好きだ。時に不安な時、表情を見せてくれるやさしさがある。それを感じるくらいで幸せだな、と思っている。ネットで自分の場所について述べるのは自分にとっても良くはないかもしれないが。でも、感謝している。 私は変わらないこともあるが、変わってきていることもある。それは今の環境もその要因はあるのかもしれない。そして、それは心地が良い。自分のことが自分でできるようになったら、私の夢をかなえてやる、と昔、父親に言われたことがある。少しずつだが、母親が最後が近くなった時に、私に言った、生活、生活よ。生活が大事。の意味が理解できるようになって来ていると思っている。不潔にしてしまうこともあるが、時間のおかげで徐々に生活に清潔が見えてきているかな、と思う。生きるために大事なこと。少なくとも今の私には。人が生きるために昔から繰り返されてきた暮らし。書いていて気持ちがはみ出すとそこに文化が加わるとおもしろいな。料理を工夫したり、学んだり、掃除や整頓を工夫したり、今、いや昔から結構その情報が雑誌としてだったり、本だったり溢れているのはそれもそういうことか、と今書きながら思ったりするのだな。 何度も、だが。それらも、それは私に与えられた時間のおかげで気付く訳だが。良い人も、やな奴もいて、私自身も環境の中では人によっては嫌な奴だったりして、いちいち、そんなの知らんがな、と思う。2014年から始まったと思っている、様々なことが口を開けて何でも栄養にする私という生き物、ということにしておこうか。結果論だが。その私が経験という栄養を蓄えて、どうなるんだろうな。人間、という場所を見ると、歪みが出ていて弱いのだよな。まだ、ナイフは持っているつもりだけれど。ここは私の意地だな。 today,i saw a cat. his name is frank kappa.me and he geeted each other.long time no see! a のところは theかな。 今日猫を見かけました。彼の名前はフランク・カッパ。私と彼はお互い挨拶をしました。久しぶりだね、と書きたかった。 電子辞書がないとなかなかだな。

今日はさばのキムチ煮とわかめスープ。

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すべて埋まったノートを見ると気持ちがいい。長い書き物をするときはバインダーにA4用紙を挟んで書いて行くのだけれど、ノートだと転がっているのをちらっと見ると、そういうこと書いていたのだ、とまとめて見直すことができる。ノートにはそんなにちゃんとしたプロットではないのだけれど、プロットを書くことが多くて、プロットなのでほう、と軽くぺらぺらと見ることもできる。転がっているノートの中には埋まっていない物もあって、よし、ここから埋めて行こう、と思ったりするもする。新しいお洒落なノートを買うのも好きだけれど。 今日は病院の待ち時間、オレンジページを読んでいて昔ながらのハンバーグ、だったかな、それに惹かれて作ってみたい、と思った。ジムにもオレンジページあったよな。ハンバーグが載っているのがあればよいな。本当にふわっふわの豆腐ハンバーグも作ってみたい。ソースも美味しいの作ってみたい。テレビで観かけた洋食屋さんの昔ながらのハンバーグも美味しそうだったな。 本当は世話になったんだよな、と思う人がいたり、色々なことがあってやはり変わったな、と思う。どうして、こう変わったのか、と思って、私の弱さもある。だけれど、もうそれはそうなった過去で、これからどうして行くのか、しかないな。結果という過去は今という私について廻るのも、そういうものか。 クラッカーにアボカドのディップを塗って、サーモンを乗せて食べたい。

現在、眠気が少しある。

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私は結構わかめスープが好きなのだなと気付く。インスタントを作ってシンプルだが美味しい、と思ってはた、と思って冷凍庫を探ると去年父親に貰った、わかめが1袋残っていた。創味シャンタンも使いかけがあったので、それで薄口しょうゆとごま油でわかめスープを作ると今の私の気分として、大好きだ、と思った。やってみると、意外とストレスが無くてしかも幸せになりもする、という経験がこの年齢近くになってあって、それに気付く。今年は父親がわかめ取りに誘ってくれた。そろそろ腰が痛いからバトンタッチも兼ねてということらしい。結構うれしい。 今日は車のキーの電池が切れて、27A 12Vの電池で車専門の店や小さな電気屋に行ったがなかった。お店の人が電話でまず聞いた方がいい、と言っていて、私は電話で途中、説明が難しくなったり、説明し切れなくなったらどうしようと思ってしまうので、直接店にそれぞれ行くことが多いのだが、そうだな、と今思っている。ガソリン代と時間が間違いなく消費される。こういうようなことは妙に慎重になったり、不安になったりするので、こういうところにも勇気、とそれで良い、と意思を持っていた方が良いと思う。お店の人が言ったことは私には合理的だ。私はこういう軽いストレスを避ける傾向がある。気持ちのしょぼさが関係していると思っている。結局、アマゾンで頼みました。つよいわあ。 I bought flowers at taiyoichi.glad,glad and very good.in addition, bought mint.this is also happy. 私は太陽市で花を買いました。嬉しい、そしてとてもいい。それに加えてミントも買いました。これも嬉しい。と、書きたかった。最後はGoogleを使ってしまった。

心が陽気にあてられ始めている気がする。自分なりに、だが。

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今日は久々に栗原はるみ式、餃子が夕飯だ。野菜がたっぷり入っていて美味しい。あとは焼き加減だな。美しく皿にぽん、と盛りたい。ローズマリーが生産者コーナーにまだ売っていて惹かれたが、今日は餃子と決めていたので買わなかった。明日も残りで餃子になるだろうし。食べ過ぎなかったら。体重はそうは減らないな。今から少しずつだな。以前のローズマリーの残りは、すでに開いているいわしを買って、塩こしょう、ローズマリー、オリーブオイルを塗って、ラップで包んで、暫く冷蔵庫に置いて、にんにくとフライパンで焼いて食べた。グッドなお味だった。クックパッドをちらっと見て、やってみた。 夜はだんだん冷えてくるが、昼は春かしら、と思えるような陽気だった。春の初めかしら、かな。 温かくて美味しい抹茶と美味しい葛餅が食べたいかな、昼に。 Now,my life is calm.I appreciate this time.But life is gone.(life goes on) probably, colorful shade(s) will wait after this my life. 今、私の生活は穏やかです。この時間に感謝しています。 しかし、人生は続きます。多分、様々な色合いのことがこの後私の人生に待っているでしょう、と書きたかった。人生は去りました、と書いてしまった。 ちょっとかっこつけ過ぎたかもしれない。life is goneを思い付いたときは、ドラゴンアッシュだって思ったのだけれど、life goes onだったね。天然でなる人はなる、いらっとさせる感じが出てしまった。中途半端なセンチメンタルでこの感じになったな。

脂肪がまんべんなく身体を覆っているから、寒くないのだろうか、と思ってしまうが、やはり暖冬なのだな。

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久しぶりに、ビオフェルミンを飲まないといけなかった。免疫抑制剤を飲み始めてから季節の変わり目によくなっていたのだが、乗り越えたと思ったが、久しぶりだった。今は免疫抑制剤は飲んでいないが。すると考えてみると今が季節の変わり目と身体が感じたのだろうか。 埋もれていて読んでいなかった本を読むことにした。図書館で借りた本は少しずつ読んでいる。目に付くところに置いておくと存在感のある本なら読まないとな、と思う。その体力もあるし。読むと思ったのは貰った本で、感覚で読んでおこう、と思った。何かを伝えたいわけではなくて、そういうことには反省を経験しているので。ただ読んだ方がいいな、と思った。 平日のやること優先順位を作って、机横の壁に貼ってある。必ずではなくてなるべく。やろう、と思っていることが増えてきて、今日、何やるんだっけな、と最近思う様になっていて、別にしなかったら、それで済む日常だが書き出してみたら、すっきりするものだ。丈夫な植物を机にちょん、と置きたいがこれまでその丈夫な植物を枯らしている、という経験を重ねている。花も最近花瓶に活けていないな。太陽市に行ってみようかな。と、思い出したがひょっとすると太陽市、最近、切り花を置いていないかも知れない。そのうち確認しに行こう。