「取材・執筆・推敲」
朝起きてApe で作業することが多くなっている。過去に読んでいた本を実家から持ち出して、読んだり、メモしたり。読みかけの本をまた読んで、メモしたり。気になったことをメモをしたことを、他者に観られない形でブログにしておきたい、と思うが今のところ、流出するのか。そろそろ、やめにしてくれないか。 あとは、若松英輔さんが言っていたこと、同じようなことを古賀史健さんが本に書いていたことを、またブログにして自分だけのために観ることができるようにしたいが、暫くできないか、と思ったが、するかもな。一応、自分だけが観られる設定にして。 自分のやり方をネットでは公に発表しようとは思わないな。自分なりにやってきたことだから。それなりの思いがある。 というところで、古賀史健さんの「取材・執筆・推敲」について、小説を書く、という観点から簡単に思ったこと。ライターのための本なのだけどね。 古賀さんも若松英輔さんも言っていたことは、かなり有効だと思っている。そうして、その言葉が自分の身体を作って行く。 感情の翻訳、はいいな、したいな、と思う。人に見られる形ではなくでも、ブログにしてスマホで寝転んで気軽に観れるようにしてみたい。まずはノートにその思いが溢れたときに、書きつけて。遠出のウオーキングのときとかに。そういうことに慣れてみたい。 起承転結のほんとに分かりやすい、4コマは、起承転結のことが実はあいまいだった、自分に結構なイメージとしてそれを与えてくれた。ああいうのが、少なくとも自分には形作る基本になることがよくある。そこから、色々同期して行って膨らみが出てくるのだ。私は、基本がシンプルなのだ。でも、妄想で感じることは他の動画で観る人も、基本の考え方がシンプルだったりするような気がするのだが、勝手な感じ方で。人によるだろうけど。 話としては起転承結へ続く、流れの章のページだけど。自分にはまる基本。 そして、シークエンスのところだな。私は短い小説なら少し書くことに慣れている。ずっと書いていないから、今どうなんだろ、とは思うのだが。それと、プロットほどのプロットは書かないが、流れを書くよな。それぞれのカット、若しくはシーンとして。そこを、シークエンスで書いてみる、ということ。本では絵本の桃太郎の話なので、シンプルになっている。しかし、小説もこれくらいでもいい。そこから、考え、創造力を孕...